今年一発目の姫日記は手術日記である。
実は2、3年くらい前から身体のあちこちに脂肪の塊ができるようになって、小さなイボみたいなものなのだけど、本来なら若いわんこにできるものらしんですよ。
うちの子当時で13歳とかそのくらいだったので、「なんでできたんだろうね? でも、脂肪の塊だから経過観察で問題ないですよ」と言われていて、様子を見てました。
ところが、時間が経つにつれて少しずつ大きくなってきてまして、最初は全然気にしていなかった姫も、手の指と指の間にできたものに関しては気にするようになってきてしまったんですよね。
最初は舐めてるだけだったのが、かじるようになりまして、出血することも多々……。
歩くときも邪魔になるか違和感ある歩き方で、以前相談したときも「本人が気にするなら切除しましょう」とのことだったので、切除に踏み切りました。
ま、自分でかじってばい菌がはいるよりもいいと思ったので。
幸い、局部麻酔で大丈夫とのことだったので、踏み切れたというのも大きいかも。
全身麻酔だと、やっぱり身体にかかる負担が大きいので。
一月の受診予定日が25日だったのだけど、お昼休みに入っている手術がいっぱいでそこにねじ込むことができず、後日になると抗生物質が足りなくなる……。
直近で水曜日の午後の手術ならOKですって言われたんですけど、水曜日は自分が病院で……。
問い合わせた日は主治医がいなかったので、電話で確認していただけることになり、翌日の夕方に電話があって、「月曜日の朝一番に来ていただけたら、午前受診時間に処置します」とのありがたい回答で、月曜日は朝7時半に家を出て姫の病院へ行ってきました。
9時オープンなので、8時50分着。
なかなかいい感じに着いたな、と思っていたのですが、私の前にすでにふたりの患者さんが……(笑)
みんな早すぎませんっ!?
ま、本当の朝一で入ろうとしたら8時半に来なくちゃいけないのは知ってたんですけども(苦笑)
その後、9時オープンまでに8人の患者さん来たので、皆様が朝が早い……(笑)
順番どおり3番目に診ていただいたのですが、その時点で9時15分くらいだったと思います。
診察室に入ったら、「いつもの検査と処置と一緒にして、経過観察を終えたらお引渡しします」と言われて、すぐにお預け。
私は手術の承諾書に署名したのち、駐車場に停めた車の中で待機。
朝ご飯もすっ飛ばしてきたので、車の中でサンドイッチや飲み物を飲みつつ薬を飲みつつ……(笑)
そのあと、スマホから振込みやら雑貨屋の事務関連の仕事を済ませて、「さあ、下書きの見直し!」とEvernoteを開いた瞬間――
実家の両親がチワワっ子二頭連れてやってきました(笑)
ちなみに、病院は自宅から車で一時間ほどかかる場所にあります(笑)
病院へ行く日もお互いランダムですし、行く時間帯もまちまち。
なので、すっごいびっくりしました。
先日父様とは、病院の駐車場と自宅ベランダという距離で顔を見て話していたものの、母様とは去年の11月くらいに会って(屋外で、距離取って)以来だったので、久しぶりにお顔を見た感じでした。
実家のチワワっ子たちを抱っこしたのも久しぶり。
実家には白茶チワワと白チワワ(司んちのハナちゃんのモデルです♡ 真っ白チワワで性格は甘えん坊なのに家族以外にまったく慣れずわんわん吼える、若干ツンが入った子)がいるのですが、白チワワのほうは割と元気なんです。
でも、白茶チワワがあまりよろしくなくてですね……(-"-;)
目が悪かったり、心臓が悪かったり、膝の関節が悪かったり……。
三頭共通しているのは、肝臓の数値が悪いということ。
あと、白チワワも膝の関節はあまりよくないのかな。
膝の関節はチワワ特有のものかもしれません。
白茶チワワが16歳、うちの子が15歳、白チワワが14歳なんですが、さすがは年長者。
白茶チワワがしょぼしょぼしてました。
会わない間にずいぶん元気なくなっちゃったなぁ、な感じでちょっとショック……orz
