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葉野りるは

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「迷路の出口」雅さん視点ボツ話

01話はほぼほぼそのまま使ったので、02話からのボツ話となります。
迷走しているのが(話に矛盾点が出て困っている様)よくわかるお話になっています(何
絶賛下書き中の状態の文章を確認もせずコピペしているので、誤字脱字、文章の重複などがあるかもしれません。
あくまでボツ話としてお楽しみくださいm(_ _"m)ペコリ


【02話】

 霞がかっていた視界がしだいにはっきりとしだす。目に見えるものの輪郭が一本の線になってから、私は辺りを見回した。
 ここは幼少期を過ごしたアパートの一室……。
 ダイニングの片隅に、靴を履き替えるスペースがあるだけの玄関があり、華奢なヒールの靴が散乱している。ダイニングにはツードアの冷蔵庫と、食器棚代わりのラックがひとつ。
 ラックの上には電子レンジらしきものが置いてあるけれど、そのほかに調理家電と思しきものはない。ダイニングテーブルも椅子もない、ガランとしたスペース。それがこの家のダイニングだった。
 ダイニングに面しているのは六畳ほどのリビング。
 折りたたみ式の小さなテーブルと、カバーが破れたピンクの座椅子がひとつ。ほかには、大きさの異なる薄汚れたクッションがふたつ。小さいテレビも置かれていたけれど、そのテレビがついていた記憶はあまりない。
 リビングの窓から見える外は、地面に砂利が敷き詰められていて、突き当たりには灰色のブロック塀が聳えている。その光景から察するに、部屋は一階だったのだろう。
 リビングの右隣にもう一部屋あって、その部屋には常に布団が敷かれていた。
 どの部屋も、窓からの採光が望めない薄暗い部屋で、湿気がひどかったのか、窓際の白い壁はところどころが黒ずんでいた。
 幼い私には、黒い染みの一部が薄笑いを浮かべた人の顔に見え、気味が悪くて、それが見えないダイニングの片隅に座り込んでいることが多かった。
 そう……。寒い季節は冷蔵庫の近くがあたたかくて、暑い季節はダイニングとリビングを仕切るガラス戸が冷たくて気持ちがいい。
 その温度を思い出すように冷蔵庫へ手を伸ばし、馴染みある振動と温度を手のひらに感じてから部屋を振り返る。
 倒れたゴミ箱、中途半端に潰された缶、食べかけのお弁当、飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられた洋服――
 部屋はいつでも雑然としていて、部屋のあちこちにゴミ袋があり、洋服がそこら中に山積していた。

 その家には、私とひとりの大人が住んでいた。
 その大人が「親」であることも、「母」であることも、幼い私は認知していなかった。
 毎日やってくるその人は、いつも機嫌が悪くて、怒らせたらいけない人――そういう認識だった。
 その人は外が暗くなるころに部屋を出て行き、明け方にやってくる。
 部屋を出て行くときにはいい香りを身に纏っているのに、戻ってくるときにはなんとも言えない不快な臭いを漂わせていた。
 幼かった私は、いい匂いは時間が経つと臭くなるのだと思っていたけれど、いい匂いと感じたそれは香水で、不快に感じた臭いは香水やアルコール、タバコの臭いが混ざったものだったのだろう。
 私は毎朝、その人が帰ってくる音で目覚めていた。
 その人はカンカンとハイヒールの音を鳴らしながらやってきて、家のドアを開けると靴を脱ぐのもそこそこに倒れこむ。そして、「雅、水っ」と言うのがいつものこと。
 しかし四歳の私が背伸びをしたところで流しの縁に手が届く程度。どうしたってその先にあるレバーに手は届かない。
 栄養状態の悪かった私は著しく成長が遅く、一般的な四歳児と比べると、格段に体格が小さかったのだ。
 その人も手が届かないとわかっていて口にしていたのだろう。
 何もできない私に舌打ちをすると、苛立ちを隠すことなく手近なものを私へ向かって投げつけた。
 重量のないゴミやペットボトルならさほど痛くはない。けれども細かいビジューが表面を覆う、小さくて硬いバッグを投げつけられたときは痛かった。それが当たったときは決まって痣ができたし、ビジューで傷ついた肌が血で滲むこともあった。
 その人は自力で水を汲むと壁に背を預け、気だるそうに私を見ながら水を飲んでいた。
 そのときの視線が忘れられない……。
 あの、人を蔑むような視線は、幼いながらに居心地の悪さを感じたものだ。
 幼い子どもに視線の意味や理由を考えることはできない。ただ、得も言われぬ不安に萎縮するのみ。
 この人を怒らせてはいけない。この人を怒らせたら良くないことが起きる――
 何を知らずともそれだけはわかっていて、私は極力口を開かず、キッチンの片隅に佇んでいた。

 酔って帰ってくると、その人はよく言っていた。
「こんなはずじゃなかった。本妻になっていたら、こんな生活とは縁を切れたのに」と。
 当時は何を言われているのかさっぱりわからなかった。それでも、口調や視線から、自分が責められていることはなんとなくわかっていた。
 そして今なら、その言葉が何を指していたのか、その人が何を思って口にしたのかをきちんと理解できる。
 私は婚外子だったのだ。わかりやすく言うなら、不倫の末にできた子だ。
 ただそれだけなら、私を産んだこの人がここまで荒むことはなかったのかもしれない。
 生物学上私の父となる人は、社会的地位のある人間――泣く子も黙る、藤宮グループの御曹司だったのだ。
 そんな人間との結婚を夢見てしまったがゆえに、今の生活を受け入れられない――それが母だった。
 だいたいにして、既婚者との不倫がうまくいく確率などそう高くはない。家柄や社会的地位が絡めばなおのこと。
 そもそも父は保守的な人間で、体裁をひどく気にする性質だ。
 家柄の釣り合う人間と結婚していたならば、夫婦間がうまくいっていなかったとしても、離婚することはないだろう。もっと言うなら、私という存在が産まれることだってよしとはしなかったはず。
 自分の体裁が傷つく以上の見返りがない限り、婚外子など認めないし、自分が関係を持った女が妊娠したと知れば、どんな手を使ってでも中絶させると断言できる。
 この人は、父がそういう人間であることを知りもせずに私を産んだのだろうか。
 ……否。察することすらできなかったのなら、私は産まれていない。
 つまり、父がどんな人間なのかは多少なりともわかっていて、妊娠を悟られないよう策を講じたと考えるべき。
 あの父に妊娠を隠し通したことはすごいと思う。けれど、その先の見通しが安易すぎた。
 当時父と正妻の間に子はなく、母は自分が子どもを授かりさえすれば、本妻の座に収まれると本気で信じていたのだ。
 父を知る身からすれば、「バカらしい」の一言に尽きる。けれども、一般的にはどうなのだろう。
 誰もが知る藤宮グループの御曹司の子を身ごもったならば、たとえ自分が不倫相手でも、本妻になれると疑うことなく思うものだろうか。
 そんなわけがない……。
 普通の感覚を持った人ならば、そんな自分本位な考えは思い浮かびもしないだろう。
 そもそもの関係が不倫だし、父の性格を考慮すればなおさらだ。
「藤宮」が後継者問題を抱えていれば話は変わってくるのかもしれないけれど、藤宮グループの次期総帥は決まっていたし、次々期総帥まで決まっていた。私が産まれたところで何が変わることもない。このくらいの情報は、一族の人間でなくても容易に知ることができたはず。
 それを踏まえて考えれば考えるほど、私を産んだ人はとてもおめでたい思考回路で、ご都合主義者だったと言わざるを得ない。
 この人の口癖はほかにもある。
「あんたがいなければもっと楽に生きられたし、こんなことにだってなってなかった」。
 それもいかがなものか。
 私を産むと決めたのは自身のはずだし、私がいてもいなくても、母の生活はさして変わらなかったんじゃないだろうか。
 家に私がいても日替わりで違う男を連れ込んでいたし、私がいたから、と言われるほど自分に時間を割いてもらった覚えはない。
 でもそれは、私の記憶がはっきりしている部分において、の話だ。
 退行催眠を繰り返すことで、曖昧だった記憶は鮮明になり、三歳以前の記憶も少しずつ思い出すことができた。
 産まれたばかりのころはかわいがられていたのかもしれない。愛されていたのかもしれない。そんな願望が少なからずあったけれど、産み落とされたその瞬間から、母は私を金づるとしてしか見ていなかった。
 おそらくは妊娠中も、「大事な金づる」としか思われていなかったのだろう。もっと言うならば、愛し合った末に生まれた命ですらない。
 そんなこと、誰に言われずともわかっていた。でも改めて突きつけられると、心を切り刻まれる思いだった。
 母にどう思われていたかはともかく、この世に産まれた私を数年間生かしてくれた人に違いはない。生まれたばかりの子どもは、誰かが世話をしてくれなければ命をつなぐことすらできないのだから。
 母はひとりで私を産み、産後落ち着いたころに父へコンタクトを取ろうとしたらしい。けれど父の秘書に門前払いされ、父と直接話すことは叶わなかったのだとか。結果、最初の一年は貯金を崩して生活をしていたという。
 やがて貯金が底をつき、生活保護を受けアパートの一室で身体を売って生活をつなぎ始めた。
 それでも収入が足りず、夜の仕事を再開したのは私が四歳になる年のこと。
 本格的に育児放棄が始まったのが、四歳のころだったのだ。
 退行催眠ですべてを思い出せるわけではないけれど、静さんに渡された調査報告書の裏づけとなる記憶は、十分に得られていた。 


【03話】

 あのころ、一日にご飯を食べられたのは良くて二回だったと記憶している。
 たいていは、パンが入った袋が無造作にテーブルへ置かれていて、喉が渇くとバケツに汲まれた水を飲んで過ごした。
 栄養面や衛生面を考えれば問題しかないけれど、何もないよりはいい。
 それらがあったおかげで、私は餓死せずに済んだのだから。
 生き物に備わる「生存本能」は、幼い子どもであっても働くらしい。私は人に指示されることなく飲み食いすることを心得ていた。
 しかし、「本能」で何もかもクリアできるわけではない。人が人らしく暮らしていくには、教えられなければ習得できないことのほうが多いのだ。
 そのひとつが「排泄」。
 母は私に「トイレ」を教えはしなかった。私は産まれてからずっと、オムツを履かされていた。
 母が家にいたころは、文句を言いながらも日に数回替えてくれていたけれど、母が夜の仕事を再開してからは、一日中同じオムツを履くことになった。
 最初こそ排泄後の気持ち悪さに泣き喚き、自分で脱いでしまうこともあったけれど、脱いだときにはものすごい剣幕で怒られたし、泣き喚いたところで何が変わることもないとわかると、私は泣くこともなくなり、不快感に対して鈍感になっていった。
 しかし、いくら本人が鈍感になろうがオムツ自体に限界がある。
 オムツから排泄物が漏れ出て部屋を汚してしまうことも多々あったけれど、母は感情に任せて怒るばかりで、決して「トイレ」を教えようとはしなかった。

 そんな私が藤宮に引き取られたのは、四歳になってすぐのこと。
「やっと役に立った。あんたと別れられて清々する」。
 そんな言葉とともに家から追い出され、唖然とした私は外に待機していた黒服の男に抱き上げられた。
 外に出る習慣がなかった私は、屋外というだけで不安に駆られる。
 車を見たことがなかったわけではない。でも、乗るのは初めてだし、チャイルドシートを見るのだって初めてだ。そこへきて、チャイルドシートに固定され、身体の自由を奪われたらパニックにだってなる。
 私は数ヶ月ぶりに泣き叫んだ。
 声が枯れるまで泣いて気づいたことはひとつ――
 私がどれほど泣き喚いても、隣に座る黒服の大人は痛いことをしない。母のように怒鳴ることもない。それどころか、無言で私の頭を撫でていた。
 自分に伸びてくる手は、いつだって「痛い」とセットだったのに……。
「この人はなんだろう?」――そんな思いで隣に座る大人を見上げると、
「今、雅様のお父様のおうちへ向かっています」
 四歳児にとって、この文章の難易度はいかほどだろう。
 親に愛され、毎日のように話しかけられて育ったならば、理解できる内容だったのだろうか。
 わかることといえば、そのときの私には到底理解できない文章だったことくらい。
 私は、「言葉」を使って人とコミュニケーションをとる知能がなかったのだ。

