01話はほぼほぼそのまま使ったので、02話からのボツ話となります。
迷走しているのが(話に矛盾点が出て困っている様)よくわかるお話になっています(何
絶賛下書き中の状態の文章を確認もせずコピペしているので、誤字脱字、文章の重複などがあるかもしれません。
あくまでボツ話としてお楽しみくださいm(_ _"m)ペコリ
【02話】
霞がかっていた視界がしだいにはっきりとしだす。目に見えるものの輪郭が一本の線になってから、私は辺りを見回した。
ここは幼少期を過ごしたアパートの一室……。
ダイニングの片隅に、靴を履き替えるスペースがあるだけの玄関があり、華奢なヒールの靴が散乱している。ダイニングにはツードアの冷蔵庫と、食器棚代わりのラックがひとつ。
ラックの上には電子レンジらしきものが置いてあるけれど、そのほかに調理家電と思しきものはない。ダイニングテーブルも椅子もない、ガランとしたスペース。それがこの家のダイニングだった。
ダイニングに面しているのは六畳ほどのリビング。
折りたたみ式の小さなテーブルと、カバーが破れたピンクの座椅子がひとつ。ほかには、大きさの異なる薄汚れたクッションがふたつ。小さいテレビも置かれていたけれど、そのテレビがついていた記憶はあまりない。
リビングの窓から見える外は、地面に砂利が敷き詰められていて、突き当たりには灰色のブロック塀が聳えている。その光景から察するに、部屋は一階だったのだろう。
リビングの右隣にもう一部屋あって、その部屋には常に布団が敷かれていた。
どの部屋も、窓からの採光が望めない薄暗い部屋で、湿気がひどかったのか、窓際の白い壁はところどころが黒ずんでいた。
幼い私には、黒い染みの一部が薄笑いを浮かべた人の顔に見え、気味が悪くて、それが見えないダイニングの片隅に座り込んでいることが多かった。
そう……。寒い季節は冷蔵庫の近くがあたたかくて、暑い季節はダイニングとリビングを仕切るガラス戸が冷たくて気持ちがいい。
その温度を思い出すように冷蔵庫へ手を伸ばし、馴染みある振動と温度を手のひらに感じてから部屋を振り返る。
倒れたゴミ箱、中途半端に潰された缶、食べかけのお弁当、飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられた洋服――
部屋はいつでも雑然としていて、部屋のあちこちにゴミ袋があり、洋服がそこら中に山積していた。
その家には、私とひとりの大人が住んでいた。
その大人が「親」であることも、「母」であることも、幼い私は認知していなかった。
毎日やってくるその人は、いつも機嫌が悪くて、怒らせたらいけない人――そういう認識だった。
その人は外が暗くなるころに部屋を出て行き、明け方にやってくる。
部屋を出て行くときにはいい香りを身に纏っているのに、戻ってくるときにはなんとも言えない不快な臭いを漂わせていた。
幼かった私は、いい匂いは時間が経つと臭くなるのだと思っていたけれど、いい匂いと感じたそれは香水で、不快に感じた臭いは香水やアルコール、タバコの臭いが混ざったものだったのだろう。
私は毎朝、その人が帰ってくる音で目覚めていた。
その人はカンカンとハイヒールの音を鳴らしながらやってきて、家のドアを開けると靴を脱ぐのもそこそこに倒れこむ。そして、「雅、水っ」と言うのがいつものこと。
しかし四歳の私が背伸びをしたところで流しの縁に手が届く程度。どうしたってその先にあるレバーに手は届かない。
栄養状態の悪かった私は著しく成長が遅く、一般的な四歳児と比べると、格段に体格が小さかったのだ。
その人も手が届かないとわかっていて口にしていたのだろう。
何もできない私に舌打ちをすると、苛立ちを隠すことなく手近なものを私へ向かって投げつけた。
重量のないゴミやペットボトルならさほど痛くはない。けれども細かいビジューが表面を覆う、小さくて硬いバッグを投げつけられたときは痛かった。それが当たったときは決まって痣ができたし、ビジューで傷ついた肌が血で滲むこともあった。
その人は自力で水を汲むと壁に背を預け、気だるそうに私を見ながら水を飲んでいた。
そのときの視線が忘れられない……。
あの、人を蔑むような視線は、幼いながらに居心地の悪さを感じたものだ。
幼い子どもに視線の意味や理由を考えることはできない。ただ、得も言われぬ不安に萎縮するのみ。
この人を怒らせてはいけない。この人を怒らせたら良くないことが起きる――
何を知らずともそれだけはわかっていて、私は極力口を開かず、キッチンの片隅に佇んでいた。
酔って帰ってくると、その人はよく言っていた。
「こんなはずじゃなかった。本妻になっていたら、こんな生活とは縁を切れたのに」と。
当時は何を言われているのかさっぱりわからなかった。それでも、口調や視線から、自分が責められていることはなんとなくわかっていた。
そして今なら、その言葉が何を指していたのか、その人が何を思って口にしたのかをきちんと理解できる。
私は婚外子だったのだ。わかりやすく言うなら、不倫の末にできた子だ。
ただそれだけなら、私を産んだこの人がここまで荒むことはなかったのかもしれない。
生物学上私の父となる人は、社会的地位のある人間――泣く子も黙る、藤宮グループの御曹司だったのだ。
そんな人間との結婚を夢見てしまったがゆえに、今の生活を受け入れられない――それが母だった。
だいたいにして、既婚者との不倫がうまくいく確率などそう高くはない。家柄や社会的地位が絡めばなおのこと。
そもそも父は保守的な人間で、体裁をひどく気にする性質だ。
家柄の釣り合う人間と結婚していたならば、夫婦間がうまくいっていなかったとしても、離婚することはないだろう。もっと言うなら、私という存在が産まれることだってよしとはしなかったはず。
自分の体裁が傷つく以上の見返りがない限り、婚外子など認めないし、自分が関係を持った女が妊娠したと知れば、どんな手を使ってでも中絶させると断言できる。
この人は、父がそういう人間であることを知りもせずに私を産んだのだろうか。
……否。察することすらできなかったのなら、私は産まれていない。
つまり、父がどんな人間なのかは多少なりともわかっていて、妊娠を悟られないよう策を講じたと考えるべき。
あの父に妊娠を隠し通したことはすごいと思う。けれど、その先の見通しが安易すぎた。
当時父と正妻の間に子はなく、母は自分が子どもを授かりさえすれば、本妻の座に収まれると本気で信じていたのだ。
父を知る身からすれば、「バカらしい」の一言に尽きる。けれども、一般的にはどうなのだろう。
誰もが知る藤宮グループの御曹司の子を身ごもったならば、たとえ自分が不倫相手でも、本妻になれると疑うことなく思うものだろうか。
そんなわけがない……。
普通の感覚を持った人ならば、そんな自分本位な考えは思い浮かびもしないだろう。
そもそもの関係が不倫だし、父の性格を考慮すればなおさらだ。
「藤宮」が後継者問題を抱えていれば話は変わってくるのかもしれないけれど、藤宮グループの次期総帥は決まっていたし、次々期総帥まで決まっていた。私が産まれたところで何が変わることもない。このくらいの情報は、一族の人間でなくても容易に知ることができたはず。
それを踏まえて考えれば考えるほど、私を産んだ人はとてもおめでたい思考回路で、ご都合主義者だったと言わざるを得ない。
この人の口癖はほかにもある。
「あんたがいなければもっと楽に生きられたし、こんなことにだってなってなかった」。
それもいかがなものか。
私を産むと決めたのは自身のはずだし、私がいてもいなくても、母の生活はさして変わらなかったんじゃないだろうか。
家に私がいても日替わりで違う男を連れ込んでいたし、私がいたから、と言われるほど自分に時間を割いてもらった覚えはない。
でもそれは、私の記憶がはっきりしている部分において、の話だ。
退行催眠を繰り返すことで、曖昧だった記憶は鮮明になり、三歳以前の記憶も少しずつ思い出すことができた。
産まれたばかりのころはかわいがられていたのかもしれない。愛されていたのかもしれない。そんな願望が少なからずあったけれど、産み落とされたその瞬間から、母は私を金づるとしてしか見ていなかった。
おそらくは妊娠中も、「大事な金づる」としか思われていなかったのだろう。もっと言うならば、愛し合った末に生まれた命ですらない。
そんなこと、誰に言われずともわかっていた。でも改めて突きつけられると、心を切り刻まれる思いだった。
母にどう思われていたかはともかく、この世に産まれた私を数年間生かしてくれた人に違いはない。生まれたばかりの子どもは、誰かが世話をしてくれなければ命をつなぐことすらできないのだから。
母はひとりで私を産み、産後落ち着いたころに父へコンタクトを取ろうとしたらしい。けれど父の秘書に門前払いされ、父と直接話すことは叶わなかったのだとか。結果、最初の一年は貯金を崩して生活をしていたという。
やがて貯金が底をつき、生活保護を受けアパートの一室で身体を売って生活をつなぎ始めた。
それでも収入が足りず、夜の仕事を再開したのは私が四歳になる年のこと。
本格的に育児放棄が始まったのが、四歳のころだったのだ。
退行催眠ですべてを思い出せるわけではないけれど、静さんに渡された調査報告書の裏づけとなる記憶は、十分に得られていた。
【03話】
あのころ、一日にご飯を食べられたのは良くて二回だったと記憶している。
たいていは、パンが入った袋が無造作にテーブルへ置かれていて、喉が渇くとバケツに汲まれた水を飲んで過ごした。
栄養面や衛生面を考えれば問題しかないけれど、何もないよりはいい。
それらがあったおかげで、私は餓死せずに済んだのだから。
生き物に備わる「生存本能」は、幼い子どもであっても働くらしい。私は人に指示されることなく飲み食いすることを心得ていた。
しかし、「本能」で何もかもクリアできるわけではない。人が人らしく暮らしていくには、教えられなければ習得できないことのほうが多いのだ。
そのひとつが「排泄」。
母は私に「トイレ」を教えはしなかった。私は産まれてからずっと、オムツを履かされていた。
母が家にいたころは、文句を言いながらも日に数回替えてくれていたけれど、母が夜の仕事を再開してからは、一日中同じオムツを履くことになった。
最初こそ排泄後の気持ち悪さに泣き喚き、自分で脱いでしまうこともあったけれど、脱いだときにはものすごい剣幕で怒られたし、泣き喚いたところで何が変わることもないとわかると、私は泣くこともなくなり、不快感に対して鈍感になっていった。
しかし、いくら本人が鈍感になろうがオムツ自体に限界がある。
オムツから排泄物が漏れ出て部屋を汚してしまうことも多々あったけれど、母は感情に任せて怒るばかりで、決して「トイレ」を教えようとはしなかった。
そんな私が藤宮に引き取られたのは、四歳になってすぐのこと。
「やっと役に立った。あんたと別れられて清々する」。
そんな言葉とともに家から追い出され、唖然とした私は外に待機していた黒服の男に抱き上げられた。
外に出る習慣がなかった私は、屋外というだけで不安に駆られる。
車を見たことがなかったわけではない。でも、乗るのは初めてだし、チャイルドシートを見るのだって初めてだ。そこへきて、チャイルドシートに固定され、身体の自由を奪われたらパニックにだってなる。
私は数ヶ月ぶりに泣き叫んだ。
声が枯れるまで泣いて気づいたことはひとつ――