体重も軽くなってしまって、おねいちゃんは心配です……。
その日は白茶チワワの目の診察で来ていたみたいなのだけど、病院大嫌いな白チワワはめっちゃ迷惑そうな顔してた(笑)
「私、ここ嫌いなのよっ!」って、今すぐにでも帰りたさそうな顔してて(笑)
母様は病院で、私は車で、父様と白チワワも車で。
少し離れた場所でしばらく会話して、そしたら病院から電話が鳴って、「今処置が終わりました。このあと止血と経過観察に入ります」の連絡。
どうやら、暴れる子には鎮静剤も使うらしいのですが、さすがうちの子。
病院慣れしてるのと、もともとの性格がものすごく穏やかなので、鎮静剤を使わずに済んだようです。
鎮静剤を使えばその分経過観察時間も延びてしまうのですが、使わなかったおかげで12時には引き取ることができました。
そのときに右のあんよを見せていただいたのですが、きれいにスパッと切られてました。
で、普通に縫ってましたので、抜糸のために一週間後にまた受診です。
足は何も巻いてない状態で、エリザベスカラーを付けていたのですが、さすがに一週間足を舐めないように監視してられないので、足にはグルグルと包帯のようなテープのようなものを巻いていただきました。
「日中人が見ていられる時間はエリザベスカラーを外してもいいけれど、夜間寝るときは必ず付けてください」
とのことで、今はそのように生活しております。
そして、何よりも怖かったのが血液検査の結果。
肝臓の数値がまた上がっていたらどうしようかと思っていたのですが、下がってましたーーー(TT▽TT)ダァー
ほんっと、ここ半年から一年くらい?
ずっと数値が上がる一方で、サプリ増やしたりサプリ増やしたり(ちなみに、サプリは保険が利きません……orz)薬の種類増えたり、薬の分量増えたりを続けていて、これだけ薬やサプリ増やしてるのに、まだ数値が上がるのっ!? って感じで、本当きつかったーーー(〒_〒)ウウウ
何が良かったのかいまいちわからないのだけど、先月抗生物質を変えたんですよね。
それが効いたのかな???
でも、腐っても抗生物質ですから。
えぇ、飲み続けられるお薬じゃないんですよ。
なので、もう一ヶ月飲んで、数値が動かなければ、徐々に減らすなり、切るなりしましょうというプランニングを提示されて診察を終えました。
手術も全身麻酔じゃなかったので、思っていたほどの金額にならず……。
会計時に心の底からほっとした件(苦笑)
この日は足りなくなる抗生物質だけいただいて帰ってきました。
また来週の月曜日に病院なのですが、なんとその日に実家の白茶チワワも再診だそうで、時間が合えば、また両親ともチワワっ子たちとも会えそうです^^
病院の待合室も、複数の患者が居合わせた場合は屋外か駐車場の車の中で待つようになっていて、感染対策も万全。
来週もがんばって行ってきます!!!(もちろん朝一で(笑))

昨日一昨日と二日間がんばりまして、サイトのテンプレートをリニューアルしました。
一から自分で作るなんてことはできませんので、今回も人様が作ったものをお借りしています。
今回は「Fool Lovers」様のテンプレ。
もう何年も前からずっと、スマホで見たときのトップページともくじページが気になってたんです。
いえ、小説ページもずっと気にはしていて、小説ページだけ先に新しいテンプレートを試してみたりしていたんですけども、そのテンプレートではトップページをスマホでうまく表示できなくて、悩んでツイッターで呟いていたら、読者様でありフォロワーさんのがっきぃ様が「レスポンシブ」という言葉を教えてくださいました。
その言葉を検索に入れてテンプレート探しの旅に出ましたら、「これ! 私が求めていたのはこれ!!!」というものがわさわさ出てまいりまして、結果、今のテンプレートになりました(笑)
うちの読者様は女性読者様、男性読者様といらっしゃるので、外出先でご覧になるときにファンシーすぎないシンプルなデザインが表示されることを第一に掲げてまして、さらには私の好きなグラデーションものを起用。