 車が停まったのは、大きな洋館の前だった。その洋館こそ、私が四歳から二十四歳まで暮らした場所でもある。
 それまで住んでいたアパートの玄関ドアだって、四歳の私からしてみたら大きなドアだった。しかしこの建物のドアは比べ物にならないほどに大きなもので、幼い私には「ドア」と認識することができなかった。
「ここが雅様の新しいおうちです」
 私を抱えて歩く黒服の男はそう言った。
「雅様」が自分を示す語句であることはなんとなくわかっていて、「おうち」の意味もおぼろげではあるが理解できていたと思う。でも、私にとっての「おうち」は今まで過ごしたアパートだし、「新しい」という言葉が理解できない私は、何を言われているのかさっぱりわからなかった。
 建物の中に入ると同じ服装の女性が三人待機していて、私はその人たちに託された。
 最初に連れて行かれたのは、自宅のリビングより広い部屋。
 その部屋はとてもあたたかく、なんだかいい匂いがした。
 出かける前の母から香ってくるような鮮明な香りではなく、もっと柔らかくて優しい掴みどころのない香り。
 その正体を探すべく室内を見回すと、壁面に見覚えのあるものを見つける。
 シャワーヘッドだ。
 母がそれを手に持ったときは、容赦なく冷たい水を身体にかけられた。
 恐怖心から後ずさるも、大人の手にすぐ捕まってしまう。
 今度こそ痛いことをされる。冷たい水をかけられる――
 私は身体を丸めて縮こまり、次にくる衝撃に備えて目を瞑っていた。けれども、どれほど待っても「痛い」も「冷たい」もやってこなかった。
 そっと目を開けると、心配そうにこちらを見る目があった。
「何を恐れられておいでですか?」
 たずねられても言葉の意味がわからない。
 不安ばかりが膨らむ中、再度手が近づいてきて、私は反射的に目を瞑った。けれどもその手は、私の頭を優しく撫でただけだった。
 伸びてきた手が「痛い」ことをしないのは、私をここへ連れてきた人に続いてふたり目。
「何も恐ろしいことはありませんよ」
 声は優しく響き、その人は何度も頭を撫で、背中を擦ってくれた。
 ただそれだけのことに、ひどく安心したのを覚えている。
「汚れたお洋服は脱いで、身体をきれいに洗いましょう。髪の毛も洗って、乾かしたら少し整えましょうね」
 今思えば何も難しいことは言われていない。でもあのときの私には、理解できるわけがなかった。
 それでも、服に手が伸びてくればその先は想像に易い。
 服を脱がされれば問答無用で水をかけられる。そう刷り込まれていたがゆえに、私はバスルームの中を逃げ回った。しかし大人三人に子どもひとりだ。すぐに捕獲されてしまうし、粗末な服はいとも簡単に脱がされてしまう。
 シャワーヘッドを手に持った人が近づいたときに、私は泣き出した。
 そこで、シャワーヘッドを怖がっていることを理解したのだろう。
 三人は言葉少なに話し合い、シャワーヘッドをフックへ戻すと洗面器を用意した。そこへ水を張ると、優しく私の手を取り水に触れるよう促す。
 もともとバケツに張られた水を飲んで過ごしてきたのだ。目の前にある光景は決して恐ろしさを感じるものではない。
 促されるままに水へ手を浸すと、手に触れるものがいつもと異なることに気づく。
 私は驚きに目を瞠った。
 私の知っている「水」はひんやりとしていて、時期によっては身を刺すような感触を得るものだった。でもこれは――
 疑問に思いながら何度も手を浸す。
「……みず?」
 近くにいた女性にたずねると、三人はクスクスと笑った。
「これは『お湯』です」
「お、ゆ?」
「はい。お水があたたかいものは『お湯』と申します」
「おゆ……」
 私は確認するように、何度も何度も手を浸した。その感触は、冷蔵庫から伝う柔らかな熱によく似ていた。

 私は知らないことをバスルームでたくさん学んだ。
 人の手が近づいてきたからといって、痛いことをされるわけではないこと。シャワーヘッドからは、ひんやりとした水だけではなくあたたかいお湯が出ること。身体をきれいにするときは、白い泡が立つ石鹸を使うこと。頭を洗うと気持ちがいいこと。お湯に触れると、身体や心がポカポカしてくること。
 今まで経験したこともなければ、知らなかったことばかり。
 そんな私の最後の試練はバスタブだった。
 自宅のバスルームにも四方を囲まれたスペースはあったけれど、狭いそこは私の動きを封じるためのもので、汚れた私に水をかける場所でしかなかったのだ。
 そこに水が張られていたところなど見たこともなければ、その水に浸かるという発想には到底至らない。何よりも、見たこともない大きさのバスタブに尻込みをしていた。
 バスタブから遠ざかる私に手を差し出してくれた人は、にこりと笑ってバスタブの水に手をくぐらせる。
「雅様、これはお湯ですよ」
「お、ゆ……?」
「そうです。あたたかいお水です」
 身体を洗うときも頭を洗うときも、あたたかい水を使った。それはとても気持ちがいいものだった。
「お湯の中に入ってみませんか? あたたかくてとても気持ちがいいですよ。ほら、ヒヨコさんが一緒に入りましょう、と申しております」
 バスタブには、色とりどりの何かが無数に浮かんでいた。けれど、おもちゃで遊んだことのない私には、それらを「遊び道具」と認識することはできなかった。
 それでも、見たことのないものに対する好奇心はあったらしい。私は物珍しいものへ向かって一歩二歩、とバスタブへ近づき、水面に浮かぶものを注視した。
「動物はお好きですか?」
「どう、ぶつ?」
 女性は手近なおもちゃを手に取ると、
「これはヒヨコです」
「ひょこ……?」
「はい。こちらはワニです」
「わに……」
「はい。ヒヨコもワニも生き物、動物ですよ」
「どう、ぶつ……」
 おもちゃは動物を模したものばかりで、その人はそれらすべての名前を教えてくれた。そうして私の警戒心が緩んだころ、再度バスタブへ浸かることを勧められたのだ。
「私が手をつないでおります。それでしたら怖くはないでしょう?」
 相変わらず何を言われているのかはわからない。それでも、この場にいる人が自分に危害を加えることがないことはわかり始めていて、私は促されるままにバスタブへ足を踏み入れた。
 お湯は私の身長を考慮して張られており、腰を下ろしても水面は胸元までしかなかった。
 初めてのお風呂で十分に温まると、次は恐ろしく柔らかなタオルに包まれる。
 肌に当たるそれはふわふわしていて、穏やかな香りに夢見心地にさせられる。
 うっとりとしたままタオルに頬を寄せると、女性たちにクスクスと笑われた。
「さ、水気はきちんと吸い取りましたから、お風邪をお召しになる前にお洋服を着ましょうね」
 そう言って見せられたのは、フリルがふんだんにあしらわれた淡いピンクのワンピース。
 もちろん、そんな洋服は見たこともなければ着たこともない。今まではサイズの合っていないTシャツに、オムツ姿だったのだから。
 そんな私でも、きれいな色やかわいいもの、新しいものに対する「ときめき」は感じることができた。
 ドキドキしながら袖を通し、背中のファスナーを上げてもらう。と、同じ女性の手によって髪の毛を乾かされ、丁寧に櫛を通しては前髪を切られた。
 物心付いてからずっと、視界に髪の毛が映るのが常だったこともあり、急に開けた視界に驚いた。
「さ、かわいくなりましたよ。雅様、こちらへお越しくださいませ」
 手を引かれ立たされた場所は、鏡の前だった。
 目の前に、自分が着た洋服と同じ格好をした子が立っていた。私をじっと見て――
 私が手を伸ばせばその子も同じように手を伸ばす。
 不思議に思っていると、
「雅様、これは鏡です。こちらに映っていらっしゃるのは雅様ご自身ですよ」
 私は産まれて初めて、鏡に映る自分の姿を目にした。

 バスルームの次に連れて行かれたのは、庭園に面する一室。
 室内は明るく開放感があり、屋内からでも外に咲く花々を楽しむことができる。その部屋にいたのが歌子――現在の継母だ。
「奥様、雅様をお連れいたしました」
 白いワンピースを身に纏った歌子はソファに座り、花柄が美しいティーカップを傾けていた。
 線が細く抜けるほどに白い肌の女性はゆるり、と首をめぐらせ私に視線を向ける。
 顔立ちのはっきりとした、見目麗しい女性だった。歌子は数秒間私を見て視線を外すと、
「貧相だけれど、器量はまあまあね……。それにしても、なんて中途半端な時期に引き取ったのかしら。今からじゃ、幼稚部に入れられないじゃない……」
 歌子は窓の外を見たまま、
「メイド長、礼儀作法の先生は二宮先生を。お稽古ごとは――最低限でかまわないわ。書道、華道、茶道、それぞれの先生に連絡を。目標は藤宮学園初等部の受験。もしもパスできなかったら、あなたの仕事がなくなると思いなさい」
「かしこまりました」
「そのほかの一切をメイド長に任せます。よろしくて?」
「承知いたしました」
 私と継母の対面は以上、だ。
「新しく母になる人」という紹介もなければ、私自身を紹介する言葉とて、先ほどメイド長なる人が口にしたのみ。
 どういう経緯でここへ連れてこられたのかも、これからどうなるのかも、何も話してはもらえなかった。
 もっとも、話してもらえたところで、私が理解できるはずもなかったのだけれど……。

 藤宮に引き取られた私は、病院でありとあらゆる検査を受けさせられた。
 結果は、目に見えてわかる栄養失調のほか、著しい発達の遅れが問題視された。
 生活力、社会性、運動、言葉、記憶力――何をとっても四歳児の平均には及ばず、同年代との集団生活は送れないだろうと判断された。
 メイド長と医師が何を話しているのかは理解できなかったけれど、哀れむような目で見られていたのは今でも覚えている。
 そしてその日から、私は日常生活に必要なことを一から学び始め、言葉の習得を始めた。
 最初の数ヶ月は、数人のメイドが付きっきりで面倒を見てくれた。
 慣れない生活に戸惑い熱を出すこともあったけれど、私がその生活に順応するまでにそう時間はかからなかった。
 優しく話しかけてもらえることが嬉しかったし、知らないことをひとつひとつ覚えていくのはとても楽しかった。
 たとえ話している内容がわからなくても、相手が何かを伝えようとしているのは見ていればわかったし、身振りや手振り、直接誘導されることで求められていることを察するのはそこまで難しくはなかった。
 さらには、求められたとおりに行動できると盛大に喜び、褒めてもらえた。それが何よりも嬉しくて、私は次々とルールを覚え、知識を身につけていった。
 そうして一年が経つころには、同年代の子と変わりなく成長していたし、五歳半ばには、同年代の子たちよりたくさんの言葉を話せるようになっていた。
 藤宮学園初等部の受験も難なく合格。
 受験では両親同伴の面接があったわけだけど、家族が三人揃ったのはこの日が初めてのことだった。
 このころにはアパートで一緒に暮らしていたのが実母であることも、歌子が継母で、現在の母であることも理解していた。
 でも、相応の知識を得ても、「家族」がどういうものであるのかはわからずにいた。
 本に記される「家族像」やクラスメイトが話す「家族」には共通点があるのに、私が得た「家族」とはまったく違った。
 同じ建物に暮らしていても、ともにご飯を食べることはおろか、口を利いたこともない。屋敷内で見かけても冷たく一瞥されるだけで、実の母親に向けられたそれとなんら変わることはなかったのだ。
 使用人は皆優しかったけれど、私がある程度のことを理解できるようになると、皆腫れ物に触れるような接し方に変わり、心の距離が開いてしまった。
 そんな中、時々訪れる祖父だけは私をかわいがり甘やかしてくれた。けれどその祖父も、私が中等部三年のときに亡くなってしまった。
 初等部、中等部のころは養護教諭が心のよりどころだったけれど、その先生も結婚を機に退職してしまい、高等部へ上がると、私は完全なる独りになっていた――


