タイトルが【低いです】の葉野です、こんばんは。
今日の日記は基本的に私の主観ガッツリ日記であり、自己分析日記です。
そこから、“世間”というものを少々見つめて意見書いたりしますが、改めて言いますが、葉野の主観であり、分析です。
「それは違うぜ!」と思っても厳しいご意見は勘弁してください(笑)
ただ、こんなふうに考えてる人間もいる、ということで……(笑)
これを読んで得することはとくになく、あるとすれば、葉野という人間について少し詳しくなる程度です(使えない知識が地味に増えます)
真面目に書きすぎると少々重くなりそうな気もしますので、そこは苦手な突っ込み合いの手りるはを登場させようと思います(何)
では、長いので、時間のある方のみ頑張って!!
Good luck!
何が低いって、色々です。
あ、身長だけは標準で162センチです。
じゃぁ何が低いかというと、パソコンスキルとか読解能力、理解能力。
なんというか、学習能力全般において低いと思います。
謙遜や卑下ではなく、自己分析ですのであしからず。
それでは軽快にいってみましょう。
レッツ自分曝し!
私の中で高いものがあるとしたら、それはきっと目標だけ。
あと向上心は高いと思います。
あれもできるようになりたいし、これもできるようになりたい。
そんな野心なり野望ならばごまんとあります。
が、知力体力ともに足りてません。
基本、人に習うことのほうが得意で、習ったものをより深く追求することが好きです。
加えて、それを人に教えるのも得意だと思います。
さて、皆さん。ここで騙されてはいけません。
これは得意なことをお伝えしているのではなく、暗に“独学が苦手です”と言ってます(何宣言?)
でも、すぐには人に訊きません。
それが遠回りになってることを知っていても、とりあえずひとりでトライ。
そんな子です(だから何宣言?)
それでは、あれこれ例を挙げてみましょう。
たくさんありすぎるので、中でもこれはひどい……というものと、最近のものをいくつかピックアップ。
*編み物*
小学2年生でから始めたものの、マフラー1本まともに編めるようになったのは高2の冬です。
母様が手ほどきをしてくれていたのでが、途中であまりにもできない子すぎて見放されました(←“母”という愛情ある根気をもってしてもだめだった模様です)
「目の作り方教えるから、間違えたら最初から編みなおしなさい」
そんな素晴らしいお言葉を頂き、以後、毎シーズン目を作ることだけはとても上手になり、その先で躓きます。
とりあえず、簡単なメリヤス編みとかするわけですが、目を落とすわけですよ。
あれ? 40目作ったはずなのに、なんで38目しかないんだろう? とか……?
普通に編めるようになった途端に模様編みまでできるようになりました。
目を落としても拾える技術も習得しました(笑)
最初のハードルとも言える“王道マフラー”をクリアするまでに10年かかってます。
自分で言うのもなんですが、かなりのツワモノです。
*レコーディング*
サイトに音源をUPするためにZOOMという機器を使っているのですが、あれこれできるはずの子を使いこなせていません。
確か、すでに購入してから3年くらい経ってるかと思います。
やっと電子ピアノの音を直に取り込めるようになりましたが、まだまだ……。
音が割れないように録ろうと思うと、出来上がりの音源ボリュームが小さくなってしまったり、と問題は山済み。
解決できる気はしませんが、末永く頑張りたい所存です。
*サイト作り(html編)*
最初はホームページビルダーを使っていたので、htmlなど何もわかっていませんでした。
真面目に(?)勉強しだしたのは去年だか一昨年あたり。
二三年かけて、何となく理解し始めました。
門をくぐったあたりの入り口付近にいます。
いつか攻略したいです。
*サイト作り(CSS編)*
htmlもクリアしてないというのに、去年の冬くらいから興味を持ち始め、あれこれ本を買ってきました。
写真やイラストを載せるお部屋を作りたくて現在奮闘中。
途中までできてたものを、何故か白紙にしてしまったり、ソフトの強制終了というイジメにあってみたり。
思うようには進みません。
因みに、たくさん本を買った割には理解が追いついていません。
理解してもいないのに偶然の産物でできてしまったり(←これで乗り切ってきたものが多すぎる事実)
そんなこんなで白紙になるとすべてが白紙になります。
頭の中に残骸すら残りません。
もし、門があるとしたら、まだ門をくぐれていない人です。
根っこから理解できるように頑張ろうと思います。
ちらりと書いてこんな具合なのです。
実は、この日記を書こうと思ったきっかけが数日前にありまして……。
何って“キャプチャー”って言うんですか?
“プリントスクリーン”が正式名称?(よくわかんない)
あの、パソコンのモニターに映ってる画面を保存すること。
そういうことができるらしい、ということは知っていたのですが、やり方は知らず……。
いえ、以前一度チャレンジしたことはあるのですが、二三時間戦って敗北してそれっきり。
でも、再チャレンジしました。
なぜって、サイトにUPするため……(苦笑)
「キリ番」を踏むとどんな画面が出るのか、言葉で説明しても画像に敵うものはないだろう。
そんなわけで頑張ってました。
よろしかったら成果を見てやってください。→キリ番を踏むと?
たかだかこれだけのページに何時間費やしたことか……。
本当、そのくらいに機械に疎いし、理解能力の低い子なんです。
でも、時間をかければ何とか……?
私が今できることは、その積み重ねばかりです。
一方、努力しなくてもできることもあることにはあるのですが……。
これは相性みたいなものなんでしょうねぇ?
たとえば、植物を育てること。
土の配合を考えたり、水遣りの頻度を調節したり。
あれこれ実験を重ねることは重ねるのですが、これは意外とすんなりクリアできちゃうんです。
他、石鹸を作る、、ボディメイキング(減量よりも体型を整える意味合いが強いです)、料理なんかもこれに入るかな?
カメラもこれに属するような気はするけれど、まだ思うように撮れる状態ではないからそうとも言い切れず……。
でも、間違いなく“編み物”よりはペース早めで学習(吸収?)している気がします。
何分、“感覚”だけで乗り切れちゃうことは知識が後からついてくる人なのです。
あ、基本動作はカメラとピアノ、ハープって同じかもしれません。
基礎をしっかりと身につければ、あとは回数や曲数こなすのみ……?
あれ、私、意外と肉体派?
体使って覚える派……?
――とにかく、頭脳派ではないことは確かです。
頭脳派というと、うちの子たち(←はーい、脱線タイムの予感です)
皆様頭がおよろしくて、見かけも麗しくて羨ましい限りでございます。
頭のいい子たちは時に動かしやすく、時に何を考えているのかわからず。
良し悪し五分五分です。
基本、私は物分りが悪いので、うちの子たちが何を考えてるのかサッパリ理解できないことも少なくありません。←それを把握するためにサイドストーリーを書いているようなもの(しかも、そこで毎回苦戦する人)
とくに、【光のもとで】に出てくる子たちは最悪……。
なんなんですか、数学のテスト20分で解いちゃうとか、それで100点とか。
書いてて、羨ましいを通り越してムカっとくることがあります(コラ)
実は、あちこちに私の周囲にいる人の特技やら何やらを散りばめています。
多いのは兄様かな?(←私より3つ上の本当の兄)
翠葉さんの途中式すっとばして回答を出してしまう、というのは実は兄の特技です。
とにかく計算が早い、しかも正確。
兄がまだ小学生の頃、おうちにはそろばん大会で得てきたトロフィーや賞状、盾がゴロッゴロ転がってました(それもどうなの……)
それから、インターハイでいいところまでいったのに、高2であっさりと退部したとか(←つまり、蒼樹エピソード)
塾に通い始めるので部活に出られない日があります、と先生に言いに行ったら「後輩に示しがつかないから、続けるか退部か選べ」と言われたそうな。
「じゃ、辞めます」即答したのは兄様でした。
もちろん家族には事後報告オンリー……(笑)
司の言葉数が少ないのも兄様の特徴かもしれません。
うちは兄妹仲がとてもいい、というわけではないのですが、取り立てて仲が悪いわけでもなく、兄様に彼女ができると、必ず家族の中で一番に会わせてもらえるとか、その程度。
でも、ここまで書いておわかりのとおり、間違いなく私はブラコンです(笑)
目に見えてものすごく優しいわけではないけれど、ふとしたときに感じる優しさが甘い甘い蜜でして。
えぇ、大好きなんです(をぃ)
そんなところも翠葉さんに反映。
あ、まかり間違ってもうちの兄様は蒼樹よりの人間ではありません。
人種で言うなら間違いなく司や秋斗さん(笑)
自分の興味のあることにしか関心を示せない人。
それと、翠葉さんが蒼樹をモノサシ代わりにしているのは私の癖。
兄様は184センチ、父様は180センチ。
家に180センチ台の人がふたりもいると、170センチ台の人が低く見える事実。
たった2センチ切っただけでも“低い”と脳が認識します。
いえ、確実に私よりも高いのですが、どーしても、180センチ以下の人が低く見える視覚マジック、もしくは刷り込みマジック。
少し話しが逸れたので軸道修正をはかります(←少しじゃありません)
……えーと。
私が自分の読解能力や理解能力が低いと感じたのは、30歳近くなってからのことです。
(ほら、ね? 気付くのも遅いんですよ)
人間少しでも年を重ねていくと、後ろを振り返る回数も増えるものです。
さらに、私は定期的に過去を振り返る、という作業をするので、それがきっかけで気付いた、ということもあるのかも?