私がどれほど泣き喚いても、隣に座る黒服の大人は痛いことをしない。母のように怒鳴ることもない。それどころか、無言で私の頭を撫でていた。
自分に伸びてくる手は、いつだって「痛い」とセットだったのに……。
「この人はなんだろう?」――そんな思いで隣に座る大人を見上げると、
「今、雅様のお父様のおうちへ向かっています」
四歳児にとって、この文章の難易度はいかほどだろう。
親に愛され、毎日のように話しかけられて育ったならば、理解できる内容だったのだろうか。
わかることといえば、そのときの私には到底理解できない文章だったことくらい。
私は、「言葉」を使って人とコミュニケーションをとる知能がなかったのだ。
車が停まったのは、大きな洋館の前だった。その洋館こそ、私が四歳から二十四歳まで暮らした場所でもある。
それまで住んでいたアパートの玄関ドアだって、四歳の私からしてみたら大きなドアだった。しかしこの建物のドアは比べ物にならないほどに大きなもので、幼い私には「ドア」と認識することができなかった。
「ここが雅様の新しいおうちです」
私を抱えて歩く黒服の男はそう言った。
「雅様」が自分を示す語句であることはなんとなくわかっていて、「おうち」の意味もおぼろげではあるが理解できていたと思う。でも、私にとっての「おうち」は今まで過ごしたアパートだし、「新しい」という言葉が理解できない私は、何を言われているのかさっぱりわからなかった。
建物の中に入ると同じ服装の女性が三人待機していて、私はその人たちに託された。
最初に連れて行かれたのは、自宅のリビングより広い部屋。
その部屋はとてもあたたかく、なんだかいい匂いがした。
出かける前の母から香ってくるような鮮明な香りではなく、もっと柔らかくて優しい掴みどころのない香り。
その正体を探すべく室内を見回すと、壁面に見覚えのあるものを見つける。
シャワーヘッドだ。
母がそれを手に持ったときは、容赦なく冷たい水を身体にかけられた。
恐怖心から後ずさるも、大人の手にすぐ捕まってしまう。
今度こそ痛いことをされる。冷たい水をかけられる――
私は身体を丸めて縮こまり、次にくる衝撃に備えて目を瞑っていた。けれども、どれほど待っても「痛い」も「冷たい」もやってこなかった。
そっと目を開けると、心配そうにこちらを見る目があった。
「何を恐れられておいでですか?」
たずねられても言葉の意味がわからない。
不安ばかりが膨らむ中、再度手が近づいてきて、私は反射的に目を瞑った。けれどもその手は、私の頭を優しく撫でただけだった。
伸びてきた手が「痛い」ことをしないのは、私をここへ連れてきた人に続いてふたり目。
「何も恐ろしいことはありませんよ」
声は優しく響き、その人は何度も頭を撫で、背中を擦ってくれた。
ただそれだけのことに、ひどく安心したのを覚えている。
「汚れたお洋服は脱いで、身体をきれいに洗いましょう。髪の毛も洗って、乾かしたら少し整えましょうね」
今思えば何も難しいことは言われていない。でもあのときの私には、理解できるわけがなかった。
それでも、服に手が伸びてくればその先は想像に易い。
服を脱がされれば問答無用で水をかけられる。そう刷り込まれていたがゆえに、私はバスルームの中を逃げ回った。しかし大人三人に子どもひとりだ。すぐに捕獲されてしまうし、粗末な服はいとも簡単に脱がされてしまう。
シャワーヘッドを手に持った人が近づいたときに、私は泣き出した。
そこで、シャワーヘッドを怖がっていることを理解したのだろう。
三人は言葉少なに話し合い、シャワーヘッドをフックへ戻すと洗面器を用意した。そこへ水を張ると、優しく私の手を取り水に触れるよう促す。
もともとバケツに張られた水を飲んで過ごしてきたのだ。目の前にある光景は決して恐ろしさを感じるものではない。
促されるままに水へ手を浸すと、手に触れるものがいつもと異なることに気づく。
私は驚きに目を瞠った。
私の知っている「水」はひんやりとしていて、時期によっては身を刺すような感触を得るものだった。でもこれは――
疑問に思いながら何度も手を浸す。
「……みず?」
近くにいた女性にたずねると、三人はクスクスと笑った。
「これは『お湯』です」
「お、ゆ?」
「はい。お水があたたかいものは『お湯』と申します」
「おゆ……」
私は確認するように、何度も何度も手を浸した。その感触は、冷蔵庫から伝う柔らかな熱によく似ていた。
私は知らないことをバスルームでたくさん学んだ。
人の手が近づいてきたからといって、痛いことをされるわけではないこと。シャワーヘッドからは、ひんやりとした水だけではなくあたたかいお湯が出ること。身体をきれいにするときは、白い泡が立つ石鹸を使うこと。頭を洗うと気持ちがいいこと。お湯に触れると、身体や心がポカポカしてくること。
今まで経験したこともなければ、知らなかったことばかり。
そんな私の最後の試練はバスタブだった。
自宅のバスルームにも四方を囲まれたスペースはあったけれど、狭いそこは私の動きを封じるためのもので、汚れた私に水をかける場所でしかなかったのだ。
そこに水が張られていたところなど見たこともなければ、その水に浸かるという発想には到底至らない。何よりも、見たこともない大きさのバスタブに尻込みをしていた。
バスタブから遠ざかる私に手を差し出してくれた人は、にこりと笑ってバスタブの水に手をくぐらせる。
「雅様、これはお湯ですよ」
「お、ゆ……?」
「そうです。あたたかいお水です」
身体を洗うときも頭を洗うときも、あたたかい水を使った。それはとても気持ちがいいものだった。
「お湯の中に入ってみませんか? あたたかくてとても気持ちがいいですよ。ほら、ヒヨコさんが一緒に入りましょう、と申しております」
バスタブには、色とりどりの何かが無数に浮かんでいた。けれど、おもちゃで遊んだことのない私には、それらを「遊び道具」と認識することはできなかった。
それでも、見たことのないものに対する好奇心はあったらしい。私は物珍しいものへ向かって一歩二歩、とバスタブへ近づき、水面に浮かぶものを注視した。
「動物はお好きですか?」
「どう、ぶつ?」
女性は手近なおもちゃを手に取ると、
「これはヒヨコです」
「ひょこ……?」
「はい。こちらはワニです」
「わに……」
「はい。ヒヨコもワニも生き物、動物ですよ」
「どう、ぶつ……」
おもちゃは動物を模したものばかりで、その人はそれらすべての名前を教えてくれた。そうして私の警戒心が緩んだころ、再度バスタブへ浸かることを勧められたのだ。
「私が手をつないでおります。それでしたら怖くはないでしょう?」
相変わらず何を言われているのかはわからない。それでも、この場にいる人が自分に危害を加えることがないことはわかり始めていて、私は促されるままにバスタブへ足を踏み入れた。
お湯は私の身長を考慮して張られており、腰を下ろしても水面は胸元までしかなかった。
初めてのお風呂で十分に温まると、次は恐ろしく柔らかなタオルに包まれる。
肌に当たるそれはふわふわしていて、穏やかな香りに夢見心地にさせられる。
うっとりとしたままタオルに頬を寄せると、女性たちにクスクスと笑われた。
「さ、水気はきちんと吸い取りましたから、お風邪をお召しになる前にお洋服を着ましょうね」
そう言って見せられたのは、フリルがふんだんにあしらわれた淡いピンクのワンピース。
もちろん、そんな洋服は見たこともなければ着たこともない。今まではサイズの合っていないTシャツに、オムツ姿だったのだから。
そんな私でも、きれいな色やかわいいもの、新しいものに対する「ときめき」は感じることができた。
ドキドキしながら袖を通し、背中のファスナーを上げてもらう。と、同じ女性の手によって髪の毛を乾かされ、丁寧に櫛を通しては前髪を切られた。
物心付いてからずっと、視界に髪の毛が映るのが常だったこともあり、急に開けた視界に驚いた。
「さ、かわいくなりましたよ。雅様、こちらへお越しくださいませ」
手を引かれ立たされた場所は、鏡の前だった。
目の前に、自分が着た洋服と同じ格好をした子が立っていた。私をじっと見て――
私が手を伸ばせばその子も同じように手を伸ばす。
不思議に思っていると、
「雅様、これは鏡です。こちらに映っていらっしゃるのは雅様ご自身ですよ」
私は産まれて初めて、鏡に映る自分の姿を目にした。
バスルームの次に連れて行かれたのは、庭園に面する一室。
室内は明るく開放感があり、屋内からでも外に咲く花々を楽しむことができる。その部屋にいたのが歌子――現在の継母だ。
「奥様、雅様をお連れいたしました」
白いワンピースを身に纏った歌子はソファに座り、花柄が美しいティーカップを傾けていた。
線が細く抜けるほどに白い肌の女性はゆるり、と首をめぐらせ私に視線を向ける。
顔立ちのはっきりとした、見目麗しい女性だった。歌子は数秒間私を見て視線を外すと、
「貧相だけれど、器量はまあまあね……。それにしても、なんて中途半端な時期に引き取ったのかしら。今からじゃ、幼稚部に入れられないじゃない……」
歌子は窓の外を見たまま、
「メイド長、礼儀作法の先生は二宮先生を。お稽古ごとは――最低限でかまわないわ。書道、華道、茶道、それぞれの先生に連絡を。目標は藤宮学園初等部の受験。もしもパスできなかったら、あなたの仕事がなくなると思いなさい」
「かしこまりました」
「そのほかの一切をメイド長に任せます。よろしくて?」
「承知いたしました」
私と継母の対面は以上、だ。
「新しく母になる人」という紹介もなければ、私自身を紹介する言葉とて、先ほどメイド長なる人が口にしたのみ。
どういう経緯でここへ連れてこられたのかも、これからどうなるのかも、何も話してはもらえなかった。
もっとも、話してもらえたところで、私が理解できるはずもなかったのだけれど……。
藤宮に引き取られた私は、病院でありとあらゆる検査を受けさせられた。
結果は、目に見えてわかる栄養失調のほか、著しい発達の遅れが問題視された。
生活力、社会性、運動、言葉、記憶力――何をとっても四歳児の平均には及ばず、同年代との集団生活は送れないだろうと判断された。
メイド長と医師が何を話しているのかは理解できなかったけれど、哀れむような目で見られていたのは今でも覚えている。
そしてその日から、私は日常生活に必要なことを一から学び始め、言葉の習得を始めた。
最初の数ヶ月は、数人のメイドが付きっきりで面倒を見てくれた。
慣れない生活に戸惑い熱を出すこともあったけれど、私がその生活に順応するまでにそう時間はかからなかった。
優しく話しかけてもらえることが嬉しかったし、知らないことをひとつひとつ覚えていくのはとても楽しかった。
たとえ話している内容がわからなくても、相手が何かを伝えようとしているのは見ていればわかったし、身振りや手振り、直接誘導されることで求められていることを察するのはそこまで難しくはなかった。
さらには、求められたとおりに行動できると盛大に喜び、褒めてもらえた。それが何よりも嬉しくて、私は次々とルールを覚え、知識を身につけていった。
そうして一年が経つころには、同年代の子と変わりなく成長していたし、五歳半ばには、同年代の子たちよりたくさんの言葉を話せるようになっていた。
藤宮学園初等部の受験も難なく合格。
受験では両親同伴の面接があったわけだけど、家族が三人揃ったのはこの日が初めてのことだった。
このころにはアパートで一緒に暮らしていたのが実母であることも、歌子が継母で、現在の母であることも理解していた。