【04話】

 衣食住に困ることはなかったし、何をせずとも相応の教育を受けさせてもらえる。でも、私の心が満たされることはなかったし、いつだってどうしようもない虚しさや焦燥感を感じていた。
 最初から何も持っていなかったし、何を無くしたわけでもない。けれど、心にぽっかりと穴が空いたような感覚は拭えず、それを埋めるために必死で心理学の本を読み漁っていた。
 でも、どんなに時間を費やし小難しい本を読み解いても、心が満ちる感覚は得られず、焦燥感ばかりが募っていった。
 もしも心を許せる友人がいたなら少しは何かが変わっていただろうか。けれど実際は、九年間も同じ学校へ通っていたにも関わらず、私にそれらしい存在はできなかった。
 初等部に入学したばかりのころは、相応に話せる人もいた。時間が経つにつれて「藤宮の人間」という認知が進み、クラスメイトたちの対応に変化が現れた。
 下心ありきで近づいてくる人間もいれば、私が正妻の子どもでないと知ってマウントを取りにくる人間。や、遠巻きにされるようになった。

 
 初等部の始めごろにはそれなりに話せる人もいた。でも年を重ねるごとに、「藤宮の雅ちゃん」という印象が強くなっていき、
 少し「藤宮」から遠のけば、何かが変わるかもしれない。
 そう思った私は藤宮の大学へは進まず、違う大学を受験した。
 そうして違う環境に身をおいたものの、そこでもやっぱりまともな人間関係を築くことはできず……。
 もしかしたら、親の愛情に触れずに育った私には、土台無理な話だったのかもしれない。
 大学生活が始まってしばらくすると、産みの親がコンタクトを取ってきた。
「あれからどうしているのか心配だった」と――
 精神的に不安定だった私は、そんな言葉に絆され母親と会ってしまったのだ。
 それが地獄への入り口とも知らずに……。
 警護班の人間には「お考え直しください」と引き止められた。けれど私は、「実の母と会うだけ」と突っぱね、警護班を伴わずにひとりで約束の場所へ赴いた。
 そこは繁華街の一角。でも、警戒するには至らなかった。
 あぁ、きっと今も夜の仕事をしているのだろう。呼び出された場所はおそらく勤務先か何か。そんなふうに思っていた。
 薄暗い店に足を踏み入れると母親のほかに、ホストのなりをした男が五人いた。
 記憶に残る母は少し老けた程度で、あのころと変わらず派手な服装をしていた。
 体型も変わらず、高いハイヒールを履いているのも変わらない。
「ふぅん……。写真で見て知ってはいたけれど、ずいぶんと清楚なお嬢様に育ったじゃない? そのうえ教養もある……。申し分ないわね」
 口元に笑みを浮かべ話す様に、「心配」などされていなかったことを思い知る。
 私はいったい何を期待していたのか――
 だいたいにして、何かを期待できるような過去などひとつもないというのに。
「これなら高く売れんじゃねー?」
 母の隣に立つ男は、まるで品定めするような視線をめぐらす。
 嫌悪感を覚えると、
「まあ、そう焦らないで? まずはこの子から引き出せばいいのよ。なんたって藤宮のお嬢様なんだから」
「でもよ、御曹司に知れたらやばいんじゃねーの?」
 なんの話をしているのかわからずに聞いていると、母はくつくつと笑いだした。
「やだ、あの男がこの子を守るとでも? そんなことあるわけないじゃない。あの男もその奥方も、この子には一切興味がないんだから。それは引き取る前も引き取ったあとも、変わらないわ。この子を引き取ったのだって、養育費だなんだって私から連絡があるのが煩わしくて、私との関係を完全に絶ちたいがために引き取っただけ。現に、金輪際自分に関わらないっていう誓約書は書かせられたけど、それにこの子は含まれてない」
 母の言葉に頭を鈍器で殴られた気がした。
 必要以上の期待はしないし、夢だって見ない。
 でも、小さいころからずっと、父が私を引き取った理由を知りたいと思っていた。何かそれらしい理由があると思っていた。
 でも、そんな理由はなかった。ただこの女との関係を絶ちたかっただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
 私にはなんの価値もなかった。
 そんなの、藤宮に引き取られてからの対応を思い返せばわかりそうなものなのに――
「へぇ~……じゃ、最初はこいつから金を引き出して、金が引き出せなくなったらソープに落としゃーいいな。いい値で売れるぜ?」
 その言葉に危機感を覚え、咄嗟に出口へ向かおうとした。けど、気づけば背後に四人の男が立っていて、とっくに退路は塞がれていた。
 思わず一歩二歩と後ずさるも、逃げ場が生まれるわけではなかったし、ここへ呼び出した母が助けてくれるはずもない。
 私はあっという間に男たちに囲まれ、無理やり服を脱がされては写真を撮られ、動画を録られた。
 必死に抵抗したところで複数の男の力に敵うわけがなく、助けを求めたところで誰に届くでもない。
 私は絶望を感じながら涙を零し、何度も光るフラッシュと、無機質に響くシャッター音を聞き続けた。
 私は実の母に陥れられ、辱められたのだ。
 そして、それらの画像や動画を盾に、お金をせびられ始めた。
 母からの連絡を無視すると、間を置かずに画像や動画が送られてきて、「無視をするな」と言葉なく脅された。
 仕方なくホストクラブへ出向くと、決まって高いお酒を買わされた。支払いはすべてクレジットカード。
 クレジットカードの使用料が増えれば両親が何かを言ってくる。気づいてもらえる。そう思っていた私はかなり甘かった。
 実際、クレジットカードの使用料は日に日に増していったけれど、それで両親が何かを言ってくることはなかった。母が言うとおり、両親は私に一ミリも関心がなかったのだ。
 月に何度かホストクラブへ通い、高いお酒を買って散財する。そんなことが一年以上続いたある日、急にクレジットカードが使えなくなった。
 何で気づいたかと言うならば、携帯会社からの連絡で、だ。使用料の引き落としができなかったと連絡を受け、不思議に思ってカード会社へ連絡すると、カードが無効になっていた。
 理由を聞いても教えてはもらえなかったし、ほかの信販会社にクレジットカードの申請をしても通らなかった。
 幸い、連絡を受けたその日のうちに店頭で支払いを済ませたことから、スマホが使えなくなることはなかった。でも、次に母から連絡がきたらどうすればいいのか――
 どうするも何も、ホストクラブへは行かなくてはいけない。そこでクレジットカードが使えないと知れたら、今度こそソープに落とされる。
 ソープに落とされたら、もうここへは帰ってこられないかもしれない。
 そう思ったとき、脳裏を掠めたのは父と母だった。けれど、すぐに頭を振る。
「たとえ私が消息を断ったとしても、あのふたりは探してくれない……」
 まるで最初からいなかったかのように、何事もなく暮らしていいくのだろう。
 そんな想像が易々とできるだけに、私は薄ら笑いを浮かべた。
「私ひとりいなくなったって、何も変わらないじゃない……」
 ならば、幼かったあのころに命尽きてしまえばよかったのに――

 スマホの着信に怯えながら過ごしていると、なんの前触れもなく静さんの秘書である澤村さんがやってきた。
「静様がお呼びです。ご同行いただけますでしょうか」
 澤村さんはそれだけ言うと、私の意志を確認することなく屋敷から私を連れ出した。
 澤村さんの運転でホテルへ向かうと、従業員通用口からホテルへ入り、業務用エレベーターで四十一階へ上がった。
 静さんに呼ばれたのだから、行く先には静さんがいるはず。けれど会長室のある四十一階は、一族の人間とてそうそう立ち入れる場所ではない。
 以前、私はそのフロアを訪れたことがあるけれど、それはルールを侵してのことだった。
「あの、澤村さんっ――」
「静様がお待ちです」
 澤村さんは会長室のドアを開けると私に入るよう促し、自分は部屋に入ることなくドアを閉めた。

 広い部屋の窓際に、一際大きなデスクがあり、静さんはそこに座っていた。
 デスクに置いてあった分厚いファイルを手に取ると、静かに席を立ち応接セットへと歩き出す。
「立ち話もなんだから、ソファに座ったらどうだろう?」
 そんなふうに促され、私は緊張を纏いながらソファに腰を下ろした。
 私の真正面に座った静さんは、「さて」と口火を切る。
「去年の五月十五日、何があったか話せるかい?」
 五月十五日――それは実母に再会した日で、思い出したくもない出来事が起きた日。もともと「良い」とは言えない人生で、もっとも最悪を極めた日だった。
 動揺に目が泳ぐ。すると、
「話せるかい?」ともう一度訊かれた。
 威圧されているわけでも詰め寄られているわけでもない。どちらかといえば、今までにないくらいに声音が優しい。
 それでも、私は何を話すこともできなかった。
 ずっと誰かに助けて欲しいと思っていたのに、いざそんな機会が訪れたところで、何を話すこともできない。
 すると、見切りをつけた静さんがファイルを開いた。
 そこには私の出生から、藤宮に引き取られたときのこと。学生生活から最近の生活パターンまで詳細に渡って綴られていた。
 静さんは付箋が付いたページを開くと、
「事実ならば頷けばいい。事実と異なるならば首を振ればいい」
 そう言って、「五月十五日」の事実確認を始めた。
 質問は短く、「はい」「いいえ」で答えられるものばかり。
 私は涙を流しながら、それらに答えていった。
 最後の確認を終えるとハンカチを差し出され、
「今までつらい思いをさせたね」
 その言葉ひどく胸に沁みた。
「この件は責任を持って私が片付けよう。だからもう、怯えなくていい」
 そう言われて、私は子どものように泣きじゃくった。
 少し落ち着くと、
「スマホを出しなさい」
 不思議に思いながらバッグからスマホを取り出すと、
「母親と連絡を取っていたのはこのスマホかい?」
「はい……」
「やり取りは残ってるかな?」
 私は首を左右に振った。
 母は私を呼び出すと、必ずバッグを取り上げ手荷物検査をした。スマホはすべてのデータを消去され、どんなに小さなレコーダーを持ち込んでも見つかってしまい、店内での会話を録音できたためしはない。
 せめて何か証拠になるようなものが何かひとつでもあればよかったのに……。
 そう思っていると、
「安心していい。うちには優秀な人間が多いからね、データの復元など朝飯前だ。もっとも、データの復元くらい警察でもできる」
 その言葉に顔を上げると、
「別室に知り合いの刑事を待たせてある。私も同席するから、今の話をもう一度話せるかい?」
 今の話をもう一度――
 今度は知らない人に話すの……?
 不安に身体が震え始める。と、
「雅、もう一度だけがんばってくれ。警察に控訴状を出すんだ」
「控訴、状……」
「被害届けと比べたら控訴状のほうがハードルは高い。が、起訴に持ち込めるだけの証拠は揃えてある。必ず受理させる。私はどんな手を使ってでも、彼らを刑務所送りにするよ」
 私はその言葉を信じ、静さんに連れられてホテルの別室へ向かった。

 その日から、私は身の安全を確保するために自宅へ引きこもることになった。
 体面上、それまでの素行に対する罰として軟禁生活と言い渡されたことになっていたけれど、すべては私の身を守るための処置だった。
 そのころから静さんは時間を作っては訪ねてくるようになり、短時間であれど、他愛もない話をしては帰って行くということを繰り返した。
 始めのころは普通に話すことすら難しく、ひどく対応に困る時間だった。けれど、三ヶ月が経つころにはリラックスして話せるようになっていた。
 それでも対人恐怖症の気は治まることがなく、静さんの勧めで専門機関にてカウンセリングを受けるようになった。しかし結果は思わしくなく、最後の切り札に静さんが提案したのが海外での生活だった。
「雅は今後どうしたい?」
 今後――
「学生時代からの夢は心理カウンセラー。雅の経歴をもってすればすれは難しいことではないだろう。しかし、今はその時ではない。今は雅が心身ともに健やかになることが最優先だ。わかるね?」
 小さく頷いた。
 現況、私はとても不安定で、カウンセリングをする側ではなく受ける側の人間だ。
「海外の大学で、研究の続きをしてみたらどうだい?」
「海外……?」
「雅が学生時代にお世話になった養護教諭の星野あかりさんを覚えているかい?」
 忘れるわけがない。私の人生で、一番親身になって話を聞いてくれる人だった。そんな人を、忘れるわけがない――
「彼女は今、夫と息子と三人でニューヨークで暮らしている。しばらく彼女のもとで過ごしてみてはどうだろう」
「っ……そんな、あかり先生にご迷惑はかけられませんっ」
「彼女は迷惑だなんて言わなかったよ。むしろ、ずっと気にしていたようだ。すぐにでも雅を受け入れると言ってくれている」
 私はただただ驚いていた。もう何年も経っているのにあかり先生が一生徒である私のことを覚えていてくれたこと。気にかけてくれていたこと。今すぐにでも受け入れてくれるということ。すべてが嬉しくて、目に涙が滲み出す。
「もちろん、星野さんには相応の謝礼を用意する。そのあたりのことを雅は考えなくていい。雅は何も考えず、彼女たちの好意に甘えてみたらどうだろう」
 そこまでの後押しをしていただいて、私はコクリと頷くことができた。
 当初は大学へ通い、研究を進める予定だった。そのつもりで準備をしているところへ静さんが秋斗さんを連れてきた。
「雅の海外行きを話したら、秋斗がどうしても会いたいと言ってね。少し話してみないかい?」
 日本を発つ前には秋斗さんと翠葉さんに謝罪をしたいと思っていたけれど、