間違いなく言えるのは、絶対にそのときには気付けなかった、ということ。
つまり、学生時代に気付くことはできなかった、ということです。
私は12月生まれなので早生まれではないのですが、それでも周りの同級生よりも、ありとあらゆることができるようになるのには時間のかかる子でした。
小学生まではあまり問題ありません。
中学に入ると問題が出てきます。
えぇとですね、まず“勉強”が何かよくわかっていませんでした。
(「をぃっ!」と突っ込みたい方、どうぞ、この辺で入れといてください←何)
激しく突っ込まれそうなのですが、そうとしか言えないんです。
「テスト勉強って何?」って素で言える子でしたよ?
えぇ、そんな子だったんです。
もっと言うなら、“勉強”が何かわかってない時点で、“勉強をする意味”だとか“テスト勉強”の必要性を理解してないんです。
「それはないでしょー」と思ったそこのあなたっ!
素敵です、あなたは立派な常識人。
でも、これが葉野の正体であり、実体なんです(苦笑)
「学校に行くのは何のためでしょうか?」って話しになってしまいますが、知識を学び協調性を養う場所、なーんて理解したのはいつだったか……(笑)
私が小学生の頃は塾に通う子も行かない子も両方いて、半々くらいか、もしくは塾に通う子のほうが少ないくらいでした。
今ほど、“勉強”って言われてない世代。
けれど、私より7歳年上の旦那様世代は第二次ベビーブームと言われた時期で、“受験戦争”なんて言葉が生まれた世代。
塾に通ってる子がほとんどだったのだとか……(←塾の夏合宿があったとか言ってましたよ)
教育って本当に世代差や地域差があるな、と思いました。
で、私はというと、兄様もそうでしたが塾にもお稽古ごとにも通ってました。
兄様が一番多く習い事をしていたときは、サッカー、野球、水泳、書道、そろばん、英会話。
これが小学校6年生まで、かな?
中学に入ってからはテニス部オンリーで、塾には行かず……。
それでも学区内ではトップの学校を受けられるほどに頭は良かった。
(私のは期間によってかなり変わってくるので、知りたい方がいらしたらおっしゃってください。コメントのお返事にガッツリ書きます)
そうそう――(横道逸れて、さらに横道に逸れますよー! という注意報)
神奈川県民のしかるべき世代の人しか知らないであろう“学区制”(笑)
私の2つ下の子たちくらいからなくなった制度なのですが、神奈川県にはいくつか区分された“学区制”なるものがありまして、大学入試のセンター試験のようなものが中学2年のときにあるのですよ。
その名も“ア・テスト”。
正式名称は“アチーブメントテスト”。
これでいい成績をとらないと、中学3年生でどれだけ頑張っても上位ランクの高校は受験できないという……(笑)
詳しくは、公立高等学校の入学判定に最大で25%反映されるというもの。
3年次の内申点を加えると高校入試前に70%以上の点数が決まっちゃうんです。
入試の点数は30%しか意味を持たない。
つまり、ア・テストの結果で大体どの学校を受験するかが内定しちゃうんですね。
そのうえ、学区内はそれらだけの点数で行き来できるのですが、学区外に出るにはプラス加点が必要になるんです。
たとえば、学区内で一番偏差値の高い高校がA高校だとして、同じランクの高校が学区外にあったとしても、A高校に入れる学力プラスアルファがないと行けないの。
学区外に出るためには、学校のランク少し下げるか、プラスアルファの点数を持ってないと出て行けない。
そんなイジワルなルールがありました。
なので、“学区制”が廃止され、学区どころか県をまたいで高校を受験できることが不思議でなりませんでした。
神奈川県のルールが全国区の常識だと思っていたので、まさか、神奈川県だけだったとは……。
自分の常識、他人の非常識、その逆も然り。
コレ、とっても恐ろしいです(苦笑)
さてはて、また話が逸れました。
元に戻します。
(常に逸れてるのでそろそろ真面目に話しませんか? いえ、いたって真面目なんですけども、何分お話をまとめられない子なんです)
えぇと……兄様はですね、ちゃんと“勉強”の意味もわかっていたし、“テスト勉強”が必要なことも理解していたと思います。
半分どころか大半が、“満点を取ると1教科につき1000円もらえる”というお小遣い稼ぎだと思っていた節が否めませんが……(←それで本当にお小遣い稼ぎをしていた人デス)
なのにどうして私は“勉強”の意味も“テスト勉強”の意味も理解できなかったのかなぁ……。
謎です。
上にお兄さんなりお姉さんがいる人というのは、得てしてその姿を見てきているわけだから、理解していて当たり前なんじゃないかしら? と思うのですが、どう考えても、あの頃の私が理解してたとは思えないんですよね。
じゃぁ、学校に行って教科書開いて板書写して、というそれらの行動をなんと思っていたのか。
答えはひとつ、なんとも思っていなかった。
これに尽きます(駄
右にならえってこういうこと言うんだろうなぁ……。
みんながしてるからなんとなくするっていうの……?
ただし、周りがテスト勉強に必死になっていても、私にはその必死さは生まれませんでした。
身を粉にしてやるわけではなく、興味があるものは手をつける。
その程度。
数学の計算問題は楽しくできるのですが、文章問題になると途端にダメ。
証明が一番苦手で、高校入試の証明問題を捨てた人間がここにいます(本当に駄)
兄様に数学用語なるものを教えてもらい、やっと理解しました
「問題文に出てくる、”Xは”の“は”は“=”と思え」
そんな単純な説明に「なるほど!」と納得して解けるようになる単細胞です。
化学とか、パズルみたいに解けるものは好きでしたが、暗記科目の社会科系がめっきりダメで。
何分、興味を持ったことしか吸収しない脳みそさんなので、歴史においては時代によって取れる点数が雲泥の差。
地理においては、無駄に長い横文字(カタカナ)勘弁してくださいという域。
何度か試したことがあります。
勉強をしたら点数が取れるのかどうか。
ありとあらゆる教科を試してみました。
「何バカなこと言ってんの?」「正気ですか?」って思われるかもなのですが、知りたかったんです。
勉強をしたら点数が取れるのか。
普通に考えたら“取れる”わけですが、それすらもわからなかったんです。
いよいよもってやばい人間に出会ってしまったと思われた方。
申し訳ございません、もう諦めてください。
葉野はテストで自分がバカなのかそうじゃないかの実験を試みた人間です(←もう、本当にこの人どうにかしてください)
結果ですが、歴史なんて暗記科目大の苦手ですけど、鎌倉時代あたりでしたかね?
すでに脳内メモリから吹っ飛んではいますが、そのテスト、満点取りましたよ。
そのとき、一緒に試したのが嫌いな英語だったかな?
教科書の英文と訳、熟語と単語、全部暗記して挑んだら満点クリア。
ヒアリングは意外と得意だった記憶が……。
余談ですが(余談ばかりですが)カンニングしたんじゃないか……と先生に呼び出されましたとも。
で、ことの成り行きを話したのですが、わかっていただけませんでした(←当たり前??)
で、その場で同じテストをもう一度やらされたというね……(実話です)
自分がバカではないらしい、ということをこのとき理解します。
やればできるんだな、ということは理解したけども、何でやらなくちゃいけないのかは理解してません。
救えません……(苦笑)
【光のもとで】の中で、翠葉さんが高校のその先についてあれこれ悩んでます。
この子の場合は、「何か目標がないと進学する意味が……」という悩みなのですが、私は“その前”の悩みがありました。
今でこそ、商業高校への進学もあまり珍しくないし、高校の次が大学や短大と名のつく学校ではなく専門学校でも全然あり、な風潮ですが、私が中学の頃といえば、普通科の高校に行くことが当たり前だったんです。
レールと言ったらそれまでだけど、幼稚園を卒園したら小学校に入学する。
小学校を卒業したら中学校に入学する。
それと同じくらい普通なことだったんです。
でも、ほら……困ったことに“勉強”の意味わかってないし、相変わらず、何でテストでいい点を取らなくちゃいけないのかわかってないし……(苦笑)
そんな子でしたね、一貫して。
ネットで調べる限りでは、今は学校のカリキュラムがとても充実してるように思えます。
でも、それは情報を得るためのツールが進化しただけであって、あの当時もそれなりのカリキュラムがあったんだと思うんです。
さすがに、民間で社会科見学ができるようなものは少なかったでしょうけど、各学年の行事のひとつには“社会科見学”ってありましたものね……。
そこから“将来の職業”をしっかりと考えられた人はどれくらいいるのかな?