でも、相応の知識を得ても、「家族」がどういうものであるのかはわからずにいた。
本に記される「家族像」やクラスメイトが話す「家族」には共通点があるのに、私が得た「家族」とはまったく違った。
同じ建物に暮らしていても、ともにご飯を食べることはおろか、口を利いたこともない。屋敷内で見かけても冷たく一瞥されるだけで、実の母親に向けられたそれとなんら変わることはなかったのだ。
使用人は皆優しかったけれど、私がある程度のことを理解できるようになると、皆腫れ物に触れるような接し方に変わり、心の距離が開いてしまった。
そんな中、時々訪れる祖父だけは私をかわいがり甘やかしてくれた。けれどその祖父も、私が中等部三年のときに亡くなってしまった。
初等部、中等部のころは養護教諭が心のよりどころだったけれど、その先生も結婚を機に退職してしまい、高等部へ上がると、私は完全なる独りになっていた――
【04話】
衣食住に困ることはなかったし、何をせずとも相応の教育を受けさせてもらえる。でも、私の心が満たされることはなかったし、いつだってどうしようもない虚しさや焦燥感を感じていた。
最初から何も持っていなかったし、何を無くしたわけでもない。けれど、心にぽっかりと穴が空いたような感覚は拭えず、それを埋めるために必死で心理学の本を読み漁っていた。
でも、どんなに時間を費やし小難しい本を読み解いても、心が満ちる感覚は得られず、焦燥感ばかりが募っていった。
もしも心を許せる友人がいたなら少しは何かが変わっていただろうか。けれど実際は、九年間も同じ学校へ通っていたにも関わらず、私にそれらしい存在はできなかった。
初等部に入学したばかりのころは、相応に話せる人もいた。時間が経つにつれて「藤宮の人間」という認知が進み、クラスメイトたちの対応に変化が現れた。
下心ありきで近づいてくる人間もいれば、私が正妻の子どもでないと知ってマウントを取りにくる人間。や、遠巻きにされるようになった。
初等部の始めごろにはそれなりに話せる人もいた。でも年を重ねるごとに、「藤宮の雅ちゃん」という印象が強くなっていき、
少し「藤宮」から遠のけば、何かが変わるかもしれない。
そう思った私は藤宮の大学へは進まず、違う大学を受験した。
そうして違う環境に身をおいたものの、そこでもやっぱりまともな人間関係を築くことはできず……。
もしかしたら、親の愛情に触れずに育った私には、土台無理な話だったのかもしれない。
大学生活が始まってしばらくすると、産みの親がコンタクトを取ってきた。
「あれからどうしているのか心配だった」と――
精神的に不安定だった私は、そんな言葉に絆され母親と会ってしまったのだ。
それが地獄への入り口とも知らずに……。
警護班の人間には「お考え直しください」と引き止められた。けれど私は、「実の母と会うだけ」と突っぱね、警護班を伴わずにひとりで約束の場所へ赴いた。
そこは繁華街の一角。でも、警戒するには至らなかった。
あぁ、きっと今も夜の仕事をしているのだろう。呼び出された場所はおそらく勤務先か何か。そんなふうに思っていた。
薄暗い店に足を踏み入れると母親のほかに、ホストのなりをした男が五人いた。
記憶に残る母は少し老けた程度で、あのころと変わらず派手な服装をしていた。
体型も変わらず、高いハイヒールを履いているのも変わらない。
「ふぅん……。写真で見て知ってはいたけれど、ずいぶんと清楚なお嬢様に育ったじゃない? そのうえ教養もある……。申し分ないわね」
口元に笑みを浮かべ話す様に、「心配」などされていなかったことを思い知る。
私はいったい何を期待していたのか――
だいたいにして、何かを期待できるような過去などひとつもないというのに。
「これなら高く売れんじゃねー?」
母の隣に立つ男は、まるで品定めするような視線をめぐらす。
嫌悪感を覚えると、
「まあ、そう焦らないで? まずはこの子から引き出せばいいのよ。なんたって藤宮のお嬢様なんだから」
「でもよ、御曹司に知れたらやばいんじゃねーの?」
なんの話をしているのかわからずに聞いていると、母はくつくつと笑いだした。
「やだ、あの男がこの子を守るとでも? そんなことあるわけないじゃない。あの男もその奥方も、この子には一切興味がないんだから。それは引き取る前も引き取ったあとも、変わらないわ。この子を引き取ったのだって、養育費だなんだって私から連絡があるのが煩わしくて、私との関係を完全に絶ちたいがために引き取っただけ。現に、金輪際自分に関わらないっていう誓約書は書かせられたけど、それにこの子は含まれてない」
母の言葉に頭を鈍器で殴られた気がした。
必要以上の期待はしないし、夢だって見ない。
でも、小さいころからずっと、父が私を引き取った理由を知りたいと思っていた。何かそれらしい理由があると思っていた。
でも、そんな理由はなかった。ただこの女との関係を絶ちたかっただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
私にはなんの価値もなかった。
そんなの、藤宮に引き取られてからの対応を思い返せばわかりそうなものなのに――
「へぇ~……じゃ、最初はこいつから金を引き出して、金が引き出せなくなったらソープに落としゃーいいな。いい値で売れるぜ?」
その言葉に危機感を覚え、咄嗟に出口へ向かおうとした。けど、気づけば背後に四人の男が立っていて、とっくに退路は塞がれていた。
思わず一歩二歩と後ずさるも、逃げ場が生まれるわけではなかったし、ここへ呼び出した母が助けてくれるはずもない。
私はあっという間に男たちに囲まれ、無理やり服を脱がされては写真を撮られ、動画を録られた。
必死に抵抗したところで複数の男の力に敵うわけがなく、助けを求めたところで誰に届くでもない。
私は絶望を感じながら涙を零し、何度も光るフラッシュと、無機質に響くシャッター音を聞き続けた。
私は実の母に陥れられ、辱められたのだ。
そして、それらの画像や動画を盾に、お金をせびられ始めた。
母からの連絡を無視すると、間を置かずに画像や動画が送られてきて、「無視をするな」と言葉なく脅された。
仕方なくホストクラブへ出向くと、決まって高いお酒を買わされた。支払いはすべてクレジットカード。
クレジットカードの使用料が増えれば両親が何かを言ってくる。気づいてもらえる。そう思っていた私はかなり甘かった。
実際、クレジットカードの使用料は日に日に増していったけれど、それで両親が何かを言ってくることはなかった。母が言うとおり、両親は私に一ミリも関心がなかったのだ。
月に何度かホストクラブへ通い、高いお酒を買って散財する。そんなことが一年以上続いたある日、急にクレジットカードが使えなくなった。
何で気づいたかと言うならば、携帯会社からの連絡で、だ。使用料の引き落としができなかったと連絡を受け、不思議に思ってカード会社へ連絡すると、カードが無効になっていた。
理由を聞いても教えてはもらえなかったし、ほかの信販会社にクレジットカードの申請をしても通らなかった。
幸い、連絡を受けたその日のうちに店頭で支払いを済ませたことから、スマホが使えなくなることはなかった。でも、次に母から連絡がきたらどうすればいいのか――
どうするも何も、ホストクラブへは行かなくてはいけない。そこでクレジットカードが使えないと知れたら、今度こそソープに落とされる。
ソープに落とされたら、もうここへは帰ってこられないかもしれない。
そう思ったとき、脳裏を掠めたのは父と母だった。けれど、すぐに頭を振る。
「たとえ私が消息を断ったとしても、あのふたりは探してくれない……」
まるで最初からいなかったかのように、何事もなく暮らしていいくのだろう。
そんな想像が易々とできるだけに、私は薄ら笑いを浮かべた。
「私ひとりいなくなったって、何も変わらないじゃない……」
ならば、幼かったあのころに命尽きてしまえばよかったのに――
スマホの着信に怯えながら過ごしていると、なんの前触れもなく静さんの秘書である澤村さんがやってきた。
「静様がお呼びです。ご同行いただけますでしょうか」
澤村さんはそれだけ言うと、私の意志を確認することなく屋敷から私を連れ出した。
澤村さんの運転でホテルへ向かうと、従業員通用口からホテルへ入り、業務用エレベーターで四十一階へ上がった。
静さんに呼ばれたのだから、行く先には静さんがいるはず。けれど会長室のある四十一階は、一族の人間とてそうそう立ち入れる場所ではない。
以前、私はそのフロアを訪れたことがあるけれど、それはルールを侵してのことだった。
「あの、澤村さんっ――」
「静様がお待ちです」
澤村さんは会長室のドアを開けると私に入るよう促し、自分は部屋に入ることなくドアを閉めた。
広い部屋の窓際に、一際大きなデスクがあり、静さんはそこに座っていた。
デスクに置いてあった分厚いファイルを手に取ると、静かに席を立ち応接セットへと歩き出す。
「立ち話もなんだから、ソファに座ったらどうだろう?」
そんなふうに促され、私は緊張を纏いながらソファに腰を下ろした。
私の真正面に座った静さんは、「さて」と口火を切る。
「去年の五月十五日、何があったか話せるかい?」
五月十五日――それは実母に再会した日で、思い出したくもない出来事が起きた日。もともと「良い」とは言えない人生で、もっとも最悪を極めた日だった。
動揺に目が泳ぐ。すると、
「話せるかい?」ともう一度訊かれた。
威圧されているわけでも詰め寄られているわけでもない。どちらかといえば、今までにないくらいに声音が優しい。
それでも、私は何を話すこともできなかった。
ずっと誰かに助けて欲しいと思っていたのに、いざそんな機会が訪れたところで、何を話すこともできない。
すると、見切りをつけた静さんがファイルを開いた。
そこには私の出生から、藤宮に引き取られたときのこと。学生生活から最近の生活パターンまで詳細に渡って綴られていた。
静さんは付箋が付いたページを開くと、
「事実ならば頷けばいい。事実と異なるならば首を振ればいい」
そう言って、「五月十五日」の事実確認を始めた。
質問は短く、「はい」「いいえ」で答えられるものばかり。
私は涙を流しながら、それらに答えていった。
最後の確認を終えるとハンカチを差し出され、
「今までつらい思いをさせたね」
その言葉ひどく胸に沁みた。
「この件は責任を持って私が片付けよう。だからもう、怯えなくていい」
そう言われて、私は子どものように泣きじゃくった。
少し落ち着くと、
「スマホを出しなさい」
不思議に思いながらバッグからスマホを取り出すと、
「母親と連絡を取っていたのはこのスマホかい?」
「はい……」
「やり取りは残ってるかな?」
私は首を左右に振った。
母は私を呼び出すと、必ずバッグを取り上げ手荷物検査をした。スマホはすべてのデータを消去され、どんなに小さなレコーダーを持ち込んでも見つかってしまい、店内での会話を録音できたためしはない。
せめて何か証拠になるようなものが何かひとつでもあればよかったのに……。
そう思っていると、
「安心していい。うちには優秀な人間が多いからね、データの復元など朝飯前だ。もっとも、データの復元くらい警察でもできる」
その言葉に顔を上げると、
「別室に知り合いの刑事を待たせてある。私も同席するから、今の話をもう一度話せるかい?」
今の話をもう一度――
今度は知らない人に話すの……?