「私は今、ニューヨークでFメディカルの海外支部長をしています」
「その通りだ。君は立派に社会へ貢献しているし、何もできない無力な女の子ではない」
 その言葉にゆっくりと目を開ける。
 照明を抑えた部屋に見知った顔を見つけると、
「退行催眠をしても、取り乱すことがなくなったね」
 ドクターの言葉に少し困る。
「そうですね……。最初のころに比べたら、そこまで取り乱さなくなったように思います。……でも、あの日の出来事を思い出すと、未だに身体が震えるし、涙が止まらなくなります」
 不安から自分の両腕で身体を抱きしめると、優しい声が降ってきた。
「世の中には女性に対しひどいことをする男もいる。だが、そんな人間ばかりではない。ミヤビを心から愛し、慈しんでくれる男はきっといる」
 ドクターはいつだってそう言ってくれる。けれど、私のような人間を好きになってくれる人が本当にいるのかしら……。世界中、どこを探しても、そんな人はいないように思える。
 返答に困っていると、
「僕の言うことが信じられないのかい?」
「そういうわけでは……。でも私は、親にすら愛されなかった人間ですから……。この先誰にも愛されないんじゃないかと思ってしまうし、親の愛情を知らずに育った私には、何か欠陥があるのではないかと思ってしまいます」
「親の愛情は確かに大切なギフトだ。けどね、世界には親の愛を知らない子どもはたくさんいるし、だからといって彼らに欠陥があるわけではない。それに、ミヤビはアカリの愛を知っているだろう? ミヤビはアカリに愛されている。アカリの夫、デービットにも愛されている。ふたりの子どものスティーブにだって好かれているじゃないか。愛情は親から与えられるものだけではないよ」
「はい……」
「ミヤビ、僕を見て?」
 リクライニングチェアからゆっくりと身体を起こすと、私はドクターの青い目をじっと見つめた。
「君は幸せになる。過去を受け入れ今を見つめることのできる人間は、未来を切り開ける人間だ。君は必ず幸せになるよ」
 これはいつもドクターがカウンセリングの最後に口にする言葉。
 断定口調で話されるそれは、波打つ私の心を何度となく鎮めてきた。
 今日も同じ。波が引いて行くのを感じる。
 大丈夫、私は大丈夫――
 心の中でそう唱えると、私は深く息を吸い込んだ。

「それはそうと、ミヤビが日本に帰国するのは来週だったかな?」
「そうです。社員旅行という名目ではあるのですが、同僚のほかにも会える人たちがいて、とても楽しみなんです」
「なんと言ったかな? ミヤビが友達になったという女の子、スイ……スイ……」
「翠葉さんですか?」
「そう、スイハ! 彼女にも会えるのかな?」
「そうなんです! 翠葉さん、三月にご婚約されたんですけど、まだ直接お祝いの言葉を伝えられていないので、会えるのが楽しみで」
「おう、婚約……。それでは、アキトにはもう可能性はないのかい?」
「どうでしょう……」
 ふたりが婚約したくらいじゃ諦めそうな人ではないけれど……。
「秋斗さんのことを考えると、少し胸が痛いです」
「どうしてだい?」
「翠葉さん、秋斗さんとお付き合いしてらした時期があって、私、そのときにひどい言葉を彼女に放ってしまったんです」
 今思い出してもひどいことをしたと思う。
「……ミヤビ、君はアキトのことが好きだったのかい?」
「いいえ……」
 そこに恋愛感情があったなら、まだ良かった。でも、あれは違う。自分と同じ境遇の人間、と思っていただけ。
「秋斗さんはうちとは違う理由から育児放棄されていたんです。そのことを知っていたから、互いに理解し合えると思っていました。たとえ愛してもらえなくても、傷の舐めあいだとしても、理解はしあえると思っていたんです」
「ふむ……。でも、今はアキトの会社で仕事をしているし、スイハとも親しくしているだろう? 和解したのかい?」
「秋斗さんは、私の置かれていた状況を知ることで理解を示してくださいました。翠葉さんは本当に優しい方で、謝罪したら受け入れてくださいました」
 でも、それで私が犯したことがすべてなくなるわけではない。
 私はなんて言葉を十代の彼女に突きつけてしまったのか――
「子どもを産める身体でなければ」――この言葉は彼女の心に深く根差したことだろう。どれほど謝罪を重ねても、その傷が癒えることはない。そういう言葉を私は投げつけた。
 翠葉さんの未来から、「結婚」を奪いかねない傷をつけた。
 どうしたら償えるのかと考えていたときに、翠葉さんと司さんが婚約したという話が舞い込んだ。
 私はそれを聞いて、祝福するより先に安堵した。
 それで私のした罪がなくなるわけではないけれど、心からほっとしたのだ。 
「では、次の治療ではそのときの話を聞かせてもらおう」
「はい……」



以上です。


ボツ話

【夏の思い出 蒼樹×桃華 02話 桃華視点】

 八月に入ったある日、蒼樹さんはおば様を連れ立って私の家にやってきた。それは私の両親から旅行の許可を得るため。
 でもまさか、おば様までいらっしゃるとは聞いていなかったので、私は少し面食らっていた。
 同様に迎えに出てきていた母は、直前に蒼樹さんから連絡があって知っていたらしく、えらくご機嫌で自慢の庭を一望できる廊下を通り、父の待つ応接室へ案内する。
 父はいつも、気難しそうな顔をしてばかりなのに、今日に限っては最初からにこやかで、一瞬どこの誰かと思ったくらい。
 応接室に入ると、おば様は姿勢を正し、
「蒼樹の母、御園生碧と申します。息子が桃華さんとお付き合いを始めてから二年以上経ちますのに、今までご挨拶ひとつなくきてしまい申し訳ございません」
「いえいえ、立派な息子さんで、こちらこそいつも娘がお世話になっております。桃華の父の珠山です」
「妻の綾華です」
「ご丁寧にありがとうございます。これ、有田屋のお茶菓子です。お口に合うといいのですが……」
 言いながら、おば様は手土産を差し出した。
 そんな型どおりの挨拶の末席に着くと、おば様は世間話をするような要領で話し出す。
「今回お邪魔させていただきましたのは、一度ご挨拶をさせていただきたかったのもあるのですが、桃華さんを旅行へお誘いしたくて、なんです」
「旅行、ですか……?」
「えぇ。実はうちの子どもたちが、お盆明けに藤宮の別荘へ招かれることになりまして」
 おば様はにっこりと笑い、父と母は愕然とした面持ちでその言葉の続きを待っている。そして私も、蒼樹さんから聞いていた内容とは違う話に目を瞬かせていた。
「秋斗くんに訊いてみたら、まだ人数を増やしても大丈夫とのことでしたので、よろしければ桃華さんもいかがかと思いまして。そのほうが、娘の翠葉も喜ぶと思うんです」
「ふふ」とかわいらしく微笑むおば様は、「策士」と言わざるを得ない。
 もともとは、翠葉と藤宮司の旅行に成人の同行者を――という条件をおば様たちが提示したことにより、蒼樹さんたちが同行することになったはずだ。なのに、話の順序を見事に覆してきた。
 これではまるで、「旅行へ行く」というよりは、藤宮の別荘へ招かれた体ではないか。そこへきて、私もどうですか、という話の持っていき方に感服しきり。
 これは間違いなくおば様の案だろう。蒼樹さんならば、秋斗先生や藤宮とのつながりを前面に出した説明をしたにしても、ここまで大胆に話の根幹を組み替えるようなことはしない。
 現に両親は、「藤宮」という言葉に踊らされ、反論の「は」の字も口にしない。
「とはいえ、大切なお嬢さんを男性を含む旅行へ同行させるのはご不安もおありでしょう? 私どももそのあたりに引っかかりを覚えていたのですが、雅さんがご一緒してくださることになりましたので、お父様やお母様におかれましてもご安心いただけるのではないかと思いまして」
「雅さんとはもしかして――」
「藤宮グループ次期会長の従妹、雅嬢のことですわ。今はFメディカルの海外支部責任者をされていらっしゃるのですが……ご存知ですか?」
 おば様は品良く笑みを添える。
「もちろん存じておりますっ。そうですか……雅様もご一緒なら!」
「行き先は緑山の別荘です。あそこはいいところですよ。自然が豊かで、天候に恵まれれば天体観測も楽しめます」
「……と申しますと、御園生さんは藤宮の別荘へ行ったことがおありなんですか?」
 母の質問におば様はにこりと微笑み、
「えぇ。次期会長の静とは古い付き合いですの。高校のときから、毎年のように各所の別荘へ招かれていましたわ」
「それはそれは――」
 父も母もその先は言葉にできず絶句していたけれど、それでよかったと思う。ただ、言葉にせずとも父の顔には「羨ましい」という文字がべったりと貼り付いていて、同席している私は恥ずかしいことこの上ない。
 しかし、おば様のおかげで、絶対に渋られる。もしくは反対されると思っていた旅行は、一度として反対されることなく許可が下りた。



 待ちに待った八月二十日月曜日、晴れ――
 朝は蒼樹さんが迎えに来てくれるというのを両親が頑なに固辞し、父自らが車を運転してウィステリアヴィレッジまで送ってくれた。そして、秋斗先生にくどいほどの挨拶をしてもまだ居座りそうだったから、早々に帰らせたわけだけど……。
 父の車を見送って重いため息をつくと、
「簾条さんも大変だね」
 秋斗先生に声をかけられ、思わず苦笑を返す。
「父がしつこくてすみません……」
「いや、ああいう人はどこにでもいるから慣れてるよ。それよりも、簾条さんのほうが大変なんじゃない?」
「え……?」
「簾条さんはああいうタイプじゃないでしょ? だから、ご両親と反りが合わなかったりするんじゃないかと思って」
「それはもう……」
「反りが合わない」なんて言葉じゃ言い表せない程度には相性が悪い。
「今回は、うちに都合がいいようにお話ししてくださり本当にありがとうございます」
「あぁ、俺が別荘へ招いたことになってるってやつ?」
「はい。そうじゃなかったら、きっと行かせてはもらえませんでした」
「そんなに気にしなくていいよ。もともとは碧さんの入れ知恵だしね」
 そう言って秋斗先生は笑った。
「秋斗先輩、そろそろ出発です」
 声の方へ視線を向けると、少し浮かない顔をした蒼樹さんが立っていた。
「蒼樹さん、どうかしました……?」
「いや……」
 蒼樹さんは歯切れ悪く言葉を濁す。と、
「蒼樹は真面目だからね。きっと少し後ろめたいんだよ」
 秋斗先生の言葉に首を傾げる。
「蒼樹ひとりだったなら、きっとご両親に嘘をつくことなく話したと思うよ」
 言われて、あぁ、そういう意味か、と思う。
「もう、律儀ですねぇ……。結果的に状況が変わらなければなんの問題もありませんっ!」
 そう言って、私は蒼樹さんの車の助手席に乗り込んだ。