きっと、“将来を考えるためのきっかけ”であり、普段、自分の周りではどんな人がどんな仕事をしているのかを知るためのものだと思うのですが……。
残念ながら、私、社会化見学は給食センターと市の浄水場しか行ってないんです。
記憶に全くないのは行ってないから。
遠足も風邪で行かれないことが多かったし、学校で行われた行事に参加できた数を数えるほうが早いと思います。
あ……だから小さい頃から“将来の夢は何?”っていうお題が必ず投げられるのかな?
覚えてませんか?
幼稚園や小学校の卒業文集、中学の卒業文集で将来になりたいものを書かされたりした覚え。
あのとき、それが“将来のことを考えなさいよ”だなんてメッセージだとはこれっぽっちも思ってませんでした(駄
ここで思ったのですが、学校ってとても大切なところなんだなぁ、と。
あ、「今さら!?」ってどこからか声が聞こえてきましたよ?
すみません、今さらなんです(苦笑)
いいですよ、突っ込んでくださって(笑)
学校っていう場所は小さな社会で、それこそ色んな要素が凝縮された場所なのだと思います。
約束を守ること、破ること、ケンカして人と意見が対立すること、和解して仲直りすること。
ズルをして優位に立つ、ズルがバレて(つまり失敗)怒られる。
その反面、ずる賢さや要領の良さ、配分を何となくでも学べる。
または、要領よくやることは自分には合わない、と気づくことができる。
感じようと思えば、如何様にも喜怒哀楽を感じられ、広い社会を歩いていくのに必要な技術を習得できる場所なんじゃないかな、と思います。
当然ながら、そこに馴染めない子もいるんですよね。
でも、それは馴染めないことが悪いこと、ではなくて、馴染めないことに気付いて自分に合うものが何なのかを探せるか、なのだと思うんです。
ハイ、今だから言えることです(苦笑)
学校はとても小さな社会、というだけあって、学校によって校風や雰囲気も様々。
もしひとつの学校(社会)に馴染めなかったとしても、他の学校なら馴染める可能性がある。
ただ、年が若い頃は学校と家が人生の大部分を占めているから、そのひとつである学校に馴染めないと、自分を全否定された気になる。
その他の学校や社会、世界を知らないのだから当然というか、仕方のない結論。
しかも、否定されてることを“感じる”ことでしかわかることができない。
言葉に変換するにはあまりにも複雑すぎる気持ちだから、鬱屈したものが心に溜まる。
心、折れそうになるよね。
ミシミシって音立てて。
昔はね……って自分の子供時代を思い出して書いてみます。
今みたいにネットで交流するようなツールはなかったし、電話は一家に1台の世界。
習い事だって近所。
家の周りだけが世界だった。
世界が広がらないんです。
広げられないんです。
でも、今はパソコンを起動すれば簡単に見知らぬ人とコンタクトを取ることができて、互いのことを何も知らないのに共通の趣味を通じて言葉をかわすことができる。
どこに住んでいて本名が何ていうのかもわからないのに、携帯電話の番号ひとつで、もしくはスカイプのIDだけで話すこともできちゃう。
何て便利な世界になったんだろう(笑)?
便利な反面、危険もはらんではいるけれど、それでも、私はこの文明の利器に感謝しています。
ご存知の通り、私は体調がネックで学校にはあまり通うことができない子だったので、翠葉さん同様、コミュニケーション能力はあまり高くなかったと思うんです。
もし、「またまたー。そんなこと言ってー! 十分社交的じゃないですか!」なんて思う方がいるとしたら、それはきっとネットのおかげ。
社交性はもともとあったのかもしれないけれど、それが開花したのは20代頃です。
高校で出逢った部員たちはもちろんなのですが、音楽の専門学校で出逢った友達や、就職先で出逢った人たち。
その人たちに育んでもらえたんだなぁ、と。
その次位に来るのがネット。
ブログで共通の趣味を持った人と仲良くなってオフ会したり、なんだかんだ。
そうやって今の私がいるのだと思います。
こうやって考えると、昔は学校に行かなかったら確実に得られないものがあったと思います。
でも、今は……?
意外とどうにでもなっちゃうのかなー? と思ったり。
だって、少し離れた塾に行けばそこにひとつの世界ができるし、習い事も電車に乗って行く子たちがいるくらい。
あ、かくいう私もピアノはあちこち電車で通ってましたけども……。
ピアノはたいてい個人レッスンですから、協調性や社会性は養えません(笑)
グループで行う習い事なら、決してそれが学校である必要もないのかな……とか。
学校かそうじゃないかはさておき、絶対的に言えることは、複数人数の集まりの中でしか学べないことがある、ということ。
団体行動が苦手、とかそういうことではなくて、苦手でも苦手なりに学ぶべきことがたくさんあるということ。
うん、つまりそういうことなんだと思います。
あぁ、うっかりまた脱線してましたね。
戻します、戻します……。(←ノリが気分的に“SPEC”の「サトリマス、サトリマス」な感じです)
えぇと、なんだっけ?
あ、勉強ですよね、勉強っ!!
あの、どなたかにお伺いしたいのですが、学校で“なんで勉強するのか”って教えてもらったことありますか?
できればぜひ教えてください。
私は教えてもらった記憶がないんです。
そもそも悟れって話しなのでしょうか?
それとも、私が休んだ日にそんな授業があったのでしょうか?
どこをどうひっくり返しても思い出せないし、見つからない答えなんです。
ま、いいや。
教えてもらったか教えてもらわなかったかはいいことにしよう。
ここまで書いてきてなんですが、本当に“テスト勉強”というものが理解できずにテストを受け、何で点数がいいと褒められ、点数が悪いと怒られるのか、ドラえもんののび太くんを見ていても理解できなかった私は、両親に褒められようと怒られようと、やっぱり理解できなかったのです。
ここまで来ると“真正バカ”って感じですかね?
怒られてる意味がわからないと謝れないでしょう?
行動を改めることはできないでしょう?
そんなマイペースな頑固さが拍車をかけていた気がします。
両親は「成績が悪いと学校に行けないのよっ!?」と言うけれど、「じゃぁ、何で学校に行かなくちゃいけないの?」が私の疑問。
その疑問の答えが明確であれば、考えを改めることができたかもしれません。
つまり、うちの両親はその答えをきちんとは答えられなかったんです。
いえ、決して両親のせいにしてるわけではないのですが……(苦笑)
「みんなそうするでしょ?」
確か、そんな答えだったと思います。
捻くれ者の葉野は「どうしてみんなと一緒じゃなくちゃいけないの?」と思います。
右向け右はあまり好きじゃなかったんでしょうねぇ……。
クラスでは浮いていたりするのだからなおさら?
「学校が楽しい」なんて思っていないし、「勉強をするために学校に行く」のなら、「何で勉強をしなくちゃいけないのか……」がクリアできないとしっくりこない、納得できない。
ここで堂々巡りがよーいドン! するわけです。
両親は最後まで、私が納得できる答えを提示できませんでした。
これは人に教えてもらって得る答えだったのかな? と未だに不思議に思っています。
誰か、私に納得できる答えを言える人がいたのかな? って。
その、人には教えてもらえなかった答え。
今はきちんと見えてる気がします。
そして、答えが同じになるからおかしいんです(笑)
私が見つけた答えは、「未来の可能性を広げるため」。
言葉は違えど、「進学する高校をより取り見取り選べるようにするため」と言っているのと変わりありません。
きっと、普通の子ならばそれで理解できるのだと思います。
だって、より身近なものでたとえてくれてるのだから。
中学生にとっては、次のステップとなる高校が“身近”な将来になるわけで、決して間違ってはいないんです。
とても親切なわかりやすいたとえなんです。
でも、学校という場所に重きを感じない子には伝わらない。
「だから何?」って思う。
たぶんね、あの頃の私なら、こうたとえてくれたほうがわかりやすかったと思います。
(園児じゃないんだからと突っ込まれそうなたとえです、あしからず)
ケーキバイキングがあったとして、
「10種類のケーキがあるのにあなたはひとつしか、しかも嫌いなケーキしか食べられないのよ?」
学校がケーキに変わっただけ。
ケーキが学校に変わっただけで、私にはまるで宇宙語を話されてるみたいなたとえ話になっていたんです。
言葉の解釈というか、捉え方は本当に十人十色、三者三様だな、と身をもって体験。
散々悩ませた父様、母様、心からごめんなさい(苦笑)
私の病状は中学1年の秋頃から悪化していて、しょっちゅう病院に運び込まれていました。
頻度にして3日に一度は救急外来に行ってましたね。
自分の体に何が起きてるのかすらわからなくて、毎日発作起して倒れて……。
正直、将来のことを考える余裕なんてなかった。
そんな状況では1年先のこと、さらには数年先のことなんて考えられないんです。
だからね、“高校を選ぶため”なんて言われても真実味がわかなかった。
もともと“学校”という場所にいい印象がないし、さらには先を考えるほどの余裕が自分にない。
そういうことだったんだと思います。
そんな私はとりあえず高校に進学できたわけですが、高校になってやっと“将来の職業”について考えるきっかけができたのです。
きっかけは入院。
散々病院をたらいまわしにされた末に受け入れてくれた病院。
そこで出逢った人たちがとても素敵なひとたちだったのです。
心があたたかくて、仕事に誇りを持っていて。
短期入院した病院では整形外科の先生がとても優しく、わけのわからない症状にも関わらずきちんと向き合ってくださいました。
そこの病院には手術室にしか麻酔科の先生がいないにも関わらず、私の治療をそこでできないかとかけあってくれたり。
その先の麻酔科長が「じゃぁ自分が責任を持って見ます」と言ってくれたり。
硬膜外麻酔の手術のとき、緊張を解すために手術室に流行の曲を流してくれたり。
長期入院した病院の医療従事者の方々もとても素敵な方ばかりで。
それでこういう方面に進みたいな、と思ったんですよね。
お医者さんは匙を投げる人をたくさん見てきていたし、検査だらけの数年だったので、必然と目が行ったのは検査技師さんたちでした。
血液検査はあまり言葉をかわすことはないけれど、レントゲンやCT、MRI、脳波の検査は技師さんと会話をしながらなので、余計に……だったんだろうなぁ。
検査のときしか会わないのに、少し体調のいいときに廊下から外の風景を眺めてたりすると声をかけてくれたり。
看護師さんもとても素敵な人が多かったけど、その職業にあまり惹かれなかったのはどうしてだろう?