不安に身体が震え始める。と、
「雅、もう一度だけがんばってくれ。警察に控訴状を出すんだ」
「控訴、状……」
「被害届けと比べたら控訴状のほうがハードルは高い。が、起訴に持ち込めるだけの証拠は揃えてある。必ず受理させる。私はどんな手を使ってでも、彼らを刑務所送りにするよ」
私はその言葉を信じ、静さんに連れられてホテルの別室へ向かった。
その日から、私は身の安全を確保するために自宅へ引きこもることになった。
体面上、それまでの素行に対する罰として軟禁生活と言い渡されたことになっていたけれど、すべては私の身を守るための処置だった。
そのころから静さんは時間を作っては訪ねてくるようになり、短時間であれど、他愛もない話をしては帰って行くということを繰り返した。
始めのころは普通に話すことすら難しく、ひどく対応に困る時間だった。けれど、三ヶ月が経つころにはリラックスして話せるようになっていた。
それでも対人恐怖症の気は治まることがなく、静さんの勧めで専門機関にてカウンセリングを受けるようになった。しかし結果は思わしくなく、最後の切り札に静さんが提案したのが海外での生活だった。
「雅は今後どうしたい?」
今後――
「学生時代からの夢は心理カウンセラー。雅の経歴をもってすればすれは難しいことではないだろう。しかし、今はその時ではない。今は雅が心身ともに健やかになることが最優先だ。わかるね?」
小さく頷いた。
現況、私はとても不安定で、カウンセリングをする側ではなく受ける側の人間だ。
「海外の大学で、研究の続きをしてみたらどうだい?」
「海外……?」
「雅が学生時代にお世話になった養護教諭の星野あかりさんを覚えているかい?」
忘れるわけがない。私の人生で、一番親身になって話を聞いてくれる人だった。そんな人を、忘れるわけがない――
「彼女は今、夫と息子と三人でニューヨークで暮らしている。しばらく彼女のもとで過ごしてみてはどうだろう」
「っ……そんな、あかり先生にご迷惑はかけられませんっ」
「彼女は迷惑だなんて言わなかったよ。むしろ、ずっと気にしていたようだ。すぐにでも雅を受け入れると言ってくれている」
私はただただ驚いていた。もう何年も経っているのにあかり先生が一生徒である私のことを覚えていてくれたこと。気にかけてくれていたこと。今すぐにでも受け入れてくれるということ。すべてが嬉しくて、目に涙が滲み出す。
「もちろん、星野さんには相応の謝礼を用意する。そのあたりのことを雅は考えなくていい。雅は何も考えず、彼女たちの好意に甘えてみたらどうだろう」
そこまでの後押しをしていただいて、私はコクリと頷くことができた。
当初は大学へ通い、研究を進める予定だった。そのつもりで準備をしているところへ静さんが秋斗さんを連れてきた。
「雅の海外行きを話したら、秋斗がどうしても会いたいと言ってね。少し話してみないかい?」
日本を発つ前には秋斗さんと翠葉さんに謝罪をしたいと思っていたけれど、
「私は今、ニューヨークでFメディカルの海外支部長をしています」
「その通りだ。君は立派に社会へ貢献しているし、何もできない無力な女の子ではない」
その言葉にゆっくりと目を開ける。
照明を抑えた部屋に見知った顔を見つけると、
「退行催眠をしても、取り乱すことがなくなったね」
ドクターの言葉に少し困る。
「そうですね……。最初のころに比べたら、そこまで取り乱さなくなったように思います。……でも、あの日の出来事を思い出すと、未だに身体が震えるし、涙が止まらなくなります」
不安から自分の両腕で身体を抱きしめると、優しい声が降ってきた。
「世の中には女性に対しひどいことをする男もいる。だが、そんな人間ばかりではない。ミヤビを心から愛し、慈しんでくれる男はきっといる」
ドクターはいつだってそう言ってくれる。けれど、私のような人間を好きになってくれる人が本当にいるのかしら……。世界中、どこを探しても、そんな人はいないように思える。
返答に困っていると、
「僕の言うことが信じられないのかい?」
「そういうわけでは……。でも私は、親にすら愛されなかった人間ですから……。この先誰にも愛されないんじゃないかと思ってしまうし、親の愛情を知らずに育った私には、何か欠陥があるのではないかと思ってしまいます」
「親の愛情は確かに大切なギフトだ。けどね、世界には親の愛を知らない子どもはたくさんいるし、だからといって彼らに欠陥があるわけではない。それに、ミヤビはアカリの愛を知っているだろう? ミヤビはアカリに愛されている。アカリの夫、デービットにも愛されている。ふたりの子どものスティーブにだって好かれているじゃないか。愛情は親から与えられるものだけではないよ」
「はい……」
「ミヤビ、僕を見て?」
リクライニングチェアからゆっくりと身体を起こすと、私はドクターの青い目をじっと見つめた。
「君は幸せになる。過去を受け入れ今を見つめることのできる人間は、未来を切り開ける人間だ。君は必ず幸せになるよ」
これはいつもドクターがカウンセリングの最後に口にする言葉。
断定口調で話されるそれは、波打つ私の心を何度となく鎮めてきた。
今日も同じ。波が引いて行くのを感じる。
大丈夫、私は大丈夫――
心の中でそう唱えると、私は深く息を吸い込んだ。
「それはそうと、ミヤビが日本に帰国するのは来週だったかな?」
「そうです。社員旅行という名目ではあるのですが、同僚のほかにも会える人たちがいて、とても楽しみなんです」
「なんと言ったかな? ミヤビが友達になったという女の子、スイ……スイ……」
「翠葉さんですか?」
「そう、スイハ! 彼女にも会えるのかな?」
「そうなんです! 翠葉さん、三月にご婚約されたんですけど、まだ直接お祝いの言葉を伝えられていないので、会えるのが楽しみで」
「おう、婚約……。それでは、アキトにはもう可能性はないのかい?」
「どうでしょう……」
ふたりが婚約したくらいじゃ諦めそうな人ではないけれど……。
「秋斗さんのことを考えると、少し胸が痛いです」
「どうしてだい?」
「翠葉さん、秋斗さんとお付き合いしてらした時期があって、私、そのときにひどい言葉を彼女に放ってしまったんです」
今思い出してもひどいことをしたと思う。
「……ミヤビ、君はアキトのことが好きだったのかい?」
「いいえ……」
そこに恋愛感情があったなら、まだ良かった。でも、あれは違う。自分と同じ境遇の人間、と思っていただけ。
「秋斗さんはうちとは違う理由から育児放棄されていたんです。そのことを知っていたから、互いに理解し合えると思っていました。たとえ愛してもらえなくても、傷の舐めあいだとしても、理解はしあえると思っていたんです」
「ふむ……。でも、今はアキトの会社で仕事をしているし、スイハとも親しくしているだろう? 和解したのかい?」
「秋斗さんは、私の置かれていた状況を知ることで理解を示してくださいました。翠葉さんは本当に優しい方で、謝罪したら受け入れてくださいました」
でも、それで私が犯したことがすべてなくなるわけではない。
私はなんて言葉を十代の彼女に突きつけてしまったのか――
「子どもを産める身体でなければ」――この言葉は彼女の心に深く根差したことだろう。どれほど謝罪を重ねても、その傷が癒えることはない。そういう言葉を私は投げつけた。
翠葉さんの未来から、「結婚」を奪いかねない傷をつけた。
どうしたら償えるのかと考えていたときに、翠葉さんと司さんが婚約したという話が舞い込んだ。
私はそれを聞いて、祝福するより先に安堵した。
それで私のした罪がなくなるわけではないけれど、心からほっとしたのだ。
「では、次の治療ではそのときの話を聞かせてもらおう」
「はい……」
以上です。
迷走しているのが(話に矛盾点が出て困っている様)よくわかるお話になっています(何
絶賛下書き中の状態の文章を確認もせずコピペしているので、誤字脱字、文章の重複などがあるかもしれません。
あくまでボツ話としてお楽しみくださいm(_ _"m)ペコリ
【02話】
霞がかっていた視界がしだいにはっきりとしだす。目に見えるものの輪郭が一本の線になってから、私は辺りを見回した。
ここは幼少期を過ごしたアパートの一室……。
ダイニングの片隅に、靴を履き替えるスペースがあるだけの玄関があり、華奢なヒールの靴が散乱している。ダイニングにはツードアの冷蔵庫と、食器棚代わりのラックがひとつ。
ラックの上には電子レンジらしきものが置いてあるけれど、そのほかに調理家電と思しきものはない。ダイニングテーブルも椅子もない、ガランとしたスペース。それがこの家のダイニングだった。
ダイニングに面しているのは六畳ほどのリビング。
折りたたみ式の小さなテーブルと、カバーが破れたピンクの座椅子がひとつ。ほかには、大きさの異なる薄汚れたクッションがふたつ。小さいテレビも置かれていたけれど、そのテレビがついていた記憶はあまりない。
リビングの窓から見える外は、地面に砂利が敷き詰められていて、突き当たりには灰色のブロック塀が聳えている。その光景から察するに、部屋は一階だったのだろう。
リビングの右隣にもう一部屋あって、その部屋には常に布団が敷かれていた。
どの部屋も、窓からの採光が望めない薄暗い部屋で、湿気がひどかったのか、窓際の白い壁はところどころが黒ずんでいた。
幼い私には、黒い染みの一部が薄笑いを浮かべた人の顔に見え、気味が悪くて、それが見えないダイニングの片隅に座り込んでいることが多かった。
そう……。寒い季節は冷蔵庫の近くがあたたかくて、暑い季節はダイニングとリビングを仕切るガラス戸が冷たくて気持ちがいい。
その温度を思い出すように冷蔵庫へ手を伸ばし、馴染みある振動と温度を手のひらに感じてから部屋を振り返る。
倒れたゴミ箱、中途半端に潰された缶、食べかけのお弁当、飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられた洋服――
部屋はいつでも雑然としていて、部屋のあちこちにゴミ袋があり、洋服がそこら中に山積していた。
その家には、私とひとりの大人が住んでいた。
その大人が「親」であることも、「母」であることも、幼い私は認知していなかった。
毎日やってくるその人は、いつも機嫌が悪くて、怒らせたらいけない人――そういう認識だった。
その人は外が暗くなるころに部屋を出て行き、明け方にやってくる。
部屋を出て行くときにはいい香りを身に纏っているのに、戻ってくるときにはなんとも言えない不快な臭いを漂わせていた。