【夏の思い出 蒼樹×桃華 03話 蒼樹視点】

 桃華は気にしなくていいと言うけれど、結果桃華が旅行に参加できることになったとはいえ、俺は後ろめたさを拭えずにいた。
 桃華との未来に「結婚」を考えるからこそ余計に、桃華の両親に嘘をつくようなことはしてはいけなかったのではないか、と思う。
 旅行など、これからいくらでも一緒に行くことはできるだろう。ならば今回の旅行は諦めるべきだったのではないか、と――
「蒼樹さん」
 助手席から桃華に声をかけられ、ちらりと桃華を見やる。と、桃華は真っ直ぐな視線を俺に向けていた。
「高校三年生の夏休みは一度きりです。だから私は、今回の旅行へ行けてとても嬉しいですよ?」
「親に嘘をついたとしても……?」
「はい。それにさっきも言いましたけど、事実と嘘が甚だしく異なるわけではないでしょう? これは嘘も方便という類だと思います」
 本当はこんな言葉に救われちゃいけないんだけど――
「蒼樹さん、楽しみましょう? せっかくの旅行なんです。楽しまなくちゃ損ですよ!」
 カラッとした桃華の声に、俺は気持ちを切り替えることにした。
 緑山までは三時間かかるため、途中大きなサービスエリアで休憩を一回取ってから、各々のペースで目的地へ向かう。
 司や秋斗先輩の運転する車の前後には黒塗りの車ががっちりついているわけだが、俺たちの車には護衛車はついていない。
 その様を道路上で見ていると、なんだかとても奇妙な気分だった。
「藤宮ってあれが普通なんだよなぁ……」
「え? あぁ、警護のことです?」
「そう。秋斗先輩と学校外で会うようになったのもここ数年のことだから、こういうの目の当たりにするのはまだ慣れなくてさ」
「これからは翠葉もその対象に入るんですものね……」
「そうなんだよね」
「そのあたりの話を翠葉としたりはしないんですか?」
「そうだなぁ……。翠葉は自分が関わるって決めたことだから、って腹括ってる感じ。俺が思っていたよりもずっとしっかりしてるように見えた」
「ま、好きな人が一緒ですしね」
 その言葉に桃華が何を言わんとするのかわかりかねてると、
「女の子は好きな人が一緒だったらどこまでも強くなれるものですよ」
 そう言って笑った顔が眩しすぎて、ちょっと見惚れてしまった。



ボツ話はこれでラストです。
少しでもお楽しみいただけたなら幸いですm(_ _"m)ペコリ



ボツ話

「夏の思い出」の「蒼樹×桃華」をひとつの物語にしようとトライした残骸をば投下してまいろうと思います。
一話目は蒼樹視点のお話です。
二話目が桃華さん視点のお話。
で、三話目に蒼樹視点のお話を書きかけてやめちゃったんですよね。
今日は蒼樹視点のお話で、次は桃華さん視点と書きかけの蒼樹視点を一気に載せる予定です。
では、お楽しみください♡





【夏の思い出 蒼樹×桃華 01話 蒼樹視点】

 夏の暑い日、風呂上りに冷たいものを飲む瞬間は格別だと思う。
 炭酸水の刺激を喉に感じていると、リビングにいた母さんに声をかけられた。
「蒼樹、明日だったかしら?」
「何が?」
「桃華ちゃんのおうちにうかがうの」
「そうだけど?」
 グラスを持ってビングへ向かうと、テーブルの上には手帳や複数のファイルが出ていた。
 母さんはスケジュールを確認しながら、
「明日の午前中にうかがって、午後は桃華ちゃんとデートだっけ?」
「その予定だけど……」
「それ、私も同行していい?」
「……デートに?」
「違うわよ……。ご実家のほう」
「なんでまた……」
「まあそうねぇ……。一応ご挨拶しておくべきかしら、と思って。桃華ちゃんとお付き合いを始めて二年経っているし、桃華ちゃんの話だと、親御さんが結構厳しいおうちなのでしょう?」
「そうだけど……。いやでも、さすがに母さんに来てもらわなくても――」
「この旅行、あちらの親御さんにご了承いただける算段は立っているの?」
 そこをつかれると少々痛い。
「まあ、そこはなんというか……秋斗先輩をだしに使わせてもらおうとは思ってる」
「ま、それが妥当よね。でも、蒼樹はそのままを話そうとしているのでしょう?」
「そのまま……?」
「翠葉たちの旅行に同伴することになったって」
「……そのつもりだけど?」
 それの何がいけないのか――
 そんな俺の顔を見た母さんは、手帳をパタンと閉じてため息をついて見せた。
「まだまだ甘いわね。格式あるおうちのお嬢様を旅行に連れ出すには、相応の状況を整えなくちゃ」
 相応の状況……?
「どういう状況ならあちらのご両親が納得して送り出してくれるのか――そこを考えないとだめよ」
「そこはもう、誠意を持って話すしかないと思ってるんだけど……」
「だから甘いっていうの。誰でも彼でも誠意が伝わればわかってくれるなんてことないのよ? せっかくいい材料が揃っているのだから、すべて利用する道を考えられるようになりないさい」
 母さんの言葉を反芻しながら考える。
 この場合、いい材料というのは秋斗先輩であったり藤宮だと思う。それを遺憾なく発揮する道とはどんな道なのか――
「ヒントその一。翠葉たちの同伴者という理由は伏せること」
「は……? そしたら俺が旅行へ行く理由がなくなるんだけど……?」
「バカね……。そんな旅行に桃華ちゃんのご両親がOK出すわけないじゃない」
「同伴者に秋斗先輩が含まれていても?」
「秋斗くんの名前を出すならもっと強力な使い方があるでしょう?」
 強力な使い方……?
 母さんは右手でこめかみを押さえると、
「真っ直ぐ育ってくれたことを喜ぶべきか、もう少し腹黒くなることを諭すべきか、悩むところだわね……」
 独り言のように言葉を零した。そして、呆れた顔で、
「翠葉たちが行くのはどこ?」
「緑山」
「そうじゃなくて……。誰の別荘なの?」
「藤宮の……――って、あっ――」
「わかった?」
 ここまでヒントを出されて腹黒くなることを加味すれば、答えはひとつしかない。
「もしかして、藤宮の別荘に招かれたことにする……?」
「正解。それが唯一の正解ルート。翠葉と蒼樹、唯が藤宮の別荘に招かれているところへ、桃華ちゃんも一緒にどうか。そういう話の運びなら、あちらのご両親は否とは言わないでしょう」
 確かに、真実を述べるよりもはるかに大きな布陣だ。だけど、
「それならそれで、俺がそう話せばいいだけじゃない? 母さんが出て行くほどのことじゃ――」
「二年もお付き合いしていれば、あちらのご両親と顔を合わせることもあったでしょうし、蒼樹の人となりもある程度はご理解いただけてると思うわ。それでも、どんな家庭に育った子なのか――そういう部分をも知りたいと思うのが親心よ」
「はあ……」
 そういうものなのか……。
 自分に子どもがいるわけじゃないから、さすがにまだ親心まではわからない。
 ただ、翠葉に置き換えて考えるならものすごくよくわかる気がした。
 翠葉が付き合う男なら、どんな人間なのか、自分が見て話して知りたいと思うし、どんな家庭に育ったのか、その背景だって知りたいと思う。
 つまりはそういうことなのだろうけれど、自分が当人である場合、できることなら俺を見て、俺を信用してもらえたら、と思う。何よりも、二十半ばにもなって母親を伴い彼女の家へ旅行の許可をもらいに行くっていう事態にも抵抗が……。
 頭を抱えていると、
「あちらのご両親がどんなことにこだわる方たちであろうと、蒼樹が真摯に対応していれば、いつかは認めてもらえるかもしれない。でもまだ時間がかかるなら、こういう手を使うのも悪くはないわ。私を連れて行けば静とのつながりも示唆できる。それを使わない手はないでしょう?」
「はぁ~……腹黒い。母さんがとっても腹黒い……」
「あら、お褒めに与り光栄だわ。ってことで、明日は同行させてね」
「よろしくお願いします……」
 俺はペコリと頭を下げた。
「手土産、何にする?」
「洋菓子よりも和菓子派って桃華から聞いてる」
「じゃ、明日行く前に有田屋のお茶菓子を買って行きましょう」
「了解。十時半になったら下で待ち合わせでいい?」
「下で……? もしかして、明日も仕事なの?」
「そう。秋斗先輩に頼まれてるもの片付けなくちゃいけないんだ。それに、秋斗先輩にも話しは通しておいたほうがいいと思うし」
「そうね。じゃ、明日十時半にね」
 自室に戻り時計を確認すると十二時を回っていた。
 桃華はもう寝ている時間だし、メールを送って起こすのも申し訳ない。
「でも、明日は俺も朝早いんだよなぁ……」
「は? あんちゃんどしたの?」
 パソコンに向かっていた唯がこちらを向く。
「明日、桃華の家に行くことになってるだろ?」
「あぁ、旅行のお許しもらいに行くってやつ?」
「そう、それ。今母さんと話して、母さんも同行することになったんだけど、それを桃華に伝える時間がとれそうにない……」
 唯は時計を目にやり、
「もう寝てる時間か」
「そう。明日は午前に抜ける都合上、早出出勤だし……。さすがに何も言わずに母さん連れてけないから、ご実家に電話する時間は都合する予定なんだけど、桃華に連絡入れる時間までとれるかわからなくてさ」
「なんで? ただ、碧さん連れてくって伝えるだけじゃだめなの?」
「いや、母さんを一緒に連れてく経緯というか、理由的なものまで話すとなるとちょっと時間が必要」
「ふーん……。同行って碧さんから言い出したの?」
「そうだけど……?」
「納得。なら何がなんでも旅行の許可もぎ取るつもりだね」
 唯はニヤリと笑った。
 まるで母さんがどういう行動に出るつもりなのかわかったような口ぶりだけど、唯にはわかるのだろうか。
 じっと唯を見ていると、
「碧さんのことだから、秋斗さんに俺たちが別荘に招待されたとかなんとか話してくるつもりなんじゃないの?」
「当たり……」
「あんちゃんはバカ正直に話すつもりだったんでしょ? それに比べたら断然勝率アップだし、碧さんなら抜かりなくオーナーとの関係性まで話してくんだろうから、間違いなく桃華っちの両親は否とは言えなくなるよ。桃華っちにはサプライズでいいんじゃん? 桃華っちならその場に応じてうまく対応してくれんでしょ」
「かなぁ……?」
「終わり良ければすべてよし! それに、そのあと桃華っちとデートなんだから、文句はそのとき聞いてあげればいいじゃん」
 楽観的に話す唯を前に、少し気になることを聞いてみることにした。
「もし唯が俺だったとしても、母さんみたいな話の持っていき方にする?」
「ん?」
「つまり、嘘をついて旅行の許可をもぎ取るかってこと」
「あー、あんちゃんはそこが引っかかるんだ?」
「まあね……」
「あんちゃんは真面目だなぁ……。ま、嘘はよくないと思う。でも、状況的に甚だしく異なるわけじゃないんだし、いいんじゃん? それなら、話を運びやすいように、桃華っちの親がより納得しやすい状況を揃えて話してあげるほうがいいよ。嘘なんて貫徹すりゃーいんですよ」
「じゃ、それはそれでいいとして……。もうひとつ」
「まだなんかあるのっ?」
「母さんが静さんと旧知の仲ってところまで話すとマウント取ってるような感じにならない?」
「そこまで考えるっ?」
「考えるだろ……」
 あくまでも、桃華のご両親が相手ならば。権力に弱い人間が相手なら、過敏になる内容だと思うわけで……。
「そこは碧さんを信じてみたら?」
「母さんを信じる……?」
「碧さん、そんな下手な話の仕方しないよ。ごく自然にそういう話に持って行くと思う。あんちゃんの口から両親とオーナーの関係性を話すよりもよっぽどいいと思うけど?」
 その言葉には、すんなりと納得できてしまった。
 ただ、俺が気にするのはもうひとつあるわけで……。
「なんだよ、まだなんかあるのっ?」
「二十半ばにもなって親同伴で旅行の許可もらいに行くのってどうなのかなあ……」
 俺が頭を抱えると、唯は大仰にため息をついて見せた。
「んなの、相手によりけりでしょ? 相手が家の格だのなんだのぶつけてくるような人たちなら、同じように家だのなんだのぶつけ返しときゃいいんです! その点、城井アンティークの令嬢である碧さんぶつけときゃ問題ないって。あんちゃんは深く考える必要なし! ほら、明日早いんでしょ? 俺も風呂入って寝るから、あんちゃんもとっとと寝る」
 唯はそう言って俺をベッドへ押し込めると、口にしたとおり着替えを持って部屋を出た。