でも、検査技師さんの仕事が気になるというお話をしたら、外来が終わって技師さんたちが暇な時間にバックルームに連れて行ってくれたりして。
入院は辛い治療の連続でもあったけど、学校の社会科見学よりも印象的で、とても貴重な社会科見学だったと思います。
……ま、またしても体調的理由でその道も諦めたわけですが(苦笑)
そのときのことを数年後に振り返って思ったの。
私がなりたかったのはレントゲン技師さんだったけど、レントゲンを撮りすぎていた私はお医者さんにとめられた。
でも、もう少し早くから将来のことを考えていたら、すぐに音楽学校を選択することはなく、他の医療従事者への道を選択していたのかも? って。
私が進路を変更したのは高3の2学期。
物理選択はしていたわけだから、そのほかの医療系に進むこともできたんじゃないのかな? と。
でも、レントゲン技師しか見てきてなかった私は、“そのほか”の職業が思い浮かばなかった。
でも、すぐにでも進路を決めなくちゃいけない時期で、「とりあえず短大に行ったら?」という両親や先生の言葉も飲み込めず、“好き”な“音楽”を手にとったのだけども。
意味があるかないかの勉強はこういうところで生きるものなのかも、と思いました。
もし、今、「勉強する意味がわからない」って思ってる人がいたら、とりあえず勉強するべし。
――なんて、私が言うとでも?
言いませんよ(笑)
だって、私は目的がないと勉強できない子だもの。
まずは、周りを見回して将来なりたい職業を考えてみたらどうだろう?
これはね、早いうちから始めておくことに越したことはないですよ。
思いつかなかったら、これは好き、と思えるものを見つける。
とにかく視野を広げる。
本を読むでもいいし、雑誌を見るでも、映画を見るでもいい。
何でもいいから、普段と違う世界をのぞき見ることをお勧めします。
漫画だっていいんですよ?
本当に何でもいいの。
とにかく、身の回りにある世界とは違うものを見ることをお勧めします。
何が好きかをわかっているなら、それを大切に育てる。
その子(好きなもの)がどんな職業に関われるのかを調べてみる。
今の時代、わからない、思いつかない、でそのまま放置しておくのはちょっともったいない気がします。
だって、こんなにもたくさん便利なツールが溢れてるのだから。
ちょっと見てみよう、くらいな気持ちで検索かけて調べてみてはどうでしょう?
調べる課程で、今まで知らなかった職業や勉強の内容が転がってるかもしれませんよ?
そういうものをひとつひとつ拾って、ポケットに入れておいて、後日、時間があるときにでもゆっくり眺めてファイリングして。
そんなふうにしてみては……?
でもね、これは時間があるからできることなんです。←だから早めにね、っていうお話です。
受験の前には勉強する時間が絶対的に必要になるでしょう?
ものが学校という期間限定の門戸でなければいいのですが、たいていの場合は準備期間が必要になることが多いです。
知識を得るのはとても楽しいことで、有意義なこと。
未来の可能性を倍増させるすることだと思います。
学生のころは、それが学校の“勉強”につながり勝ちですが、知識はそれだけじゃない。
雑誌見ることも、本を読むことも、漫画を読むことも、頭に入ってくる知らない情報すべてが知識です。
雑学であろうと、立派な知識ですよ。
学生に限らず、就職をしても家庭に入っても同じ。
家にいる人よりも外に出てる人のほうがたくさんの刺激を受けるでしょうね。
その刺激のカタチも様々。
適度なプレッシャーは、ステップアップするためのいいストレス。
でも、度を過ぎれば悪い意味でのストレスになることも……。
“外(世間)”は揉まれるところ。
でも、揉まれた分、ステップアップにもつながるところだと思いたい。
そして、大海を泳ぎきるだけの体力(耐性)も養われていくのだろうな、と。
最近はうつ病の概念が広がり種類も増え、新型うつなるものも確立されているけれど……。
きっと、ストレスに弱いのには育ってきた環境やその人自身の個性に何かしら原因があるのだと思います。
ほら、私のようにね(笑)?
私の場合は体質に加えて頑固な理解力の低さがあったわけですが……。
でも、時間を経て見えてくるものは必ずあるあから、自分観察、自分分析はしておくといいと思います。
間違った分析しても、いつかは「あぁ、違う」って気付きますから。
人が教えてくれて納得できなかったことも、いつか「あぁ、そうか」っわかるときがくる。
なので、皆さん。
葉野と一緒に自分観察委員の一員になりませんか?(何の誘い?)
自分って人間を見つめて見つめて見つめつくすと、人と比べる以外のモノサシを得ることができます。
即ち自分の中のモノサシ。
それがあると、とても楽にものごとを交わすことも、考えることもできたりします。
逆に、その自分だけのモノサシしかないと、人の中に入ったときに共通のモノサシがなくて苦労することになるので、ごく一般的なモノサシも常備しておくことをお勧めいたします。
それから、自分モノサシを習得するのには時間がかかるので、気長にいきましょう(笑)
あ、そうそう……。
葉野はですね、塾に行ってましたが、場所を何度か変えてます。
いずれも複数人数のクラス、授業形式の塾は合いませんでした。
マンツーマンの塾や家庭教師のほうが合ってました。
人と足並みをそろえて勉強をするところは葉野向きではなかったようです。
わかるところは教えられなくてもわかる。
もしくは、ひとつヒントを貰えばわかる。
でも、わからないところは徹底的に時間をかけないとわからない。
そういう子は複数人数の授業形式の塾には合いません。
もし、自分がそういうタイプかも? と思ったら、ご両親に相談してみてはどうでしょう?
または、どうしてうちの子、成績伸びないのかしら? と思われた父兄の方々。
そんなことを一理由に考えてみてはどうでしょう?
すみません。
もう自己観察なのか自己分析なのか、なんなのかわからなくなってきました。
脱線しすぎだし、なんか最後は皆さんお誘いしてるし……orz
このまとまりのない人間が【光のもとで】を書いてる葉野という人間です。
少しはおわかりいただけましたでしょうか?
今、学生さんの方には“きっと今しかできないことがあるよ”とお伝えしたい。
でも、それが“学校の勉強”と言うつもりは毛頭なく、だからと言って勉強がどうでもいいわけではないです……と小さく添えてみる(←何)
そして、学生さんではない方々には、学生じゃなくても勉強はできるし、“今だからこそできることがあると思いますよ”とお伝えしたい。
どこにいても、きっと気持ちさえあえれば何かを得ることはできるのだと思います。
まずは感度抜群なセンサーをゲットしましょう。
葉野のセンサーは旧式なので感度低めです。
でも、日々、犬も歩けば棒にあたる、的な感じで頑張ってます。
書き始めたところからまとまりのない日記になるだろうなぁ……とは思ってましたが、予想を超えるまとまらなさっぷりに唖然。
でも、このまま終りにします。
何が言いたかったのか、私もよくわかってないので、それは皆様がそれぞれに考えていただけると助かります(←本当にひどい)
でも、たぶん、【光のもとで】のお話を通して伝えたいことの一部だと思います。
そのあたりを感じ取っていただけたら幸いですm(_ _"m)ペコリ
By 葉野りるは
今日の日記は基本的に私の主観ガッツリ日記であり、自己分析日記です。
そこから、“世間”というものを少々見つめて意見書いたりしますが、改めて言いますが、葉野の主観であり、分析です。
「それは違うぜ!」と思っても厳しいご意見は勘弁してください(笑)
ただ、こんなふうに考えてる人間もいる、ということで……(笑)
これを読んで得することはとくになく、あるとすれば、葉野という人間について少し詳しくなる程度です(使えない知識が地味に増えます)
真面目に書きすぎると少々重くなりそうな気もしますので、そこは苦手な突っ込み合いの手りるはを登場させようと思います(何)
では、長いので、時間のある方のみ頑張って!!