自分自身、ハートとか女の子を前面に出してくるようなファンシーな感じのサイトは苦手なので(^^;
いや、それが人様のサイトなら全然問題ないのですが、自分が運営するサイトには使いたくないなぁ、という何かです。
はい、完全に個人の好みの問題です。
なので、なるべくしてこういうデザインにたどり着いた感があります(笑)
サイトトップのメニューも見やすくまとめられたし、サイトにお越しいただいて一番に読んでもらいたいものや、「困ったときにはまずここ読んで!」というのを先頭に持ってこられた満足感半端ないです(笑)
本当は一番上に更新内容を表示して、日参してくださる方の手間を省きたかったんですけどね……。
「ページが表示されません」関連のお問い合わせがあまりにも多いので……(苦笑)
もくじページ内にも、「はじめに」にも記載してたんですけども、やっぱり全部には目を通していただけないんだなぁ、ということがよくわかりました。
見てもらいたいものは、一番上に持って来ないとだめなんだな、と。
葉野、学びました(笑)
サイト運営本当に奥が深い……orz
サイトトップやもくじページの文字は少し小さめに表示して、全体が見やすいようにしてあります。
逆にお話ページは、文字を少し大きめに、文字間そこそこ、行間ほどほど、という感じ。
前回新しくしたテンプレートだと、お話を書き込む場所の幅が割と広くて、相応の文字の大きさや行間をとってもそこまでおかしくならなかったのですが、今回のテンプレートだと、お話を表示する場所の幅がそこまで広くないので、今までの文字の大きさや行間だと、デザインとのバランスが悪くなっちゃうんですよね。
なので、バランスが悪くならないぎりぎりのところまで文字を大きくして、行間とって、という感じに整えてあります。
うちのサイトは下は中学生から、上は70代の方までご覧くださっているので、どうしても文字の大きさ問題が勃発するんですよね(苦笑)
若い方は小さい文字のほうがいいとおっしゃるし、年配の方は大きな文字じゃないと読めないとおっしゃるし……。
でも、両方に対応することはできないので、間を取らせていただいています。
デザインのバランス問題により、これ以上大きな文字にはできないので、パソコンからご覧になられている方で、「もう少し文字が大きい方が見やすいんだけどな」という方は、ブラウザの設定を少しいじってみてください。
もし「Google Chrome」でご覧になられていたら、右上の三つの点のところをクリックすると、メニューが表示されて、上から七段目に「ズーム」という項目があるので、そこで「100%」の右側に表示されている「+」をクリックしてみてください。
1クリックごとに文字が大きくなっていきますので、見やすいと思うところまでクリックしてみてください。
戻すときは「100%」の左側に表示されている「-」をクリックして、「100%」に戻せば元通りです。
「小さい文字で読みたいよー!」という人も同様に表示の大きさを変えることができるので、そこで調節していただけると幸いですm(_ _"m)ペコリ
スマホからご覧の方も、以前のトップページやもくじページよりは見やすくなりましたよ……ね???
ねっ???(コラ
「使い方(見方)がまだいまいちわからないよー」という方はいらっしゃいますでしょうか?
スマホのトップページの一番上に表示される「Riruha* Library」という文字。
新しいテンプレートのページでしたら、どのページにも表示されるのですが、そこをタップ(PCならクリック)すれば、必ずトップページに戻れます。
サイト内迷子が出ないように気を付けてサイトを作ってはいるのだけど、それでも「サイト内迷子になったー!!!」と思いましたら、まず「Riruha* Library」をタップ(クリック)してください。
必ずトップページに戻ります!