リクエストSSボツ話 「真白×涼」

先日の日記に書いていた「リクエストSS」のボツ話です。
読みたいとおっしゃってくださる方がいたので、こっそりと公開♡

こちらのお話はパラレル設定でして、ふたりは高校生。
涼さんが高校三年生で真白さんが一年生という設定です。


【Side 涼 01話】

 新学期が始まったある日、図書室で本を読みながらカウンター当番をしていると、髪の長い女子が飛び込んできた。
 髪と呼吸が乱れているところを見ると、廊下を走ってきたのかもしれない。
 今は激しく上下する胸を押さえ、図書室内をきょろきょろと見回している。
 見るからに切羽詰まった様子の女子は、一歩を踏み出して盛大に躓いた。
 何やってるんだか……。
 受付カウンターから出て手を差し出すと、こちらを見た目に囚われる。
 潤んだ瞳は今まで見た誰よりも茶色く、髪と同じ、きれいな琥珀色をしていた。
「……何か困っているなら力になるけど?」
 進んで人と関わらない自分がどうしてそんな言葉を発してしまったのか。
 おそらく人間という生き物は、困った人を見ると放っておけないようにできているのだと思う。中でも、医者になろうと思っている自分は、その傾向がひときわ強くて当然なのではないだろうか。
「あの、どこか隠れられる場所はありませんか?」
「それならカウンターの中へ」
 女子をカウンターの中へ促すと、けたたましい音を立てて図書室のドアが開けられた。
「今、真白様がいらっしゃいませんでしたかっ!?」
 息を切らした数人の女子は入ってくるなりカウンターに身を乗り出す。
 幸い、こちら側には作業台がせり出しているため、その下に隠れた女子の姿は見えていない。
 今足元で小さくなっている女子は、これらから逃げてきたのだろう。
 状況を悟り、俺はため息をついて口を開いた。
「ここが図書室であるという認識は?」
「えっ……?」
「図書室では静かに」
「そんなことわかってますっ」
 いや、わかっていないと思う。
「図書室で大声を出したらいけないっていうルール、小学生でも知ってると思うんだけど」
 静かに笑みを向けると、騒々しい女子どもはカウンターから身を引いた。
「それから、廊下も走っちゃいけないはずだけど……? 風紀委員や先生方に見つかったらペナルティーを受けるよ。ちなみに、ここで大声を出してもペナルティーは発令できるんだけど」
 引き出しからペナルティーカードを取り出し見せると、女子たちは我先にと図書室を出て行った。
 カウンター内へ視線を落とせば、手で口元を覆った女子と目が合う。
 まるで息をすることさえ我慢していたふう。
「もう行ったけど?」
「かくまってくださりありがとうございました。それから、ごめんなさい……私も騒々しく入ってきてしまって……」
「あぁ、廊下も走ってきたみたいだったね」
「……風紀委員に連絡しますか?」
「まさか……面倒を買って出るほど物好きじゃない」
 でも、何をしてこんなところへ逃げ込んできたのかは多少気になる。
 それは、代わり映えしない日常に飛び込んできた一匹の蝶に、意識を奪われるような感覚。
 相手のことを知りたいと思うなら、まずは自分が名乗るべきか……。
「三年A組、芹沢涼。君は? 何マシロ? それとも、マシロが苗字?」
「いえ、一年D組、藤宮真白と申します」
 フジミヤマシロ――
 その名前には覚えがある。
 確か、今年の新入生に藤宮グループ会長の娘がいるとかなんとか。そんな話は噂に疎い自分の耳にも入っていた。
「あぁ、だからマシロ様」
「その呼び方はやめてください……」
「でも、みんなにはそう呼ばれているんだろ?」
「呼ばれたくて呼ばれているわけではありません」
「ふーん。……追われていた理由は?」
「主には部活の勧誘です」
「それ、逃げ回るほど困ること?」
「困るというか……」
 藤宮真白はもごもごと言葉を濁し、思いつめた表情で口を閉ざしてしまった。
 潤んだ目から涙が零れ落ちたら自分にはフォローのしようがない。そんな思いから、
「落ち着くまでいればいい」
 俺は静かに視線を逸らした。


 それからというもの、藤宮真白は放課後になると図書室へやってくるようになった。
 それも、人目を避けるように、受け付けカウンターの作業台下でひっそりと体育座りしているのだ。
「……一応、カウンター内は関係者以外立ち入り禁止なんだけど」
 会話のきっかけにそんな言葉を投げると、怯えた目がこちらを向いた。
「月末まで、大目に見てはいただけませんか?」
 まるで生まれたての小鹿のように潤んだ目で見られるから、反する言葉を返せなくなる。
 あの目、厄介すぎるんだけど……。
 でも四月いっぱい、か。
「つまり、部活の仮入部期間が終わるまで?」
 藤宮真白はコクリと頷いた。
「君、中等部からの持ち上がり組だから知ってると思うけど、部活は強制参加だけど?」
「わかっています……」
 先日のように言葉を濁し俯いてしまう。
「言葉は最後まで話さないと相手に伝わらない」
 藤宮真白ははっとしたように顔を上げ、目を見開き唾を呑み込んだ。そして、
「芹沢先輩は歯に衣着せぬ物言いなんですね」
 添えられた笑みが可憐すぎて釘付けになる。
「……それ、褒め言葉じゃないと思うけど?」
 無理やり言葉を繰り出すと、
「……そうですね。ちょっと失礼な言葉だったかも?」
 言いながらクスクスとおかしそうに笑った。
「でも、私の中では最上級の褒め言葉なんです。ほかの方は、本心を話してくださっているのかわからないので……」
 その言葉から得られる情報は、周囲に心を許せる人間がいないのだろう、ということくらい。
「けど、慕っているからこそ群がってくるんじゃないの?」
「どうでしょう……。自分で言うのもなんですが、家の影響力は計り知れないので……。私個人に興味をお持ちくださる方がどれほどいるかは不明です」
 ふうん……。
 それは、孤児で奨学制度を利用して高校へ通っている俺にはわからない境地だな。
 もっとも、わかる人間のほうが稀という気はするけれど……。
 藤宮真白はプリントに視線を落としながら、
「中等部では茶道部と華道部に所属していたのですが、高等部では何か新しいことを始めたくて……。できれば、本当にその活動に興味をお持ちの方々と交流を深めたいのです」
 つまり、自分目当てで興味本位に入部を決める人間とは別に、ということか。
「でも、仮入部期間をずっとここで過ごしていたら、新しい部を見学することもできないんじゃない?」
「そうなんですよね……。ですので、今はどんな部活があるのかリストとにらめっこをしています」
 彼女の手にあるのは入学式の日に配られるプリント。しかし、それらには活動内容など細かなことまでは書かれていない。
「それなら――」
 俺はカウンター近くの本棚から一部の冊子を手に取り彼女に差し出す。
「各部が年度末に提出する活動内容をまとめた冊子。そのプリントよりは参考になると思う」
 藤宮真白はぱっと目を輝かせ、「ありがとうございます」と冊子に飛びついた。
 その様を見て、猫の餌付けに成功した気分になった。


【Side 真白 01話未満】

 放課後に図書室へ行くようになって二週間が過ぎたころ、ふとした疑問が浮上した。
 私が図書室に来て五分もすると、芹沢先輩は当たり前のようにやってくる。
 それが日常になっていたけれど、少し考えるとそれはとてもおかしいことだった。
 この学園の部活動は強制参加であるはずなのに、芹沢先輩はどうして毎日図書室でカウンター当番をしているのだろう。
 仮に図書委員でカウンター当番だったとしても、二週間も連続して、というのは考えにくい。
 図書室の窓を開けて回る芹沢先輩をじっと見ていると、戻ってきた先輩に「何か質問?」と小さな声で尋ねられた。
 この先輩は、図書室にふたりしかいないときであっても「図書室では静かに」をきちんと遂行するのだ。
「あの、先輩は部活へは行かれないのですか?」
 先輩に習って声のトーンを落として尋ねると、
「あぁ、そのこと……」
 先輩はため息をつくみたいに言葉を吐き出した。
「去年から、四月中は部室立ち入り禁止を食らってる」
 部室、立ち入り禁止……?
 奇妙な言葉の並びに首を傾げる。
 それは芹沢先輩が何か悪いことをしたから……?
 ううん――まだ知り合って間もないけれど、この先輩に限って部室への立ち入りを禁止されるような行いをするとは思えない。
 何せ、廊下を走ってはいけないだの、図書室では静かにだの、どんな小さなルールだって厳守する人なのだから。
 だとしたら、何か別に理由があるはずだけど、それはいったいどんな理由だろう。
 訊いたら教えてもらえるだろうか。
 端整な横顔をじっと見ていると、
「別に俺が何をしたってわけじゃないから」
 先輩は静かに口にした。
「では、どうしてですか……?」
 疑問のままに尋ねると、先輩は嘆息して、とても億劫そうに口を開いた。
「この顔、女子受けがいいみたいで、ちょっとした被害を被ってる」
 え、お顔? 女子受け……?
 改めて見るまでもなく、芹沢先輩のお顔は美形と呼ばれるそれに属する。
 切れ長で涼やかな目に、すっと通った鼻梁。薄い唇に細い顎。陶器のように滑らかな肌。どれをとっても美しいうえ、指先の所作ひとつとっても気品を感じる。さらには、すらりとした長身にスマートな身のこなし。
 女の子なら誰もが騒ぎそうな様相である。
 でも、それによってもたらされる弊害とはなんだろう。
 秀でた容姿は利点でありこそすれ、被害なんて――
「この顔目当てで入部してくる迷惑な女子がいる。それできちんと活動するなり部活を続けてくれればいいけれど、もともとが不純な動機での入部だからね。脈がないとわかった途端にやめていく人間も少なくない。おかげで数ヶ月は落ち着いて活動ができなくなる。だから、仮入部期間は部活に出てくれるなとほかの部員に懇願されて、ここでおとなしくカウンター当番をしているしだい。……藤宮さんとは少し事情が違うけど、似たような境遇ではあるかもね」
 言うと、芹沢先輩は英文が連なる本に視線を落とした。

以上

ボツです……orz
こんなん、真白さんが涼さんに惹かれる未来しか想像できませんって(苦笑)
「涼先生が真白さんを口説く」というリクエストは意外とハードルが高かった……orz

追い詰める司の心情その他(追記あり)

まずは、翠葉さんを追い詰めようと思った司の心情から。





 なんとなく気づいてはいた……。
 やっとわかった……。
 今まで何度となくやってきたことなのに、なんで気づかなかったのか――。
 翠を望むなら、翠を得ようとするなら、そのために必要なことはただひとつ。
 翠を全力で突き放さす必要がある。
「なんで――なんでこんな面倒くさい人間なんだか……。こんな……したくもない回り道をさせる……」
 それでも俺は突き放す。
 容赦なく。これ以上ないまでに。
 得るために、翠を突き放す。
 そうしないと得られないから――。





実際はと言うと、秋斗さんの行動に頭の容量持っていかれていて、翠葉さんを追い詰めるっていうのがメインではなくなってしまったがゆえに使えなくなったもの。
どこかに入れたかったんですけどね。
入れられなかったんです。
結局、やってることは変わらないんですけども……。


お次は、翠葉さん尾行話。
当初の予定では、司に突き放された翠葉さんはひとり病院を抜け出して空港まで行く、という設定だったのです。
でも、大きな手術をしたあとだし、どうやっても警護についてる人たちを振り切れるわけもないし、と非現実的であることが発覚し、路線を泣く泣く変えたしだい……(苦笑)
(だから、上の司の追い詰めると決めた部分が書けなくなった、というのもあるのです(〒_〒)ウウウ )