幼かった私は、いい匂いは時間が経つと臭くなるのだと思っていたけれど、いい匂いと感じたそれは香水で、不快に感じた臭いは香水やアルコール、タバコの臭いが混ざったものだったのだろう。
私は毎朝、その人が帰ってくる音で目覚めていた。
その人はカンカンとハイヒールの音を鳴らしながらやってきて、家のドアを開けると靴を脱ぐのもそこそこに倒れこむ。そして、「雅、水っ」と言うのがいつものこと。
しかし四歳の私が背伸びをしたところで流しの縁に手が届く程度。どうしたってその先にあるレバーに手は届かない。
栄養状態の悪かった私は著しく成長が遅く、一般的な四歳児と比べると、格段に体格が小さかったのだ。
その人も手が届かないとわかっていて口にしていたのだろう。
何もできない私に舌打ちをすると、苛立ちを隠すことなく手近なものを私へ向かって投げつけた。
重量のないゴミやペットボトルならさほど痛くはない。けれども細かいビジューが表面を覆う、小さくて硬いバッグを投げつけられたときは痛かった。それが当たったときは決まって痣ができたし、ビジューで傷ついた肌が血で滲むこともあった。
その人は自力で水を汲むと壁に背を預け、気だるそうに私を見ながら水を飲んでいた。
そのときの視線が忘れられない……。
あの、人を蔑むような視線は、幼いながらに居心地の悪さを感じたものだ。
幼い子どもに視線の意味や理由を考えることはできない。ただ、得も言われぬ不安に萎縮するのみ。
この人を怒らせてはいけない。この人を怒らせたら良くないことが起きる――
何を知らずともそれだけはわかっていて、私は極力口を開かず、キッチンの片隅に佇んでいた。
酔って帰ってくると、その人はよく言っていた。
「こんなはずじゃなかった。本妻になっていたら、こんな生活とは縁を切れたのに」と。
当時は何を言われているのかさっぱりわからなかった。それでも、口調や視線から、自分が責められていることはなんとなくわかっていた。
そして今なら、その言葉が何を指していたのか、その人が何を思って口にしたのかをきちんと理解できる。
私は婚外子だったのだ。わかりやすく言うなら、不倫の末にできた子だ。
ただそれだけなら、私を産んだこの人がここまで荒むことはなかったのかもしれない。
生物学上私の父となる人は、社会的地位のある人間――泣く子も黙る、藤宮グループの御曹司だったのだ。
そんな人間との結婚を夢見てしまったがゆえに、今の生活を受け入れられない――それが母だった。
だいたいにして、既婚者との不倫がうまくいく確率などそう高くはない。家柄や社会的地位が絡めばなおのこと。
そもそも父は保守的な人間で、体裁をひどく気にする性質だ。
家柄の釣り合う人間と結婚していたならば、夫婦間がうまくいっていなかったとしても、離婚することはないだろう。もっと言うなら、私という存在が産まれることだってよしとはしなかったはず。
自分の体裁が傷つく以上の見返りがない限り、婚外子など認めないし、自分が関係を持った女が妊娠したと知れば、どんな手を使ってでも中絶させると断言できる。
この人は、父がそういう人間であることを知りもせずに私を産んだのだろうか。
……否。察することすらできなかったのなら、私は産まれていない。
つまり、父がどんな人間なのかは多少なりともわかっていて、妊娠を悟られないよう策を講じたと考えるべき。
あの父に妊娠を隠し通したことはすごいと思う。けれど、その先の見通しが安易すぎた。
当時父と正妻の間に子はなく、母は自分が子どもを授かりさえすれば、本妻の座に収まれると本気で信じていたのだ。
父を知る身からすれば、「バカらしい」の一言に尽きる。けれども、一般的にはどうなのだろう。
誰もが知る藤宮グループの御曹司の子を身ごもったならば、たとえ自分が不倫相手でも、本妻になれると疑うことなく思うものだろうか。
そんなわけがない……。
普通の感覚を持った人ならば、そんな自分本位な考えは思い浮かびもしないだろう。
そもそもの関係が不倫だし、父の性格を考慮すればなおさらだ。
「藤宮」が後継者問題を抱えていれば話は変わってくるのかもしれないけれど、藤宮グループの次期総帥は決まっていたし、次々期総帥まで決まっていた。私が産まれたところで何が変わることもない。このくらいの情報は、一族の人間でなくても容易に知ることができたはず。
それを踏まえて考えれば考えるほど、私を産んだ人はとてもおめでたい思考回路で、ご都合主義者だったと言わざるを得ない。
この人の口癖はほかにもある。
「あんたがいなければもっと楽に生きられたし、こんなことにだってなってなかった」。
それもいかがなものか。
私を産むと決めたのは自身のはずだし、私がいてもいなくても、母の生活はさして変わらなかったんじゃないだろうか。
家に私がいても日替わりで違う男を連れ込んでいたし、私がいたから、と言われるほど自分に時間を割いてもらった覚えはない。
でもそれは、私の記憶がはっきりしている部分において、の話だ。
退行催眠を繰り返すことで、曖昧だった記憶は鮮明になり、三歳以前の記憶も少しずつ思い出すことができた。
産まれたばかりのころはかわいがられていたのかもしれない。愛されていたのかもしれない。そんな願望が少なからずあったけれど、産み落とされたその瞬間から、母は私を金づるとしてしか見ていなかった。
おそらくは妊娠中も、「大事な金づる」としか思われていなかったのだろう。もっと言うならば、愛し合った末に生まれた命ですらない。
そんなこと、誰に言われずともわかっていた。でも改めて突きつけられると、心を切り刻まれる思いだった。
母にどう思われていたかはともかく、この世に産まれた私を数年間生かしてくれた人に違いはない。生まれたばかりの子どもは、誰かが世話をしてくれなければ命をつなぐことすらできないのだから。
母はひとりで私を産み、産後落ち着いたころに父へコンタクトを取ろうとしたらしい。けれど父の秘書に門前払いされ、父と直接話すことは叶わなかったのだとか。結果、最初の一年は貯金を崩して生活をしていたという。
やがて貯金が底をつき、生活保護を受けアパートの一室で身体を売って生活をつなぎ始めた。
それでも収入が足りず、夜の仕事を再開したのは私が四歳になる年のこと。
本格的に育児放棄が始まったのが、四歳のころだったのだ。
退行催眠ですべてを思い出せるわけではないけれど、静さんに渡された調査報告書の裏づけとなる記憶は、十分に得られていた。
【03話】
あのころ、一日にご飯を食べられたのは良くて二回だったと記憶している。
たいていは、パンが入った袋が無造作にテーブルへ置かれていて、喉が渇くとバケツに汲まれた水を飲んで過ごした。
栄養面や衛生面を考えれば問題しかないけれど、何もないよりはいい。
それらがあったおかげで、私は餓死せずに済んだのだから。
生き物に備わる「生存本能」は、幼い子どもであっても働くらしい。私は人に指示されることなく飲み食いすることを心得ていた。
しかし、「本能」で何もかもクリアできるわけではない。人が人らしく暮らしていくには、教えられなければ習得できないことのほうが多いのだ。
そのひとつが「排泄」。
母は私に「トイレ」を教えはしなかった。私は産まれてからずっと、オムツを履かされていた。
母が家にいたころは、文句を言いながらも日に数回替えてくれていたけれど、母が夜の仕事を再開してからは、一日中同じオムツを履くことになった。
最初こそ排泄後の気持ち悪さに泣き喚き、自分で脱いでしまうこともあったけれど、脱いだときにはものすごい剣幕で怒られたし、泣き喚いたところで何が変わることもないとわかると、私は泣くこともなくなり、不快感に対して鈍感になっていった。
しかし、いくら本人が鈍感になろうがオムツ自体に限界がある。
オムツから排泄物が漏れ出て部屋を汚してしまうことも多々あったけれど、母は感情に任せて怒るばかりで、決して「トイレ」を教えようとはしなかった。
そんな私が藤宮に引き取られたのは、四歳になってすぐのこと。
「やっと役に立った。あんたと別れられて清々する」。
そんな言葉とともに家から追い出され、唖然とした私は外に待機していた黒服の男に抱き上げられた。
外に出る習慣がなかった私は、屋外というだけで不安に駆られる。
車を見たことがなかったわけではない。でも、乗るのは初めてだし、チャイルドシートを見るのだって初めてだ。そこへきて、チャイルドシートに固定され、身体の自由を奪われたらパニックにだってなる。
私は数ヶ月ぶりに泣き叫んだ。
声が枯れるまで泣いて気づいたことはひとつ――
私がどれほど泣き喚いても、隣に座る黒服の大人は痛いことをしない。母のように怒鳴ることもない。それどころか、無言で私の頭を撫でていた。
自分に伸びてくる手は、いつだって「痛い」とセットだったのに……。
「この人はなんだろう?」――そんな思いで隣に座る大人を見上げると、
「今、雅様のお父様のおうちへ向かっています」
四歳児にとって、この文章の難易度はいかほどだろう。
親に愛され、毎日のように話しかけられて育ったならば、理解できる内容だったのだろうか。
わかることといえば、そのときの私には到底理解できない文章だったことくらい。
私は、「言葉」を使って人とコミュニケーションをとる知能がなかったのだ。
車が停まったのは、大きな洋館の前だった。その洋館こそ、私が四歳から二十四歳まで暮らした場所でもある。
それまで住んでいたアパートの玄関ドアだって、四歳の私からしてみたら大きなドアだった。しかしこの建物のドアは比べ物にならないほどに大きなもので、幼い私には「ドア」と認識することができなかった。
「ここが雅様の新しいおうちです」
私を抱えて歩く黒服の男はそう言った。
「雅様」が自分を示す語句であることはなんとなくわかっていて、「おうち」の意味もおぼろげではあるが理解できていたと思う。でも、私にとっての「おうち」は今まで過ごしたアパートだし、「新しい」という言葉が理解できない私は、何を言われているのかさっぱりわからなかった。
建物の中に入ると同じ服装の女性が三人待機していて、私はその人たちに託された。
最初に連れて行かれたのは、自宅のリビングより広い部屋。
その部屋はとてもあたたかく、なんだかいい匂いがした。
出かける前の母から香ってくるような鮮明な香りではなく、もっと柔らかくて優しい掴みどころのない香り。
その正体を探すべく室内を見回すと、壁面に見覚えのあるものを見つける。
シャワーヘッドだ。