Good luck!
何が低いって、色々です。
あ、身長だけは標準で162センチです。
じゃぁ何が低いかというと、パソコンスキルとか読解能力、理解能力。
なんというか、学習能力全般において低いと思います。
謙遜や卑下ではなく、自己分析ですのであしからず。
それでは軽快にいってみましょう。
レッツ自分曝し!
私の中で高いものがあるとしたら、それはきっと目標だけ。
あと向上心は高いと思います。
あれもできるようになりたいし、これもできるようになりたい。
そんな野心なり野望ならばごまんとあります。
が、知力体力ともに足りてません。
基本、人に習うことのほうが得意で、習ったものをより深く追求することが好きです。
加えて、それを人に教えるのも得意だと思います。
さて、皆さん。ここで騙されてはいけません。
これは得意なことをお伝えしているのではなく、暗に“独学が苦手です”と言ってます(何宣言?)
でも、すぐには人に訊きません。
それが遠回りになってることを知っていても、とりあえずひとりでトライ。
そんな子です(だから何宣言?)
それでは、あれこれ例を挙げてみましょう。
たくさんありすぎるので、中でもこれはひどい……というものと、最近のものをいくつかピックアップ。
*編み物*
小学2年生でから始めたものの、マフラー1本まともに編めるようになったのは高2の冬です。
母様が手ほどきをしてくれていたのでが、途中であまりにもできない子すぎて見放されました(←“母”という愛情ある根気をもってしてもだめだった模様です)
「目の作り方教えるから、間違えたら最初から編みなおしなさい」
そんな素晴らしいお言葉を頂き、以後、毎シーズン目を作ることだけはとても上手になり、その先で躓きます。
とりあえず、簡単なメリヤス編みとかするわけですが、目を落とすわけですよ。
あれ? 40目作ったはずなのに、なんで38目しかないんだろう? とか……?
普通に編めるようになった途端に模様編みまでできるようになりました。
目を落としても拾える技術も習得しました(笑)
最初のハードルとも言える“王道マフラー”をクリアするまでに10年かかってます。
自分で言うのもなんですが、かなりのツワモノです。
*レコーディング*
サイトに音源をUPするためにZOOMという機器を使っているのですが、あれこれできるはずの子を使いこなせていません。
確か、すでに購入してから3年くらい経ってるかと思います。
やっと電子ピアノの音を直に取り込めるようになりましたが、まだまだ……。
音が割れないように録ろうと思うと、出来上がりの音源ボリュームが小さくなってしまったり、と問題は山済み。
解決できる気はしませんが、末永く頑張りたい所存です。
*サイト作り(html編)*
最初はホームページビルダーを使っていたので、htmlなど何もわかっていませんでした。
真面目に(?)勉強しだしたのは去年だか一昨年あたり。
二三年かけて、何となく理解し始めました。
門をくぐったあたりの入り口付近にいます。
いつか攻略したいです。
*サイト作り(CSS編)*
htmlもクリアしてないというのに、去年の冬くらいから興味を持ち始め、あれこれ本を買ってきました。
写真やイラストを載せるお部屋を作りたくて現在奮闘中。
途中までできてたものを、何故か白紙にしてしまったり、ソフトの強制終了というイジメにあってみたり。
思うようには進みません。
因みに、たくさん本を買った割には理解が追いついていません。
理解してもいないのに偶然の産物でできてしまったり(←これで乗り切ってきたものが多すぎる事実)
そんなこんなで白紙になるとすべてが白紙になります。
頭の中に残骸すら残りません。
もし、門があるとしたら、まだ門をくぐれていない人です。
根っこから理解できるように頑張ろうと思います。
ちらりと書いてこんな具合なのです。
実は、この日記を書こうと思ったきっかけが数日前にありまして……。
何って“キャプチャー”って言うんですか?
“プリントスクリーン”が正式名称?(よくわかんない)
あの、パソコンのモニターに映ってる画面を保存すること。
そういうことができるらしい、ということは知っていたのですが、やり方は知らず……。
いえ、以前一度チャレンジしたことはあるのですが、二三時間戦って敗北してそれっきり。
でも、再チャレンジしました。
なぜって、サイトにUPするため……(苦笑)
「キリ番」を踏むとどんな画面が出るのか、言葉で説明しても画像に敵うものはないだろう。
そんなわけで頑張ってました。
よろしかったら成果を見てやってください。→キリ番を踏むと?
たかだかこれだけのページに何時間費やしたことか……。
本当、そのくらいに機械に疎いし、理解能力の低い子なんです。
でも、時間をかければ何とか……?
私が今できることは、その積み重ねばかりです。
一方、努力しなくてもできることもあることにはあるのですが……。
これは相性みたいなものなんでしょうねぇ?
たとえば、植物を育てること。
土の配合を考えたり、水遣りの頻度を調節したり。
あれこれ実験を重ねることは重ねるのですが、これは意外とすんなりクリアできちゃうんです。
他、石鹸を作る、、ボディメイキング(減量よりも体型を整える意味合いが強いです)、料理なんかもこれに入るかな?
カメラもこれに属するような気はするけれど、まだ思うように撮れる状態ではないからそうとも言い切れず……。
でも、間違いなく“編み物”よりはペース早めで学習(吸収?)している気がします。
何分、“感覚”だけで乗り切れちゃうことは知識が後からついてくる人なのです。
あ、基本動作はカメラとピアノ、ハープって同じかもしれません。
基礎をしっかりと身につければ、あとは回数や曲数こなすのみ……?
あれ、私、意外と肉体派?
体使って覚える派……?
――とにかく、頭脳派ではないことは確かです。
頭脳派というと、うちの子たち(←はーい、脱線タイムの予感です)
皆様頭がおよろしくて、見かけも麗しくて羨ましい限りでございます。
頭のいい子たちは時に動かしやすく、時に何を考えているのかわからず。
良し悪し五分五分です。
基本、私は物分りが悪いので、うちの子たちが何を考えてるのかサッパリ理解できないことも少なくありません。←それを把握するためにサイドストーリーを書いているようなもの(しかも、そこで毎回苦戦する人)
とくに、【光のもとで】に出てくる子たちは最悪……。
なんなんですか、数学のテスト20分で解いちゃうとか、それで100点とか。
書いてて、羨ましいを通り越してムカっとくることがあります(コラ)
実は、あちこちに私の周囲にいる人の特技やら何やらを散りばめています。
多いのは兄様かな?(←私より3つ上の本当の兄)
翠葉さんの途中式すっとばして回答を出してしまう、というのは実は兄の特技です。
とにかく計算が早い、しかも正確。
兄がまだ小学生の頃、おうちにはそろばん大会で得てきたトロフィーや賞状、盾がゴロッゴロ転がってました(それもどうなの……)
それから、インターハイでいいところまでいったのに、高2であっさりと退部したとか(←つまり、蒼樹エピソード)
塾に通い始めるので部活に出られない日があります、と先生に言いに行ったら「後輩に示しがつかないから、続けるか退部か選べ」と言われたそうな。
「じゃ、辞めます」即答したのは兄様でした。
もちろん家族には事後報告オンリー……(笑)
司の言葉数が少ないのも兄様の特徴かもしれません。
うちは兄妹仲がとてもいい、というわけではないのですが、取り立てて仲が悪いわけでもなく、兄様に彼女ができると、必ず家族の中で一番に会わせてもらえるとか、その程度。
でも、ここまで書いておわかりのとおり、間違いなく私はブラコンです(笑)
目に見えてものすごく優しいわけではないけれど、ふとしたときに感じる優しさが甘い甘い蜜でして。
えぇ、大好きなんです(をぃ)
そんなところも翠葉さんに反映。
あ、まかり間違ってもうちの兄様は蒼樹よりの人間ではありません。
人種で言うなら間違いなく司や秋斗さん(笑)
自分の興味のあることにしか関心を示せない人。
それと、翠葉さんが蒼樹をモノサシ代わりにしているのは私の癖。
兄様は184センチ、父様は180センチ。
家に180センチ台の人がふたりもいると、170センチ台の人が低く見える事実。
たった2センチ切っただけでも“低い”と脳が認識します。
いえ、確実に私よりも高いのですが、どーしても、180センチ以下の人が低く見える視覚マジック、もしくは刷り込みマジック。
少し話しが逸れたので軸道修正をはかります(←少しじゃありません)
……えーと。
私が自分の読解能力や理解能力が低いと感じたのは、30歳近くなってからのことです。
(ほら、ね? 気付くのも遅いんですよ)
人間少しでも年を重ねていくと、後ろを振り返る回数も増えるものです。
さらに、私は定期的に過去を振り返る、という作業をするので、それがきっかけで気付いた、ということもあるのかも?