お話しは翠葉さんが病院を抜け出し、タクシーを使って駅まで行き、始発電車を乗りついでリムジンバスに乗る直前に黒塗りの車に連れ去られたところからです。





「っ!?」
 車はするりと走り出し小さくなっていく。携帯を取り出し、自分付きの護衛に連絡を入れようしたとき、見知らぬ車が自分の脇に停まった。
 す、と窓が下がり、見知った顔がにこりと笑む。
「お車、ご入用ですか?」
 支倉と名乗る男だった。
 すぐ助手席に乗り込みドアを閉める。
「では、ドライブと参りましょう」
 こんな状況で何を暢気に――。
 そこまで思ってはっとする。
「なんで支倉さんがここに?」
 支倉は相変わらずしまりのない顔で、
「いやですねぇ……。司様や秋斗様のすることをボスがご存知ないわけがないじゃないですか」
「……秋兄は知らない」
「関係ありませんよ。ボスの可愛いヒヨコさんたちは常に見られてますから」
 これ以上無駄な会話はしたくない。
「前の車、追跡はできるんだろうな」
 訊くと、
「その必要はありません」
「っ!?」
「そう焦らずに」
 あくまでものんびりとした口調で話す。
「さっきの車のナンバーは覚えておいでですよね?」
 覚えたてのナンバーを答えると、
「それは本家の雅嬢専用車のナンバーです」
 言われて驚く。
「彼女が向かうのは秋斗様がいらっしゃる空港です」
「知っていることがあるなら全部話せっ」
 イラつきを抑えずに言うと、ブルブルと震えて見せた。あくまで安定した運転をしながら……。
「雅嬢も見ていられなかったのでしょう。電車の乗り換えにおろおろし、バス乗り場で苦戦している彼女が」
 ……雅さんも今日の翠を尾行していた?
「今日のことはごく僅かな人間しか知らないはずだ……」
 僅かな人間のうちには秋兄は含まれていない。翠の警護班は動かしているものの、それすら秋兄には伏せてもらっている。
「ボスですよ。ボスが雅嬢に話しました」
「っ!?」
「……詳しくは申せませんが、雅嬢はどうやらあのお姫様に救われたそうです。ですから、今回のこともボスから聞いて何かしたくなったのかもしれません」
「言ってる意味がわからない。雅さんにとって翠は嫉妬の対象になりこそ、翠に救われたなんてあり得ない」
「それがあるのだから世の中不思議ですよね~」
「あるわけない。翠と雅さんが接触したのは過去に一度だけだ」
 越谷の件は、まるで関係ないとは言い切れないが、それでも翠とは接触などしていない。
「そのあたりは今度ご本人にうかがってみたらいかがですか? あ、追いつきましたね。ほら、あの車空港へ向かっているでしょう?」
 翠を連れ去った車は確かに空港へ向う方へと指示器を出し、滑らかな運転で分岐を左に行った。
「シャトルバスに乗るよりもベンツのほうが乗り心地も良いでしょうし。お姫様にとっても良かったのではないですか? バスでは風邪をもらうんじゃないか、知らない人間に声かけられたりと、司様も心配が絶えないでしょう?」
 どこか楽しげに笑いながら言われる。
「…………雅さんが敵意を持って翠に近づいてるわけじゃないなら、いい」

 空港に着くと翠は車から降り走り出した。
「さ、ここからは司様の出番ですよ。いってらっしゃいませ」
 最後の言葉を聞き終える前にドアを閉め走り出す。
 雅さんの乗る車の脇を通ったとき、雅さんと目が合った。
 ツン、とすぐに視線を逸らされたが印象が悪いわけではない。"キツイ"イメージはそのまま。しかし、悪意は感じなかった。
 何より、翠をここまで連れて来たことがそれを証明している。
 俺は意識を翠に戻し、白いコートを着た後姿を追った。





雅嬢をもう一度出したかったのですが、お話しのルートが変わったら出せないことに……。
でも、実は雅嬢、とても近いところにいます。
Season2に出てくるかもしれませんが、秋斗さんが立ち上げた会社の一社員です。
えぇ、実はとても優秀な方なので、そして即戦力になるほど語学にも長けており、心理学のほか、経営学もかじっているような人なので、海外拠点の責任者に抜擢されています。
それは国内では実家との折り合いが悪いのを考慮して、というもの。
海外には、彼女が初等部にいたころの保健医が在住していて、その人のもとで生活を再スタートさせる、という設定なのです。
(その保健医さんだけが雅嬢の心の傷を知っていた、という設定です)


あと、翠葉さんがひとりで動くと決まったときに司がとった行動のひとつ。
これを入れたいなぁ……、そしたらこれを(↑上の支倉さんとの会話)書き直さなくちゃいけないなぁ、と思っていた内容。
司×静さんのお話です。




「静さん、ゼロ課の人間はまだ翠についてますよね」
「あぁ……今度は何をするつもりだ?」
「とくには何も……。ただ、自由にするだけです」
「ほぉ……。それもかなりの力技で自由にするつもりか」
「……相手が翠なので」
「それの意味するところは?」
「……優しくするだけじゃなまぬるい。そんなんじゃあいつは動かない」
「……だから、追い詰める――か」
「…………」
「私としては親友夫婦の娘さんには優しくありたいんだがな」
「それはそちらの事情でしょう。こちらにはこちらの事情があります」
「察するよ。何せ、碧と零樹の娘だからね。差しあたって何をすればいいのかな?」
「ゼロ課だけで警護は不十分ですよね?」
「あぁ……そういうことか。警備を動かしたいんだな?」
「はい。秋兄に悟られず……」
「しかし、そこは私の管轄ではないし、秋斗に気づかれずに動かすのはかなり難しいと思うんだが……」
「だから静さんの権限が欲しい」
「……なんだ、すでに手配済みなのか?」
「唯さんの協力なしには無理でしょう? けれど、唯さんが犯罪を犯さず自由に動くには秋兄より力のある人間からの命令なり指示が必要になります」
「わかった。許可しよう」
「ありがとうございます」
「ただし――」
「心配なさらず……。翠の体はまだ万全じゃない。でも、こっちも強硬手段に出るからにはバックアップ体制は整えています。姉さんから聞いてませんか?」
「……聞いてないな」
「姉さんをはじめ、病院側を巻き込んでいます」
「なるほど。そこらへんは手抜かりなくということか」
「……自分だって、翠を危険に晒したいわけでも危険を冒したいわけでも苦しい思いをさせたいわけでもない」
「わかった。やりたいようにやれ」
「ありがとうございます」





本当はゼロ課を出したかったんです(苦笑)
でも、お話しのルート変わっちゃったから出せなかった(苦笑)
こうやって要所要所に置いておいたポイントを軒並みスルーされた件。
いつだって作者形無しです……orz
どんなに誘導をがんばってみてもそっぽ向かれてばかり。
悲しい……(〒_〒)ウウウ

それでですね、走りに走ってすっごく体調が悪い状態の翠葉さんが空港で秋斗さんを見つけ、秋斗さんに答えを言うわけです。
秋斗さんのことを好きだったけど、今は司が好きです、って。
その直後に倒れるわけですが、背後から現れた司が、




「やっと選んだ――バカだな。最初からこうすれば良かったものを……。翠がどっちを選んでも漏れなくもうひとりくっついてくるんだ。どっちかを失うことなんてあり得ない。俺たちのつながりを誰よりも知ってるくせに……。早く気づけよ……」




と、ボソリと呟くシーンなどがあったのですが(〒_〒)ウウウ
えぇ、ことごとくボツですよ、ボーツー(苦笑)

そのあと、ヘリで病院まで運ばれるのは同じなのですが、ICUで目が覚めたときのお話もボツ話としてご用意してあります(ただ単に本採用されなかったから“ボツ”という名のお話になってしまっただけ……)





 目が覚めると秋斗さんがいた。そして、ツカサがいた。
「おはよう」
 ふたり口々に言う。
 私が何か話さなくちゃと思って口を開けると、ツカサに水差しを突っ込まれた。
「翠の話しは後。とりあえず診察が先だから」
 ナースコールはすでに秋斗さんが押していた。
 湊先生の診察が済むと、再びふたりがベッド脇にやってくる。
 再度、私が口を開こうとしても、やっぱりツカサに遮られた。
「この人、とっととアメリカに行かせなくちゃいけないから、優先順位的にこっちが先」
 秋斗さんは苦笑する。
「ごめんね。親御さんより先に俺たちいれてもらっちゃてるから」
 そう言われてみれば……と思いながら、秋斗さんに視線を戻す。
「俺、会社を立ち上げたんだ」
「え……?」
「翠葉ちゃんに作ったようなモバイル医療機器専門のね。湊ちゃんたち現場の声を聞きながらあったら便利なものを作る会社」
 いきなりすぎてなんの話をされてるのかに戸惑った。
「話を戻すね。翠葉ちゃん、今は司を好きでいいよ。両想いならふたり付き合えばいいと思う。でも、俺は翠葉ちゃんが誰を好きでもかまわずに君が好きだから」
「っ…………」
「うざったい? 重い?」
 訊きながら笑う。
「でも、そのくらいは勘弁してほしいな。それに――またいつ心変わりするかわからないでしょ?」
 ドキっとした。
「翠葉ちゃんは俺を好きだったのに、記憶が戻った時に司が好きで……そのことにひどく心を痛めたんでしょう? でも、俺はそんなの気にしないから……。願わくば、また心変わりして俺を好きになってもらえないかと期待する」
「図々しい……」
 ツカサが零す。けれど、
「お前だって俺の立場だったら同じこと思うだろ?」
「……だろうね。実際、秋兄じゃなくて俺を好きになればいいと思ってずっと待ってたわけだし」
 しれっと答えて、缶コーヒーに口をつけた。
「そういう相手だから気にする必要ないよ。それに、翠葉ちゃんはまだ進路悩んでるんでしょ? うちの会社に就職しない? 俺にはそういう道も提示してあげられるんだけど? あ、別にツカサと付き合っててもかまわないよ?」 
 急すぎる話にびっくりしすぎて頭がついていかない。
「ま、つまり……君が誰を選ぼうと、俺は君を諦めるつもりはないし、いつだってこうやって会いに来る。でも、今はちょっとアメリカに行かなきゃだから、先に話をさせてもらったんだ。この会話の続きは電話でもいいし、帰国してからでもいいよ」
「でもっ……秋斗さんしばらく帰ってこないんじゃ――」
「……あぁ、そうだった。そこの嘘つき小僧がそんなこと言ってたんだっけ?」
 くすくすと笑いながらツカサを見る。
「それは嘘だよ。君を動かすためのね。仕事の都合で一ヶ月くらい不在だけど、四月前には帰ってくる予定だから」




と、こうなるはずだったんですが……。
空港で倒れるところは同じですが、唯ちゃんと司が「社会人放棄すんな」と申すもので、秋斗さんは泣く泣く渡米することになりましたとさ……。

そんなわけで怒涛のボツ話でした(何



【追記】

古いファイルを漁ってたらずっと探していたボツ話が出てきました(をぃ
唯ちゃん×司のお話しです。
時系列で言うなら、翠葉さんが司に突き放されて、病室で必死に空港までのルートを検索しているあたりの裏話。