母がそれを手に持ったときは、容赦なく冷たい水を身体にかけられた。
恐怖心から後ずさるも、大人の手にすぐ捕まってしまう。
今度こそ痛いことをされる。冷たい水をかけられる――
私は身体を丸めて縮こまり、次にくる衝撃に備えて目を瞑っていた。けれども、どれほど待っても「痛い」も「冷たい」もやってこなかった。
そっと目を開けると、心配そうにこちらを見る目があった。
「何を恐れられておいでですか?」
たずねられても言葉の意味がわからない。
不安ばかりが膨らむ中、再度手が近づいてきて、私は反射的に目を瞑った。けれどもその手は、私の頭を優しく撫でただけだった。
伸びてきた手が「痛い」ことをしないのは、私をここへ連れてきた人に続いてふたり目。
「何も恐ろしいことはありませんよ」
声は優しく響き、その人は何度も頭を撫で、背中を擦ってくれた。
ただそれだけのことに、ひどく安心したのを覚えている。
「汚れたお洋服は脱いで、身体をきれいに洗いましょう。髪の毛も洗って、乾かしたら少し整えましょうね」
今思えば何も難しいことは言われていない。でもあのときの私には、理解できるわけがなかった。
それでも、服に手が伸びてくればその先は想像に易い。
服を脱がされれば問答無用で水をかけられる。そう刷り込まれていたがゆえに、私はバスルームの中を逃げ回った。しかし大人三人に子どもひとりだ。すぐに捕獲されてしまうし、粗末な服はいとも簡単に脱がされてしまう。
シャワーヘッドを手に持った人が近づいたときに、私は泣き出した。
そこで、シャワーヘッドを怖がっていることを理解したのだろう。
三人は言葉少なに話し合い、シャワーヘッドをフックへ戻すと洗面器を用意した。そこへ水を張ると、優しく私の手を取り水に触れるよう促す。
もともとバケツに張られた水を飲んで過ごしてきたのだ。目の前にある光景は決して恐ろしさを感じるものではない。
促されるままに水へ手を浸すと、手に触れるものがいつもと異なることに気づく。
私は驚きに目を瞠った。
私の知っている「水」はひんやりとしていて、時期によっては身を刺すような感触を得るものだった。でもこれは――
疑問に思いながら何度も手を浸す。
「……みず?」
近くにいた女性にたずねると、三人はクスクスと笑った。
「これは『お湯』です」
「お、ゆ?」
「はい。お水があたたかいものは『お湯』と申します」
「おゆ……」
私は確認するように、何度も何度も手を浸した。その感触は、冷蔵庫から伝う柔らかな熱によく似ていた。
私は知らないことをバスルームでたくさん学んだ。
人の手が近づいてきたからといって、痛いことをされるわけではないこと。シャワーヘッドからは、ひんやりとした水だけではなくあたたかいお湯が出ること。身体をきれいにするときは、白い泡が立つ石鹸を使うこと。頭を洗うと気持ちがいいこと。お湯に触れると、身体や心がポカポカしてくること。
今まで経験したこともなければ、知らなかったことばかり。
そんな私の最後の試練はバスタブだった。
自宅のバスルームにも四方を囲まれたスペースはあったけれど、狭いそこは私の動きを封じるためのもので、汚れた私に水をかける場所でしかなかったのだ。
そこに水が張られていたところなど見たこともなければ、その水に浸かるという発想には到底至らない。何よりも、見たこともない大きさのバスタブに尻込みをしていた。
バスタブから遠ざかる私に手を差し出してくれた人は、にこりと笑ってバスタブの水に手をくぐらせる。
「雅様、これはお湯ですよ」
「お、ゆ……?」
「そうです。あたたかいお水です」
身体を洗うときも頭を洗うときも、あたたかい水を使った。それはとても気持ちがいいものだった。
「お湯の中に入ってみませんか? あたたかくてとても気持ちがいいですよ。ほら、ヒヨコさんが一緒に入りましょう、と申しております」
バスタブには、色とりどりの何かが無数に浮かんでいた。けれど、おもちゃで遊んだことのない私には、それらを「遊び道具」と認識することはできなかった。
それでも、見たことのないものに対する好奇心はあったらしい。私は物珍しいものへ向かって一歩二歩、とバスタブへ近づき、水面に浮かぶものを注視した。
「動物はお好きですか?」
「どう、ぶつ?」
女性は手近なおもちゃを手に取ると、
「これはヒヨコです」
「ひょこ……?」
「はい。こちらはワニです」
「わに……」
「はい。ヒヨコもワニも生き物、動物ですよ」
「どう、ぶつ……」
おもちゃは動物を模したものばかりで、その人はそれらすべての名前を教えてくれた。そうして私の警戒心が緩んだころ、再度バスタブへ浸かることを勧められたのだ。
「私が手をつないでおります。それでしたら怖くはないでしょう?」
相変わらず何を言われているのかはわからない。それでも、この場にいる人が自分に危害を加えることがないことはわかり始めていて、私は促されるままにバスタブへ足を踏み入れた。
お湯は私の身長を考慮して張られており、腰を下ろしても水面は胸元までしかなかった。
初めてのお風呂で十分に温まると、次は恐ろしく柔らかなタオルに包まれる。
肌に当たるそれはふわふわしていて、穏やかな香りに夢見心地にさせられる。
うっとりとしたままタオルに頬を寄せると、女性たちにクスクスと笑われた。
「さ、水気はきちんと吸い取りましたから、お風邪をお召しになる前にお洋服を着ましょうね」
そう言って見せられたのは、フリルがふんだんにあしらわれた淡いピンクのワンピース。
もちろん、そんな洋服は見たこともなければ着たこともない。今まではサイズの合っていないTシャツに、オムツ姿だったのだから。
そんな私でも、きれいな色やかわいいもの、新しいものに対する「ときめき」は感じることができた。
ドキドキしながら袖を通し、背中のファスナーを上げてもらう。と、同じ女性の手によって髪の毛を乾かされ、丁寧に櫛を通しては前髪を切られた。
物心付いてからずっと、視界に髪の毛が映るのが常だったこともあり、急に開けた視界に驚いた。
「さ、かわいくなりましたよ。雅様、こちらへお越しくださいませ」
手を引かれ立たされた場所は、鏡の前だった。
目の前に、自分が着た洋服と同じ格好をした子が立っていた。私をじっと見て――
私が手を伸ばせばその子も同じように手を伸ばす。
不思議に思っていると、
「雅様、これは鏡です。こちらに映っていらっしゃるのは雅様ご自身ですよ」
私は産まれて初めて、鏡に映る自分の姿を目にした。
バスルームの次に連れて行かれたのは、庭園に面する一室。
室内は明るく開放感があり、屋内からでも外に咲く花々を楽しむことができる。その部屋にいたのが歌子――現在の継母だ。
「奥様、雅様をお連れいたしました」
白いワンピースを身に纏った歌子はソファに座り、花柄が美しいティーカップを傾けていた。
線が細く抜けるほどに白い肌の女性はゆるり、と首をめぐらせ私に視線を向ける。
顔立ちのはっきりとした、見目麗しい女性だった。歌子は数秒間私を見て視線を外すと、
「貧相だけれど、器量はまあまあね……。それにしても、なんて中途半端な時期に引き取ったのかしら。今からじゃ、幼稚部に入れられないじゃない……」
歌子は窓の外を見たまま、
「メイド長、礼儀作法の先生は二宮先生を。お稽古ごとは――最低限でかまわないわ。書道、華道、茶道、それぞれの先生に連絡を。目標は藤宮学園初等部の受験。もしもパスできなかったら、あなたの仕事がなくなると思いなさい」
「かしこまりました」
「そのほかの一切をメイド長に任せます。よろしくて?」
「承知いたしました」
私と継母の対面は以上、だ。
「新しく母になる人」という紹介もなければ、私自身を紹介する言葉とて、先ほどメイド長なる人が口にしたのみ。
どういう経緯でここへ連れてこられたのかも、これからどうなるのかも、何も話してはもらえなかった。
もっとも、話してもらえたところで、私が理解できるはずもなかったのだけれど……。
藤宮に引き取られた私は、病院でありとあらゆる検査を受けさせられた。
結果は、目に見えてわかる栄養失調のほか、著しい発達の遅れが問題視された。
生活力、社会性、運動、言葉、記憶力――何をとっても四歳児の平均には及ばず、同年代との集団生活は送れないだろうと判断された。
メイド長と医師が何を話しているのかは理解できなかったけれど、哀れむような目で見られていたのは今でも覚えている。
そしてその日から、私は日常生活に必要なことを一から学び始め、言葉の習得を始めた。
最初の数ヶ月は、数人のメイドが付きっきりで面倒を見てくれた。
慣れない生活に戸惑い熱を出すこともあったけれど、私がその生活に順応するまでにそう時間はかからなかった。
優しく話しかけてもらえることが嬉しかったし、知らないことをひとつひとつ覚えていくのはとても楽しかった。
たとえ話している内容がわからなくても、相手が何かを伝えようとしているのは見ていればわかったし、身振りや手振り、直接誘導されることで求められていることを察するのはそこまで難しくはなかった。
さらには、求められたとおりに行動できると盛大に喜び、褒めてもらえた。それが何よりも嬉しくて、私は次々とルールを覚え、知識を身につけていった。
そうして一年が経つころには、同年代の子と変わりなく成長していたし、五歳半ばには、同年代の子たちよりたくさんの言葉を話せるようになっていた。
藤宮学園初等部の受験も難なく合格。
受験では両親同伴の面接があったわけだけど、家族が三人揃ったのはこの日が初めてのことだった。
このころにはアパートで一緒に暮らしていたのが実母であることも、歌子が継母で、現在の母であることも理解していた。
でも、相応の知識を得ても、「家族」がどういうものであるのかはわからずにいた。
本に記される「家族像」やクラスメイトが話す「家族」には共通点があるのに、私が得た「家族」とはまったく違った。
同じ建物に暮らしていても、ともにご飯を食べることはおろか、口を利いたこともない。屋敷内で見かけても冷たく一瞥されるだけで、実の母親に向けられたそれとなんら変わることはなかったのだ。
使用人は皆優しかったけれど、私がある程度のことを理解できるようになると、皆腫れ物に触れるような接し方に変わり、心の距離が開いてしまった。
そんな中、時々訪れる祖父だけは私をかわいがり甘やかしてくれた。けれどその祖父も、私が中等部三年のときに亡くなってしまった。
初等部、中等部のころは養護教諭が心のよりどころだったけれど、その先生も結婚を機に退職してしまい、高等部へ上がると、私は完全なる独りになっていた――