間違いなく言えるのは、絶対にそのときには気付けなかった、ということ。
つまり、学生時代に気付くことはできなかった、ということです。
私は12月生まれなので早生まれではないのですが、それでも周りの同級生よりも、ありとあらゆることができるようになるのには時間のかかる子でした。
小学生まではあまり問題ありません。
中学に入ると問題が出てきます。
えぇとですね、まず“勉強”が何かよくわかっていませんでした。
(「をぃっ!」と突っ込みたい方、どうぞ、この辺で入れといてください←何)
激しく突っ込まれそうなのですが、そうとしか言えないんです。
「テスト勉強って何?」って素で言える子でしたよ?
えぇ、そんな子だったんです。
もっと言うなら、“勉強”が何かわかってない時点で、“勉強をする意味”だとか“テスト勉強”の必要性を理解してないんです。
「それはないでしょー」と思ったそこのあなたっ!
素敵です、あなたは立派な常識人。
でも、これが葉野の正体であり、実体なんです(苦笑)
「学校に行くのは何のためでしょうか?」って話しになってしまいますが、知識を学び協調性を養う場所、なーんて理解したのはいつだったか……(笑)
私が小学生の頃は塾に通う子も行かない子も両方いて、半々くらいか、もしくは塾に通う子のほうが少ないくらいでした。
今ほど、“勉強”って言われてない世代。
けれど、私より7歳年上の旦那様世代は第二次ベビーブームと言われた時期で、“受験戦争”なんて言葉が生まれた世代。
塾に通ってる子がほとんどだったのだとか……(←塾の夏合宿があったとか言ってましたよ)
教育って本当に世代差や地域差があるな、と思いました。
で、私はというと、兄様もそうでしたが塾にもお稽古ごとにも通ってました。
兄様が一番多く習い事をしていたときは、サッカー、野球、水泳、書道、そろばん、英会話。
これが小学校6年生まで、かな?
中学に入ってからはテニス部オンリーで、塾には行かず……。
それでも学区内ではトップの学校を受けられるほどに頭は良かった。
(私のは期間によってかなり変わってくるので、知りたい方がいらしたらおっしゃってください。コメントのお返事にガッツリ書きます)
そうそう――(横道逸れて、さらに横道に逸れますよー! という注意報)
神奈川県民のしかるべき世代の人しか知らないであろう“学区制”(笑)
私の2つ下の子たちくらいからなくなった制度なのですが、神奈川県にはいくつか区分された“学区制”なるものがありまして、大学入試のセンター試験のようなものが中学2年のときにあるのですよ。
その名も“ア・テスト”。
正式名称は“アチーブメントテスト”。
これでいい成績をとらないと、中学3年生でどれだけ頑張っても上位ランクの高校は受験できないという……(笑)
詳しくは、公立高等学校の入学判定に最大で25%反映されるというもの。
3年次の内申点を加えると高校入試前に70%以上の点数が決まっちゃうんです。
入試の点数は30%しか意味を持たない。
つまり、ア・テストの結果で大体どの学校を受験するかが内定しちゃうんですね。
そのうえ、学区内はそれらだけの点数で行き来できるのですが、学区外に出るにはプラス加点が必要になるんです。
たとえば、学区内で一番偏差値の高い高校がA高校だとして、同じランクの高校が学区外にあったとしても、A高校に入れる学力プラスアルファがないと行けないの。
学区外に出るためには、学校のランク少し下げるか、プラスアルファの点数を持ってないと出て行けない。
そんなイジワルなルールがありました。
なので、“学区制”が廃止され、学区どころか県をまたいで高校を受験できることが不思議でなりませんでした。
神奈川県のルールが全国区の常識だと思っていたので、まさか、神奈川県だけだったとは……。
自分の常識、他人の非常識、その逆も然り。
コレ、とっても恐ろしいです(苦笑)
さてはて、また話が逸れました。
元に戻します。
(常に逸れてるのでそろそろ真面目に話しませんか? いえ、いたって真面目なんですけども、何分お話をまとめられない子なんです)
えぇと……兄様はですね、ちゃんと“勉強”の意味もわかっていたし、“テスト勉強”が必要なことも理解していたと思います。
半分どころか大半が、“満点を取ると1教科につき1000円もらえる”というお小遣い稼ぎだと思っていた節が否めませんが……(←それで本当にお小遣い稼ぎをしていた人デス)
なのにどうして私は“勉強”の意味も“テスト勉強”の意味も理解できなかったのかなぁ……。
謎です。
上にお兄さんなりお姉さんがいる人というのは、得てしてその姿を見てきているわけだから、理解していて当たり前なんじゃないかしら? と思うのですが、どう考えても、あの頃の私が理解してたとは思えないんですよね。
じゃぁ、学校に行って教科書開いて板書写して、というそれらの行動をなんと思っていたのか。
答えはひとつ、なんとも思っていなかった。
これに尽きます(駄
右にならえってこういうこと言うんだろうなぁ……。
みんながしてるからなんとなくするっていうの……?
ただし、周りがテスト勉強に必死になっていても、私にはその必死さは生まれませんでした。
身を粉にしてやるわけではなく、興味があるものは手をつける。
その程度。
数学の計算問題は楽しくできるのですが、文章問題になると途端にダメ。
証明が一番苦手で、高校入試の証明問題を捨てた人間がここにいます(本当に駄)
兄様に数学用語なるものを教えてもらい、やっと理解しました
「問題文に出てくる、”Xは”の“は”は“=”と思え」
そんな単純な説明に「なるほど!」と納得して解けるようになる単細胞です。
化学とか、パズルみたいに解けるものは好きでしたが、暗記科目の社会科系がめっきりダメで。
何分、興味を持ったことしか吸収しない脳みそさんなので、歴史においては時代によって取れる点数が雲泥の差。
地理においては、無駄に長い横文字(カタカナ)勘弁してくださいという域。
何度か試したことがあります。
勉強をしたら点数が取れるのかどうか。
ありとあらゆる教科を試してみました。
「何バカなこと言ってんの?」「正気ですか?」って思われるかもなのですが、知りたかったんです。
勉強をしたら点数が取れるのか。
普通に考えたら“取れる”わけですが、それすらもわからなかったんです。
いよいよもってやばい人間に出会ってしまったと思われた方。
申し訳ございません、もう諦めてください。
葉野はテストで自分がバカなのかそうじゃないかの実験を試みた人間です(←もう、本当にこの人どうにかしてください)
結果ですが、歴史なんて暗記科目大の苦手ですけど、鎌倉時代あたりでしたかね?
すでに脳内メモリから吹っ飛んではいますが、そのテスト、満点取りましたよ。
そのとき、一緒に試したのが嫌いな英語だったかな?
教科書の英文と訳、熟語と単語、全部暗記して挑んだら満点クリア。
ヒアリングは意外と得意だった記憶が……。
余談ですが(余談ばかりですが)カンニングしたんじゃないか……と先生に呼び出されましたとも。
で、ことの成り行きを話したのですが、わかっていただけませんでした(←当たり前??)
で、その場で同じテストをもう一度やらされたというね……(実話です)
自分がバカではないらしい、ということをこのとき理解します。
やればできるんだな、ということは理解したけども、何でやらなくちゃいけないのかは理解してません。
救えません……(苦笑)
【光のもとで】の中で、翠葉さんが高校のその先についてあれこれ悩んでます。
この子の場合は、「何か目標がないと進学する意味が……」という悩みなのですが、私は“その前”の悩みがありました。
今でこそ、商業高校への進学もあまり珍しくないし、高校の次が大学や短大と名のつく学校ではなく専門学校でも全然あり、な風潮ですが、私が中学の頃といえば、普通科の高校に行くことが当たり前だったんです。
レールと言ったらそれまでだけど、幼稚園を卒園したら小学校に入学する。
小学校を卒業したら中学校に入学する。
それと同じくらい普通なことだったんです。
でも、ほら……困ったことに“勉強”の意味わかってないし、相変わらず、何でテストでいい点を取らなくちゃいけないのかわかってないし……(苦笑)
そんな子でしたね、一貫して。
ネットで調べる限りでは、今は学校のカリキュラムがとても充実してるように思えます。
でも、それは情報を得るためのツールが進化しただけであって、あの当時もそれなりのカリキュラムがあったんだと思うんです。
さすがに、民間で社会科見学ができるようなものは少なかったでしょうけど、各学年の行事のひとつには“社会科見学”ってありましたものね……。
そこから“将来の職業”をしっかりと考えられた人はどれくらいいるのかな?