「唯さんなら翠がどのルートを探索したのか追えますよね?」
「……そういうとこ、ホント秋斗さんとそっくりだよね? 司っち」
「なんとでも……秋兄が俺の人格形成に関わってることには変わりありませんから」
 ほんっとにかわいくないというか、秋斗さんの高校時代はこの素地にオールマイティーな笑みとを八方美人を持たせただけの差かもしれない。
「追えるよ、追える。そんなの朝飯前」
 タンっとエンターキーを押してその画面を彼に見せる。
 何通りか出てきたけど、たぶんこれ……。
「どれだと思う?」
 訊けば彼も同じ答えを提示した。
「翠は電車やバス、公共の乗り物に慣れてない。だから、極力乗り換えの少ないこのルートでしょうね」
 それは病院からバス、もしくはタクシーで藤倉の駅まで出て、電車に乗り空港直通のバスがある駅で降りる、というルートだった。
「空港直通のバスなら屋内だし移動は全てバスがしてくれる」
 バス電車バス……。それか、タクシー電車バス。
 早朝に抜け出すことを考えるとタクシーを呼ぶのは難しいだろう。病院側が警戒することくらいリィだって考えるはずだ。だとすると――。
「バスですね」
「バスだね」
 顔を見合わせて少し意外そうな顔をした。
「リィが考えてることなんてお見通しってわけか」
 俺がそういうと、
「なんでもっていうわけじゃないです」
 と、無表情で答える。
 司っちがリィの病院脱走計画を持ちかけてきて以来、彼はほとんんど表情を変えない。無表情を守り通している。
「もう一度聞いていい?」
「何をですか」
「どうして行かせるの? このままいたら司っち有利じゃん。なんでわざわざ?」
「自分のためですよ。……先日は翠のためとか言いましたけど」
「どうして君のためになるの?」
「後味が悪くなるのが嫌なだけです。それから……譲られるのも癪でしかない」
 後味と譲られる……か。
「譲るんじゃなくてただ逃げただけだったらどうする?」
「そんなの、捕獲するに決まってるじゃないですか」
 あまりにも当然と言ったように口にするからおかしかった。
「全然違うのに、すごい根っこが似てるね?」
 彼は表情も変えず、
「以前なら反論したでしょうけど……。もう、それについて反論するつもりはありません。俺が秋兄に影響を受けてここまできたのは事実ですから」
 と、答えた。
 まるで、自分と秋斗さんが同じ人を好きになるのも必然だったとでも言うように。
「ねぇ、偶然と必然だったらどっちを信じる?」
「二分の一の確率なら、俺は必然を信じます」
「……ありがとう」
「なんでお礼を言われてるのかわかりかねるのですが……」
「偶然でなんかあってほしくないことってあるでしょ?」
「………………」
「俺さ、血のつながった妹を好きだった。妹も俺を好きだった。でも、妹は長く生きられる体じゃなかった。もし兄妹として一緒にいなかったら、知り合うより前に芹は死んでたかもしれない。短い人生だからこそ、兄妹として生まれて一緒に過ごす時間を誰よりも多く持つことができた」
 ずっと思ってたんだ。
 どうして兄妹なんだって――ずっとずっと思ってきたんだ。
 でも、もしそれが必然ならって考えると、今みたいな答えが出る。
「好きな人が妹だった理由はそういう必然性があったから――そう思うと自分が救われる。だから、ありがとう」
「……俺は何もしてない。それは唯さんが自分で考えて導き出した答えでしょう」
「それでも必然を指示してくれる人間は二分の一の確率だからね」
 そう言って笑うと、彼は無表情を崩し、
「それは、そうですね……」
 と、ほんの少し笑みを見せた。
 作られた笑顔じゃなくて、普通に笑った。





こんなお話しもあったんだよー。
実は空港から帰ってくるところに後半部分のおはなしを入れたかったのですが、この下書きがどこにあるのか見つけられなくて、同じものが書けないのが嫌でスルーした件……。
後日、司サイドにこそっと加筆しておこうかな……。
またファイルがどこかにいっちゃいそうなので、一応ここにボツ話としてあげておく(駄


最終章 席次表の真意 湊×静

プラネットパレスでの晩餐会。
そこでは藤宮の人間に挟まれる形で御園生家が座っていましたよね。
末席があるかないか、の話はゲストルームに戻ってから御園生家が家族団らんで話していたのですが、その席次を決める際に静さんと湊先生が話していた会話です。





「御園生家ってこういう宿命なのかしら?」
「くっ、今さらだろう?」
「今さらって言われたら今さらなんだけど……。でも、ものの見事に囲まれてるわよ?」
「プラネットだからな。最初から末席など存在しない。あるのは、招かれた客によるサークル……つまり、"縁"のみだ」
 私は思わず目の前に座る男をまじまじと見つめる。
「なんだ?」
「いや……ずいぶんときれいにまとめるから頷きそうになったのよ」
「間違ってはいないさ。これを作った人間の受け売りだからな」
「は?」
「ここを作った人間がうるさいくらいに丸は円で縁なんだって言ってた。作った本人が席次の意味、必然に気付かなかったら笑ってやろうと思ってる」
「やだ……静にも普通の友達がいたのね? ずいぶん奇特だけど――」
「くっ……その奇特なのも御園生が引き受けてくれている」
 言われて今度はすんなり納得してしまった。





きっとベッドに寝転がりながら湊先生が席次表を眺めていて、それを楽しそうに静さんがくつくつと笑っていたんだろうなぁ……というお話し。
前後にお話しの肉付けができなかったので、一部の会話のみ。
そりゃボツ話になるわけです(^^;;



最終章27話のボツ話

【光のもとで】最終章27話の裏話になるのかなぁ?
本当は翠葉さんが寝オチするのではなくて、唯ちゃんが寝てしまって兄妹のお話を終りにする予定だったんですよね。
……というのは、翠葉さんのお話(相談)がなかなか終わらなくて、翠葉さんを寝かせるため、話を終りにさせるために唯ちゃんが寝た振りをする……というお話になるはずだったのですが、翠葉さん薬飲んで勝手に寝てくれちゃったので、この裏話が使えなくなったという事実。



「あれ? 唯兄寝ちゃった……?」
「…………」
「寝たみたいだな。翠葉ももう寝な」
「ん。蒼兄、おやすみなさい」
「おやすみ」
 そんなやりとりを聞いたのは三十分ほど前のこと。
 今しがた、新たなやりとりが聞こえてきた。
 相変わらずひそひそと声のトーンは落としているものの、静かな室内で聞き取れない声はない。
「リィ、寝た?」
「寝た……っていうか、唯寝たんじゃなかったのか?」
「いや……あのまま話してたら夜明かしちゃうっしょ? あの場合、誰かが脱落すべきだと思ったんだけど? もし、俺がそれやらなかったらあんちゃんやった?」
「いや……無理」
「ほら、やっぱ俺の役割じゃん」
 息子ふたりは、口裏を合わせずに妹を寝かしつけるために己がとった行動を省みる。
「ところでさ、碧さんってさ零樹さんのどこを好きになったんだろうねぇ……」
「んー……知りたいようで知りたくない」
「あら、教えてもいいわよ?」
「「えっ!?」」
 ロフトから驚いた顔がふたつ。
 私は階下から息子の会話に参戦したのだ。顔を付き合わせての会話じゃないからこそ話せることもある。
 これはそういう内容な気がした。
 面と向って訊くのは少々恥ずかしく、答える側もうら若き頃を思いだしたりしてちょっと気恥ずかしい。
 けれど、別に話したくない内容でも隠す内容でもない。
 ただ、お互いに少し気恥ずかしいだけなのだ。
「マイペースなところ。ひたすらマイペースなところよ」
「でも、それを言うならオーナーだって……」
「零が静の上を行くのはそこのみ。勉強も運動も器用さも静のほうが上。ただ、私に振り回されないっていう点ではこの世で一番なの。そう考えたら、私より強いのは世界でひとりね」
 誰だかわかる? というような視線を向けると、ふたりは自分たちの間に横たわる妹を見た。
「そう。娘の翠葉」
「いや……でも――スンマセン。リィはやっぱり碧さんの娘ってことで……」



なんてことのない閑話のようなものがあったのですが、これを一話の長さにはできないなぁ……と思って、ボツ話決定。
碧さん×蒼樹×唯ちゃんのお話って、翠葉さんが入院したときに三人で翠葉さんの身の回りのものを幸倉の家に取りに行ったときしか書いたことなくて、なんとなく書いてみたいなぁ……と思ったのがきっかけ。
(結局使えなかったけど(笑))

碧さんが息子や娘の“お母さん”って感じよりも、“対等”に話す感じが好きです。
そう考えると、零樹さんは扱いはちゃんと“人”なんだけど、「娘と息子ー! 俺、父親!」みたいな感じも好きです^^ ←つまりうちの子たちはみんな好き。
【光のもとで】は、キャラひとりひとりが持っている、人とのスタンスが好きなお話です。
よろしかったら、【光のもとで】のどんなところが好きかお聞かせくださいm(_ _"m)ペコリ



光のもとで 最終章 32話 ボツ話

二日連続でボツ案のお話UPです(笑)
今日UPするのは、32話の一部。
湊先生たちの挙式後の披露宴での1シーンです。

一通り料理を食べた後は人が立ち歩きだして、親は親、子供は子供で集まって談笑してる……という状況にしようと思っていたのですが、あまりにも翠葉さんが無理すぎてやめました(苦笑)
その、無理っぽさをお楽しみいただけたら何よりです^^



*****


「いやー、それにしても世間って狭いな? じっちゃんと翠葉が知り合いだなんてさ」
 海斗くんの言葉に固まった。
 バカだなと思う。何もここまでわかりやすく動揺することなかったのに。
「翠葉?」
 海斗くんが私の名前を呼ぶと同時にツカサが声を発した。
「海斗。飲み物なくなった」
 テーブルにコツリとグラスを置くと、
「こっちも」
 と、秋斗さんがグラスを振って見せる。
「あ、じゃぁウェイター呼ぶわ」
「「海斗が行けよ」」
「なんで俺っ!?」
 反発する海斗くんに唯兄が絡みつく。
「海斗っち~……お水ぅ……俺はぁ、お水が飲みたいでえええす」
「げっ……唯くん、どれだけ飲んだの!?」
「わっかんなあああい! とにかくお水~……」
「わーった! わーったからちょっと待ってて」
 言いながら席を立った。
「ごめん、なさい……」
 気を遣わせてしまったことを謝ると、唯兄に抱きつかれる。
「ハズレ……」
 言うと、唯兄は力が抜けたように崩れ落ちた。
「わっ、唯兄っ!?」
「ハズレったらハズレなんらかーねぇ……そんならから、つかしゃっりろかあきろさんにつけこまれるんら……」
 しばらく待ってみたけど、その後に言葉が続く気配はなく、聞こえてくるのは穏やかな寝息。
 きれいにスタイリングされた頭をじっと見ていると、
「寝た、のか?」
 蒼兄に訊かれ、
「たぶん?」
 答えると、秋斗さんがクスクスと笑いだした。
「唯、酒は強いほうじゃないんだ。ここまで飲むのも珍しい」
 言いながら、私の上で寝てしまった唯兄を抱え上げた。
「でも、酔ってても頭の回転は悪くないんじゃない?」
 会話に入ってきたのは湊先生。
「あっ……湊先生、ご結婚おめでとうございますっ」
「あー、ハイハイ」
 手でポイポイと払う仕草を伴って、そんなことはどうでもいい、と一蹴されてしまう。
「それより、ソレ。似合ってるわね」
 指差されたのは自分の後頭部。すぐに髪飾りのことを言われてるのだと気づく。
「あの、今日が湊先生のお誕生日って私知らなくて……。プレゼント用意してないのに、逆に頂いてしまって……すみません」
 言うと、大きくため息をつかれた。
「あんたのそれは変わんないわね? まずは、ありがとう、でしょ?」
 湊先生の言葉にツカサが口を挟む。
「とりあえず、姉さんは誕生日も祝われとけばいいと思う」
 湊先生はきょとんとした顔でツカサを見る。
「……それもそうね?」
 その場に集まる人の視線が一斉に自分を向き、一層いたたまれなくなった中でお誕生日おめでとうございますを伝え、髪飾りのお礼を言った。
 唯兄はスタッフに抱えられて強制送還。付き添いたいと申し出たけど、その願いは即座に却下された。
「んなの、寝かせとけばいいのよ」
 湊先生の言葉に皆が頷き、御崎さんが私を気遣って言ってくれた言葉は、
「ご心配でしたら医務室へ運ばせていただきます。お嬢様はパーティーを楽しまれてください」
 御崎さんは藤宮の人じゃないのに、この笑顔に逆らえる気がしない……。
 結局、食い下がることができなかった私は今も披露宴会場にいる。
 同じテーブルに秋斗さんもツカサも海斗くんもいて、唯一味方と思えるのは蒼兄だけで。この5人でいったいどんな会話をするんだろう?


*****




どんな会話をさせたらいいのか、翠葉さんが困る以前に私が困り果てたので、このルートは却下されました(^^;;
結果、唯ちゃんが歌を歌わされたという何か……。←酔いつぶれるのはそのまま(笑)

いつも、「わからないなぁ……」って思うことは書いてみてます。
書いてみて、「あぁ……ここで詰まるからこのルートは無理」とか、「ここさえクリアできれば先につなげられるのに」とか「伏線になるのに」とか。
常にそんなことばかり考えて書いてます。
切り口を変えて書いても先が書けないときは、たいてい「使用不能ルート」です。
一話書くのに、全く書き直さないこともあるし、10回以上書き直すことも……。
2000文字くらいならそこまで抵抗ないのですが、3000文字超えるものを書き直すときは勇気がいります(苦笑)
で、無駄にあがいて、「やっぱりダメか……」というところにたどり着いて書き直します(笑)
さて、次の37話はすんなり書けるのでしょうか(^^;;

頑張ろ頑張ろっ!


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