【04話】
衣食住に困ることはなかったし、何をせずとも相応の教育を受けさせてもらえる。でも、私の心が満たされることはなかったし、いつだってどうしようもない虚しさや焦燥感を感じていた。
最初から何も持っていなかったし、何を無くしたわけでもない。けれど、心にぽっかりと穴が空いたような感覚は拭えず、それを埋めるために必死で心理学の本を読み漁っていた。
でも、どんなに時間を費やし小難しい本を読み解いても、心が満ちる感覚は得られず、焦燥感ばかりが募っていった。
もしも心を許せる友人がいたなら少しは何かが変わっていただろうか。けれど実際は、九年間も同じ学校へ通っていたにも関わらず、私にそれらしい存在はできなかった。
初等部に入学したばかりのころは、相応に話せる人もいた。時間が経つにつれて「藤宮の人間」という認知が進み、クラスメイトたちの対応に変化が現れた。
下心ありきで近づいてくる人間もいれば、私が正妻の子どもでないと知ってマウントを取りにくる人間。や、遠巻きにされるようになった。
初等部の始めごろにはそれなりに話せる人もいた。でも年を重ねるごとに、「藤宮の雅ちゃん」という印象が強くなっていき、
少し「藤宮」から遠のけば、何かが変わるかもしれない。
そう思った私は藤宮の大学へは進まず、違う大学を受験した。
そうして違う環境に身をおいたものの、そこでもやっぱりまともな人間関係を築くことはできず……。
もしかしたら、親の愛情に触れずに育った私には、土台無理な話だったのかもしれない。
大学生活が始まってしばらくすると、産みの親がコンタクトを取ってきた。
「あれからどうしているのか心配だった」と――
精神的に不安定だった私は、そんな言葉に絆され母親と会ってしまったのだ。
それが地獄への入り口とも知らずに……。
警護班の人間には「お考え直しください」と引き止められた。けれど私は、「実の母と会うだけ」と突っぱね、警護班を伴わずにひとりで約束の場所へ赴いた。
そこは繁華街の一角。でも、警戒するには至らなかった。
あぁ、きっと今も夜の仕事をしているのだろう。呼び出された場所はおそらく勤務先か何か。そんなふうに思っていた。
薄暗い店に足を踏み入れると母親のほかに、ホストのなりをした男が五人いた。
記憶に残る母は少し老けた程度で、あのころと変わらず派手な服装をしていた。
体型も変わらず、高いハイヒールを履いているのも変わらない。
「ふぅん……。写真で見て知ってはいたけれど、ずいぶんと清楚なお嬢様に育ったじゃない? そのうえ教養もある……。申し分ないわね」
口元に笑みを浮かべ話す様に、「心配」などされていなかったことを思い知る。
私はいったい何を期待していたのか――
だいたいにして、何かを期待できるような過去などひとつもないというのに。
「これなら高く売れんじゃねー?」
母の隣に立つ男は、まるで品定めするような視線をめぐらす。
嫌悪感を覚えると、
「まあ、そう焦らないで? まずはこの子から引き出せばいいのよ。なんたって藤宮のお嬢様なんだから」
「でもよ、御曹司に知れたらやばいんじゃねーの?」
なんの話をしているのかわからずに聞いていると、母はくつくつと笑いだした。
「やだ、あの男がこの子を守るとでも? そんなことあるわけないじゃない。あの男もその奥方も、この子には一切興味がないんだから。それは引き取る前も引き取ったあとも、変わらないわ。この子を引き取ったのだって、養育費だなんだって私から連絡があるのが煩わしくて、私との関係を完全に絶ちたいがために引き取っただけ。現に、金輪際自分に関わらないっていう誓約書は書かせられたけど、それにこの子は含まれてない」
母の言葉に頭を鈍器で殴られた気がした。
必要以上の期待はしないし、夢だって見ない。
でも、小さいころからずっと、父が私を引き取った理由を知りたいと思っていた。何かそれらしい理由があると思っていた。
でも、そんな理由はなかった。ただこの女との関係を絶ちたかっただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
私にはなんの価値もなかった。
そんなの、藤宮に引き取られてからの対応を思い返せばわかりそうなものなのに――
「へぇ~……じゃ、最初はこいつから金を引き出して、金が引き出せなくなったらソープに落としゃーいいな。いい値で売れるぜ?」
その言葉に危機感を覚え、咄嗟に出口へ向かおうとした。けど、気づけば背後に四人の男が立っていて、とっくに退路は塞がれていた。
思わず一歩二歩と後ずさるも、逃げ場が生まれるわけではなかったし、ここへ呼び出した母が助けてくれるはずもない。
私はあっという間に男たちに囲まれ、無理やり服を脱がされては写真を撮られ、動画を録られた。
必死に抵抗したところで複数の男の力に敵うわけがなく、助けを求めたところで誰に届くでもない。
私は絶望を感じながら涙を零し、何度も光るフラッシュと、無機質に響くシャッター音を聞き続けた。
私は実の母に陥れられ、辱められたのだ。
そして、それらの画像や動画を盾に、お金をせびられ始めた。
母からの連絡を無視すると、間を置かずに画像や動画が送られてきて、「無視をするな」と言葉なく脅された。
仕方なくホストクラブへ出向くと、決まって高いお酒を買わされた。支払いはすべてクレジットカード。
クレジットカードの使用料が増えれば両親が何かを言ってくる。気づいてもらえる。そう思っていた私はかなり甘かった。
実際、クレジットカードの使用料は日に日に増していったけれど、それで両親が何かを言ってくることはなかった。母が言うとおり、両親は私に一ミリも関心がなかったのだ。
月に何度かホストクラブへ通い、高いお酒を買って散財する。そんなことが一年以上続いたある日、急にクレジットカードが使えなくなった。
何で気づいたかと言うならば、携帯会社からの連絡で、だ。使用料の引き落としができなかったと連絡を受け、不思議に思ってカード会社へ連絡すると、カードが無効になっていた。
理由を聞いても教えてはもらえなかったし、ほかの信販会社にクレジットカードの申請をしても通らなかった。
幸い、連絡を受けたその日のうちに店頭で支払いを済ませたことから、スマホが使えなくなることはなかった。でも、次に母から連絡がきたらどうすればいいのか――
どうするも何も、ホストクラブへは行かなくてはいけない。そこでクレジットカードが使えないと知れたら、今度こそソープに落とされる。
ソープに落とされたら、もうここへは帰ってこられないかもしれない。
そう思ったとき、脳裏を掠めたのは父と母だった。けれど、すぐに頭を振る。
「たとえ私が消息を断ったとしても、あのふたりは探してくれない……」
まるで最初からいなかったかのように、何事もなく暮らしていいくのだろう。
そんな想像が易々とできるだけに、私は薄ら笑いを浮かべた。
「私ひとりいなくなったって、何も変わらないじゃない……」
ならば、幼かったあのころに命尽きてしまえばよかったのに――
スマホの着信に怯えながら過ごしていると、なんの前触れもなく静さんの秘書である澤村さんがやってきた。
「静様がお呼びです。ご同行いただけますでしょうか」
澤村さんはそれだけ言うと、私の意志を確認することなく屋敷から私を連れ出した。
澤村さんの運転でホテルへ向かうと、従業員通用口からホテルへ入り、業務用エレベーターで四十一階へ上がった。
静さんに呼ばれたのだから、行く先には静さんがいるはず。けれど会長室のある四十一階は、一族の人間とてそうそう立ち入れる場所ではない。
以前、私はそのフロアを訪れたことがあるけれど、それはルールを侵してのことだった。
「あの、澤村さんっ――」
「静様がお待ちです」
澤村さんは会長室のドアを開けると私に入るよう促し、自分は部屋に入ることなくドアを閉めた。
広い部屋の窓際に、一際大きなデスクがあり、静さんはそこに座っていた。
デスクに置いてあった分厚いファイルを手に取ると、静かに席を立ち応接セットへと歩き出す。
「立ち話もなんだから、ソファに座ったらどうだろう?」
そんなふうに促され、私は緊張を纏いながらソファに腰を下ろした。
私の真正面に座った静さんは、「さて」と口火を切る。
「去年の五月十五日、何があったか話せるかい?」
五月十五日――それは実母に再会した日で、思い出したくもない出来事が起きた日。もともと「良い」とは言えない人生で、もっとも最悪を極めた日だった。
動揺に目が泳ぐ。すると、
「話せるかい?」ともう一度訊かれた。
威圧されているわけでも詰め寄られているわけでもない。どちらかといえば、今までにないくらいに声音が優しい。
それでも、私は何を話すこともできなかった。
ずっと誰かに助けて欲しいと思っていたのに、いざそんな機会が訪れたところで、何を話すこともできない。
すると、見切りをつけた静さんがファイルを開いた。
そこには私の出生から、藤宮に引き取られたときのこと。学生生活から最近の生活パターンまで詳細に渡って綴られていた。
静さんは付箋が付いたページを開くと、
「事実ならば頷けばいい。事実と異なるならば首を振ればいい」
そう言って、「五月十五日」の事実確認を始めた。
質問は短く、「はい」「いいえ」で答えられるものばかり。
私は涙を流しながら、それらに答えていった。
最後の確認を終えるとハンカチを差し出され、
「今までつらい思いをさせたね」
その言葉ひどく胸に沁みた。
「この件は責任を持って私が片付けよう。だからもう、怯えなくていい」
そう言われて、私は子どものように泣きじゃくった。
少し落ち着くと、
「スマホを出しなさい」
不思議に思いながらバッグからスマホを取り出すと、
「母親と連絡を取っていたのはこのスマホかい?」
「はい……」
「やり取りは残ってるかな?」
私は首を左右に振った。
母は私を呼び出すと、必ずバッグを取り上げ手荷物検査をした。スマホはすべてのデータを消去され、どんなに小さなレコーダーを持ち込んでも見つかってしまい、店内での会話を録音できたためしはない。
せめて何か証拠になるようなものが何かひとつでもあればよかったのに……。
そう思っていると、
「安心していい。うちには優秀な人間が多いからね、データの復元など朝飯前だ。もっとも、データの復元くらい警察でもできる」
その言葉に顔を上げると、
「別室に知り合いの刑事を待たせてある。私も同席するから、今の話をもう一度話せるかい?」
今の話をもう一度――
今度は知らない人に話すの……?