きっと、“将来を考えるためのきっかけ”であり、普段、自分の周りではどんな人がどんな仕事をしているのかを知るためのものだと思うのですが……。
残念ながら、私、社会化見学は給食センターと市の浄水場しか行ってないんです。
記憶に全くないのは行ってないから。
遠足も風邪で行かれないことが多かったし、学校で行われた行事に参加できた数を数えるほうが早いと思います。
あ……だから小さい頃から“将来の夢は何?”っていうお題が必ず投げられるのかな?
覚えてませんか?
幼稚園や小学校の卒業文集、中学の卒業文集で将来になりたいものを書かされたりした覚え。
あのとき、それが“将来のことを考えなさいよ”だなんてメッセージだとはこれっぽっちも思ってませんでした(駄
ここで思ったのですが、学校ってとても大切なところなんだなぁ、と。
あ、「今さら!?」ってどこからか声が聞こえてきましたよ?
すみません、今さらなんです(苦笑)
いいですよ、突っ込んでくださって(笑)
学校っていう場所は小さな社会で、それこそ色んな要素が凝縮された場所なのだと思います。
約束を守ること、破ること、ケンカして人と意見が対立すること、和解して仲直りすること。
ズルをして優位に立つ、ズルがバレて(つまり失敗)怒られる。
その反面、ずる賢さや要領の良さ、配分を何となくでも学べる。
または、要領よくやることは自分には合わない、と気づくことができる。
感じようと思えば、如何様にも喜怒哀楽を感じられ、広い社会を歩いていくのに必要な技術を習得できる場所なんじゃないかな、と思います。
当然ながら、そこに馴染めない子もいるんですよね。
でも、それは馴染めないことが悪いこと、ではなくて、馴染めないことに気付いて自分に合うものが何なのかを探せるか、なのだと思うんです。
ハイ、今だから言えることです(苦笑)
学校はとても小さな社会、というだけあって、学校によって校風や雰囲気も様々。
もしひとつの学校(社会)に馴染めなかったとしても、他の学校なら馴染める可能性がある。
ただ、年が若い頃は学校と家が人生の大部分を占めているから、そのひとつである学校に馴染めないと、自分を全否定された気になる。
その他の学校や社会、世界を知らないのだから当然というか、仕方のない結論。
しかも、否定されてることを“感じる”ことでしかわかることができない。
言葉に変換するにはあまりにも複雑すぎる気持ちだから、鬱屈したものが心に溜まる。
心、折れそうになるよね。
ミシミシって音立てて。
昔はね……って自分の子供時代を思い出して書いてみます。
今みたいにネットで交流するようなツールはなかったし、電話は一家に1台の世界。
習い事だって近所。
家の周りだけが世界だった。
世界が広がらないんです。
広げられないんです。
でも、今はパソコンを起動すれば簡単に見知らぬ人とコンタクトを取ることができて、互いのことを何も知らないのに共通の趣味を通じて言葉をかわすことができる。
どこに住んでいて本名が何ていうのかもわからないのに、携帯電話の番号ひとつで、もしくはスカイプのIDだけで話すこともできちゃう。
何て便利な世界になったんだろう(笑)?
便利な反面、危険もはらんではいるけれど、それでも、私はこの文明の利器に感謝しています。
ご存知の通り、私は体調がネックで学校にはあまり通うことができない子だったので、翠葉さん同様、コミュニケーション能力はあまり高くなかったと思うんです。
もし、「またまたー。そんなこと言ってー! 十分社交的じゃないですか!」なんて思う方がいるとしたら、それはきっとネットのおかげ。
社交性はもともとあったのかもしれないけれど、それが開花したのは20代頃です。
高校で出逢った部員たちはもちろんなのですが、音楽の専門学校で出逢った友達や、就職先で出逢った人たち。
その人たちに育んでもらえたんだなぁ、と。
その次位に来るのがネット。
ブログで共通の趣味を持った人と仲良くなってオフ会したり、なんだかんだ。
そうやって今の私がいるのだと思います。
こうやって考えると、昔は学校に行かなかったら確実に得られないものがあったと思います。
でも、今は……?
意外とどうにでもなっちゃうのかなー? と思ったり。
だって、少し離れた塾に行けばそこにひとつの世界ができるし、習い事も電車に乗って行く子たちがいるくらい。
あ、かくいう私もピアノはあちこち電車で通ってましたけども……。
ピアノはたいてい個人レッスンですから、協調性や社会性は養えません(笑)
グループで行う習い事なら、決してそれが学校である必要もないのかな……とか。
学校かそうじゃないかはさておき、絶対的に言えることは、複数人数の集まりの中でしか学べないことがある、ということ。
団体行動が苦手、とかそういうことではなくて、苦手でも苦手なりに学ぶべきことがたくさんあるということ。
うん、つまりそういうことなんだと思います。
あぁ、うっかりまた脱線してましたね。
戻します、戻します……。(←ノリが気分的に“SPEC”の「サトリマス、サトリマス」な感じです)
えぇと、なんだっけ?
あ、勉強ですよね、勉強っ!!
あの、どなたかにお伺いしたいのですが、学校で“なんで勉強するのか”って教えてもらったことありますか?
できればぜひ教えてください。
私は教えてもらった記憶がないんです。
そもそも悟れって話しなのでしょうか?
それとも、私が休んだ日にそんな授業があったのでしょうか?
どこをどうひっくり返しても思い出せないし、見つからない答えなんです。
ま、いいや。
教えてもらったか教えてもらわなかったかはいいことにしよう。
ここまで書いてきてなんですが、本当に“テスト勉強”というものが理解できずにテストを受け、何で点数がいいと褒められ、点数が悪いと怒られるのか、ドラえもんののび太くんを見ていても理解できなかった私は、両親に褒められようと怒られようと、やっぱり理解できなかったのです。
ここまで来ると“真正バカ”って感じですかね?
怒られてる意味がわからないと謝れないでしょう?
行動を改めることはできないでしょう?
そんなマイペースな頑固さが拍車をかけていた気がします。
両親は「成績が悪いと学校に行けないのよっ!?」と言うけれど、「じゃぁ、何で学校に行かなくちゃいけないの?」が私の疑問。
その疑問の答えが明確であれば、考えを改めることができたかもしれません。
つまり、うちの両親はその答えをきちんとは答えられなかったんです。
いえ、決して両親のせいにしてるわけではないのですが……(苦笑)
「みんなそうするでしょ?」
確か、そんな答えだったと思います。
捻くれ者の葉野は「どうしてみんなと一緒じゃなくちゃいけないの?」と思います。
右向け右はあまり好きじゃなかったんでしょうねぇ……。
クラスでは浮いていたりするのだからなおさら?
「学校が楽しい」なんて思っていないし、「勉強をするために学校に行く」のなら、「何で勉強をしなくちゃいけないのか……」がクリアできないとしっくりこない、納得できない。
ここで堂々巡りがよーいドン! するわけです。
両親は最後まで、私が納得できる答えを提示できませんでした。
これは人に教えてもらって得る答えだったのかな? と未だに不思議に思っています。
誰か、私に納得できる答えを言える人がいたのかな? って。
その、人には教えてもらえなかった答え。
今はきちんと見えてる気がします。
そして、答えが同じになるからおかしいんです(笑)
私が見つけた答えは、「未来の可能性を広げるため」。
言葉は違えど、「進学する高校をより取り見取り選べるようにするため」と言っているのと変わりありません。
きっと、普通の子ならばそれで理解できるのだと思います。
だって、より身近なものでたとえてくれてるのだから。
中学生にとっては、次のステップとなる高校が“身近”な将来になるわけで、決して間違ってはいないんです。
とても親切なわかりやすいたとえなんです。
でも、学校という場所に重きを感じない子には伝わらない。
「だから何?」って思う。
たぶんね、あの頃の私なら、こうたとえてくれたほうがわかりやすかったと思います。
(園児じゃないんだからと突っ込まれそうなたとえです、あしからず)
ケーキバイキングがあったとして、
「10種類のケーキがあるのにあなたはひとつしか、しかも嫌いなケーキしか食べられないのよ?」
学校がケーキに変わっただけ。
ケーキが学校に変わっただけで、私にはまるで宇宙語を話されてるみたいなたとえ話になっていたんです。
言葉の解釈というか、捉え方は本当に十人十色、三者三様だな、と身をもって体験。
散々悩ませた父様、母様、心からごめんなさい(苦笑)
私の病状は中学1年の秋頃から悪化していて、しょっちゅう病院に運び込まれていました。
頻度にして3日に一度は救急外来に行ってましたね。
自分の体に何が起きてるのかすらわからなくて、毎日発作起して倒れて……。
正直、将来のことを考える余裕なんてなかった。
そんな状況では1年先のこと、さらには数年先のことなんて考えられないんです。
だからね、“高校を選ぶため”なんて言われても真実味がわかなかった。
もともと“学校”という場所にいい印象がないし、さらには先を考えるほどの余裕が自分にない。
そういうことだったんだと思います。
そんな私はとりあえず高校に進学できたわけですが、高校になってやっと“将来の職業”について考えるきっかけができたのです。
きっかけは入院。
散々病院をたらいまわしにされた末に受け入れてくれた病院。
そこで出逢った人たちがとても素敵なひとたちだったのです。
心があたたかくて、仕事に誇りを持っていて。
短期入院した病院では整形外科の先生がとても優しく、わけのわからない症状にも関わらずきちんと向き合ってくださいました。
そこの病院には手術室にしか麻酔科の先生がいないにも関わらず、私の治療をそこでできないかとかけあってくれたり。
その先の麻酔科長が「じゃぁ自分が責任を持って見ます」と言ってくれたり。
硬膜外麻酔の手術のとき、緊張を解すために手術室に流行の曲を流してくれたり。
長期入院した病院の医療従事者の方々もとても素敵な方ばかりで。
それでこういう方面に進みたいな、と思ったんですよね。
お医者さんは匙を投げる人をたくさん見てきていたし、検査だらけの数年だったので、必然と目が行ったのは検査技師さんたちでした。
血液検査はあまり言葉をかわすことはないけれど、レントゲンやCT、MRI、脳波の検査は技師さんと会話をしながらなので、余計に……だったんだろうなぁ。
検査のときしか会わないのに、少し体調のいいときに廊下から外の風景を眺めてたりすると声をかけてくれたり。
看護師さんもとても素敵な人が多かったけど、その職業にあまり惹かれなかったのはどうしてだろう?
でも、検査技師さんの仕事が気になるというお話をしたら、外来が終わって技師さんたちが暇な時間にバックルームに連れて行ってくれたりして。
入院は辛い治療の連続でもあったけど、学校の社会科見学よりも印象的で、とても貴重な社会科見学だったと思います。
……ま、またしても体調的理由でその道も諦めたわけですが(苦笑)
そのときのことを数年後に振り返って思ったの。
私がなりたかったのはレントゲン技師さんだったけど、レントゲンを撮りすぎていた私はお医者さんにとめられた。
でも、もう少し早くから将来のことを考えていたら、すぐに音楽学校を選択することはなく、他の医療従事者への道を選択していたのかも? って。
私が進路を変更したのは高3の2学期。
物理選択はしていたわけだから、そのほかの医療系に進むこともできたんじゃないのかな? と。
でも、レントゲン技師しか見てきてなかった私は、“そのほか”の職業が思い浮かばなかった。
でも、すぐにでも進路を決めなくちゃいけない時期で、「とりあえず短大に行ったら?」という両親や先生の言葉も飲み込めず、“好き”な“音楽”を手にとったのだけども。
意味があるかないかの勉強はこういうところで生きるものなのかも、と思いました。
もし、今、「勉強する意味がわからない」って思ってる人がいたら、とりあえず勉強するべし。
――なんて、私が言うとでも?
言いませんよ(笑)
だって、私は目的がないと勉強できない子だもの。
まずは、周りを見回して将来なりたい職業を考えてみたらどうだろう?
これはね、早いうちから始めておくことに越したことはないですよ。
思いつかなかったら、これは好き、と思えるものを見つける。
とにかく視野を広げる。
本を読むでもいいし、雑誌を見るでも、映画を見るでもいい。
何でもいいから、普段と違う世界をのぞき見ることをお勧めします。
漫画だっていいんですよ?
本当に何でもいいの。
とにかく、身の回りにある世界とは違うものを見ることをお勧めします。
何が好きかをわかっているなら、それを大切に育てる。
その子(好きなもの)がどんな職業に関われるのかを調べてみる。
今の時代、わからない、思いつかない、でそのまま放置しておくのはちょっともったいない気がします。
だって、こんなにもたくさん便利なツールが溢れてるのだから。
ちょっと見てみよう、くらいな気持ちで検索かけて調べてみてはどうでしょう?
調べる課程で、今まで知らなかった職業や勉強の内容が転がってるかもしれませんよ?
そういうものをひとつひとつ拾って、ポケットに入れておいて、後日、時間があるときにでもゆっくり眺めてファイリングして。
そんなふうにしてみては……?
でもね、これは時間があるからできることなんです。←だから早めにね、っていうお話です。
受験の前には勉強する時間が絶対的に必要になるでしょう?
ものが学校という期間限定の門戸でなければいいのですが、たいていの場合は準備期間が必要になることが多いです。
知識を得るのはとても楽しいことで、有意義なこと。
未来の可能性を倍増させるすることだと思います。
学生のころは、それが学校の“勉強”につながり勝ちですが、知識はそれだけじゃない。
雑誌見ることも、本を読むことも、漫画を読むことも、頭に入ってくる知らない情報すべてが知識です。
雑学であろうと、立派な知識ですよ。
学生に限らず、就職をしても家庭に入っても同じ。
家にいる人よりも外に出てる人のほうがたくさんの刺激を受けるでしょうね。
その刺激のカタチも様々。
適度なプレッシャーは、ステップアップするためのいいストレス。
でも、度を過ぎれば悪い意味でのストレスになることも……。
“外(世間)”は揉まれるところ。
でも、揉まれた分、ステップアップにもつながるところだと思いたい。
そして、大海を泳ぎきるだけの体力(耐性)も養われていくのだろうな、と。
最近はうつ病の概念が広がり種類も増え、新型うつなるものも確立されているけれど……。
きっと、ストレスに弱いのには育ってきた環境やその人自身の個性に何かしら原因があるのだと思います。
ほら、私のようにね(笑)?
私の場合は体質に加えて頑固な理解力の低さがあったわけですが……。
でも、時間を経て見えてくるものは必ずあるあから、自分観察、自分分析はしておくといいと思います。
間違った分析しても、いつかは「あぁ、違う」って気付きますから。
人が教えてくれて納得できなかったことも、いつか「あぁ、そうか」っわかるときがくる。
なので、皆さん。
葉野と一緒に自分観察委員の一員になりませんか?(何の誘い?)
自分って人間を見つめて見つめて見つめつくすと、人と比べる以外のモノサシを得ることができます。
即ち自分の中のモノサシ。
それがあると、とても楽にものごとを交わすことも、考えることもできたりします。
逆に、その自分だけのモノサシしかないと、人の中に入ったときに共通のモノサシがなくて苦労することになるので、ごく一般的なモノサシも常備しておくことをお勧めいたします。
それから、自分モノサシを習得するのには時間がかかるので、気長にいきましょう(笑)
あ、そうそう……。
葉野はですね、塾に行ってましたが、場所を何度か変えてます。
いずれも複数人数のクラス、授業形式の塾は合いませんでした。
マンツーマンの塾や家庭教師のほうが合ってました。
人と足並みをそろえて勉強をするところは葉野向きではなかったようです。
わかるところは教えられなくてもわかる。
もしくは、ひとつヒントを貰えばわかる。
でも、わからないところは徹底的に時間をかけないとわからない。
そういう子は複数人数の授業形式の塾には合いません。
もし、自分がそういうタイプかも? と思ったら、ご両親に相談してみてはどうでしょう?
または、どうしてうちの子、成績伸びないのかしら? と思われた父兄の方々。
そんなことを一理由に考えてみてはどうでしょう?
すみません。
もう自己観察なのか自己分析なのか、なんなのかわからなくなってきました。
脱線しすぎだし、なんか最後は皆さんお誘いしてるし……orz
このまとまりのない人間が【光のもとで】を書いてる葉野という人間です。
少しはおわかりいただけましたでしょうか?
今、学生さんの方には“きっと今しかできないことがあるよ”とお伝えしたい。
でも、それが“学校の勉強”と言うつもりは毛頭なく、だからと言って勉強がどうでもいいわけではないです……と小さく添えてみる(←何)
そして、学生さんではない方々には、学生じゃなくても勉強はできるし、“今だからこそできることがあると思いますよ”とお伝えしたい。
どこにいても、きっと気持ちさえあえれば何かを得ることはできるのだと思います。
まずは感度抜群なセンサーをゲットしましょう。
葉野のセンサーは旧式なので感度低めです。
でも、日々、犬も歩けば棒にあたる、的な感じで頑張ってます。
書き始めたところからまとまりのない日記になるだろうなぁ……とは思ってましたが、予想を超えるまとまらなさっぷりに唖然。
でも、このまま終りにします。
何が言いたかったのか、私もよくわかってないので、それは皆様がそれぞれに考えていただけると助かります(←本当にひどい)
でも、たぶん、【光のもとで】のお話を通して伝えたいことの一部だと思います。
そのあたりを感じ取っていただけたら幸いですm(_ _"m)ペコリ
By 葉野りるは