不安に身体が震え始める。と、
「雅、もう一度だけがんばってくれ。警察に控訴状を出すんだ」
「控訴、状……」
「被害届けと比べたら控訴状のほうがハードルは高い。が、起訴に持ち込めるだけの証拠は揃えてある。必ず受理させる。私はどんな手を使ってでも、彼らを刑務所送りにするよ」
私はその言葉を信じ、静さんに連れられてホテルの別室へ向かった。
その日から、私は身の安全を確保するために自宅へ引きこもることになった。
体面上、それまでの素行に対する罰として軟禁生活と言い渡されたことになっていたけれど、すべては私の身を守るための処置だった。
そのころから静さんは時間を作っては訪ねてくるようになり、短時間であれど、他愛もない話をしては帰って行くということを繰り返した。
始めのころは普通に話すことすら難しく、ひどく対応に困る時間だった。けれど、三ヶ月が経つころにはリラックスして話せるようになっていた。
それでも対人恐怖症の気は治まることがなく、静さんの勧めで専門機関にてカウンセリングを受けるようになった。しかし結果は思わしくなく、最後の切り札に静さんが提案したのが海外での生活だった。
「雅は今後どうしたい?」
今後――
「学生時代からの夢は心理カウンセラー。雅の経歴をもってすればすれは難しいことではないだろう。しかし、今はその時ではない。今は雅が心身ともに健やかになることが最優先だ。わかるね?」
小さく頷いた。
現況、私はとても不安定で、カウンセリングをする側ではなく受ける側の人間だ。
「海外の大学で、研究の続きをしてみたらどうだい?」
「海外……?」
「雅が学生時代にお世話になった養護教諭の星野あかりさんを覚えているかい?」
忘れるわけがない。私の人生で、一番親身になって話を聞いてくれる人だった。そんな人を、忘れるわけがない――
「彼女は今、夫と息子と三人でニューヨークで暮らしている。しばらく彼女のもとで過ごしてみてはどうだろう」
「っ……そんな、あかり先生にご迷惑はかけられませんっ」
「彼女は迷惑だなんて言わなかったよ。むしろ、ずっと気にしていたようだ。すぐにでも雅を受け入れると言ってくれている」
私はただただ驚いていた。もう何年も経っているのにあかり先生が一生徒である私のことを覚えていてくれたこと。気にかけてくれていたこと。今すぐにでも受け入れてくれるということ。すべてが嬉しくて、目に涙が滲み出す。
「もちろん、星野さんには相応の謝礼を用意する。そのあたりのことを雅は考えなくていい。雅は何も考えず、彼女たちの好意に甘えてみたらどうだろう」
そこまでの後押しをしていただいて、私はコクリと頷くことができた。
当初は大学へ通い、研究を進める予定だった。そのつもりで準備をしているところへ静さんが秋斗さんを連れてきた。
「雅の海外行きを話したら、秋斗がどうしても会いたいと言ってね。少し話してみないかい?」
日本を発つ前には秋斗さんと翠葉さんに謝罪をしたいと思っていたけれど、
「私は今、ニューヨークでFメディカルの海外支部長をしています」
「その通りだ。君は立派に社会へ貢献しているし、何もできない無力な女の子ではない」
その言葉にゆっくりと目を開ける。
照明を抑えた部屋に見知った顔を見つけると、
「退行催眠をしても、取り乱すことがなくなったね」
ドクターの言葉に少し困る。
「そうですね……。最初のころに比べたら、そこまで取り乱さなくなったように思います。……でも、あの日の出来事を思い出すと、未だに身体が震えるし、涙が止まらなくなります」
不安から自分の両腕で身体を抱きしめると、優しい声が降ってきた。
「世の中には女性に対しひどいことをする男もいる。だが、そんな人間ばかりではない。ミヤビを心から愛し、慈しんでくれる男はきっといる」
ドクターはいつだってそう言ってくれる。けれど、私のような人間を好きになってくれる人が本当にいるのかしら……。世界中、どこを探しても、そんな人はいないように思える。
返答に困っていると、
「僕の言うことが信じられないのかい?」
「そういうわけでは……。でも私は、親にすら愛されなかった人間ですから……。この先誰にも愛されないんじゃないかと思ってしまうし、親の愛情を知らずに育った私には、何か欠陥があるのではないかと思ってしまいます」
「親の愛情は確かに大切なギフトだ。けどね、世界には親の愛を知らない子どもはたくさんいるし、だからといって彼らに欠陥があるわけではない。それに、ミヤビはアカリの愛を知っているだろう? ミヤビはアカリに愛されている。アカリの夫、デービットにも愛されている。ふたりの子どものスティーブにだって好かれているじゃないか。愛情は親から与えられるものだけではないよ」
「はい……」
「ミヤビ、僕を見て?」
リクライニングチェアからゆっくりと身体を起こすと、私はドクターの青い目をじっと見つめた。
「君は幸せになる。過去を受け入れ今を見つめることのできる人間は、未来を切り開ける人間だ。君は必ず幸せになるよ」
これはいつもドクターがカウンセリングの最後に口にする言葉。
断定口調で話されるそれは、波打つ私の心を何度となく鎮めてきた。
今日も同じ。波が引いて行くのを感じる。
大丈夫、私は大丈夫――
心の中でそう唱えると、私は深く息を吸い込んだ。
「それはそうと、ミヤビが日本に帰国するのは来週だったかな?」
「そうです。社員旅行という名目ではあるのですが、同僚のほかにも会える人たちがいて、とても楽しみなんです」
「なんと言ったかな? ミヤビが友達になったという女の子、スイ……スイ……」
「翠葉さんですか?」
「そう、スイハ! 彼女にも会えるのかな?」
「そうなんです! 翠葉さん、三月にご婚約されたんですけど、まだ直接お祝いの言葉を伝えられていないので、会えるのが楽しみで」
「おう、婚約……。それでは、アキトにはもう可能性はないのかい?」
「どうでしょう……」
ふたりが婚約したくらいじゃ諦めそうな人ではないけれど……。
「秋斗さんのことを考えると、少し胸が痛いです」
「どうしてだい?」
「翠葉さん、秋斗さんとお付き合いしてらした時期があって、私、そのときにひどい言葉を彼女に放ってしまったんです」
今思い出してもひどいことをしたと思う。
「……ミヤビ、君はアキトのことが好きだったのかい?」
「いいえ……」
そこに恋愛感情があったなら、まだ良かった。でも、あれは違う。自分と同じ境遇の人間、と思っていただけ。
「秋斗さんはうちとは違う理由から育児放棄されていたんです。そのことを知っていたから、互いに理解し合えると思っていました。たとえ愛してもらえなくても、傷の舐めあいだとしても、理解はしあえると思っていたんです」
「ふむ……。でも、今はアキトの会社で仕事をしているし、スイハとも親しくしているだろう? 和解したのかい?」
「秋斗さんは、私の置かれていた状況を知ることで理解を示してくださいました。翠葉さんは本当に優しい方で、謝罪したら受け入れてくださいました」
でも、それで私が犯したことがすべてなくなるわけではない。
私はなんて言葉を十代の彼女に突きつけてしまったのか――
「子どもを産める身体でなければ」――この言葉は彼女の心に深く根差したことだろう。どれほど謝罪を重ねても、その傷が癒えることはない。そういう言葉を私は投げつけた。
翠葉さんの未来から、「結婚」を奪いかねない傷をつけた。
どうしたら償えるのかと考えていたときに、翠葉さんと司さんが婚約したという話が舞い込んだ。
私はそれを聞いて、祝福するより先に安堵した。
それで私のした罪がなくなるわけではないけれど、心からほっとしたのだ。
「では、次の治療ではそのときの話を聞かせてもらおう」
「はい……」
以上です。