で、PCから見るとメニューは左側に表示されるのですが、スマホだと右上に横棒三本と「menu」の表示がありますので、そこをタップしてください。
メニューがでーん! と現れます♡
スクロールすると、下の方まで表示されます!
「Menu」の下に表示される「Home」も「Riruha* Library」と同じで、サイトトップに飛びます!
迷子になったら「Riruha* Library」か「Home」で解決です!
見ておわかりのとおり、右上に表示される「×」マークの下に「Close」と書かれているでしょう?
そこをタップすると、メニューが右側に消えてなくなります。
でもって、スマホの右下に水色の●があって、「top」って書いてあると思うのですが、そこをタップすると、ぐいいいいん!!!! とそのページのトップまで飛んでくれます♡
ひとまず、あちこちタップ(クリック)してみるといいと思います!
まだ一部のページしか新しくなっていませんが、少しずつ地道に差し替えていくので、気長にお待ちくださいm(_ _"m)ペコリ
ふぅっ!
満足した(をぃ
サイトリニューアル日記を書きたかっただけなんです(笑)
実際にご覧になられて、「Menuにこういう項目あったら楽だな」とか何かございましたらご一報ください!
吟味して表示を追加するかどうか決めようと思います。
ではでは!!!

去年の年末、本当に全然日記が書けなかったので、通院覚書日記だろうがなんだろうが、適当にそこそこ書いていきたいと思います(何
今日は今年初の循環器内科。
今年はすでにあれこれ健康問題が勃発してまして(笑)
年明けて、7日だか8日に熱出して、三日感くらい熱出してました。
幸い、風邪の諸症状がでたときに市販薬を飲んで、がっつり発熱してからはロキソニン飲んで、治りかけには市販薬を飲んで、のコンボで無事に治ったんですけども。
風邪が治ったら今度は、左耳裏から首、胸元まで肌荒れというか、かぶれというか、発疹というか、そんな状態で痒くて熱持ってどうにもならず……orz
あげくの果てにはお風呂に入ってお湯の塩素が沁みる始末(〒_〒)ウウウ
病院で出された抗アレルギー剤を持っていたので飲んだんですけど、あまり効果なくて、結局手持ちのステロイド軟膏(アンテベート)塗ったら6日くらいで治まりました。
もう、ステロイド様様……(-∧-;)
まだ少し発疹残ってるんですけど、首全体が真っ赤になってしまったのは治って、今はちゃんと肌色で人間ぽく見えます(何
今日はその残骸っぽいものを先生に診ていただいたのですが、ひどかったときの写真を撮っていたので、それも見せたところ、
「まあまあまあ……これは見事な発疹で……」
と言われたしだい(苦笑)
で、かぶれたか発疹だかの可能性として、「薬剤性」というのがあったのだけど、市販薬に関しては以前から飲んでいるもので、今まで服作用が出たことがないところを見ると、「薬剤性」は却下かな、と。
次、発熱のあとだったことをかんがみて、汗にかぶれた……。
「でも先生、汗かいたあとはちゃんとホットタオルで拭いてすぐに着替えました。枕カバーも毎日変えてます」
で、却下。
次、一番可能性が高いものとしてピアスにかぶれた。
耳裏から症状が出始めたことを考えてもそれが濃厚かな、と。
で、素材の話をあれこれしてたのですが、今まで大丈夫だったものが急にだめになることもあるのだとか。
でもって、私の場合、普段飲んでいるお薬の分量が分量なので、そのお薬の成分が体液に行き渡っていて、それと金属が反応してアレルギー症状が起きた可能性も否めない、と。
なので、薬を飲む分量が減ったり、体調が落ち着いているときだったらもしかしたらアレルギーが出ない可能性もある、のだとか。
「ま、対策としては、症状が出ちゃうとき『つけない』が一番だけどねー!」
って言われました(笑)
私もそう思うし、そう思っているからこそ、今は何もつけないんですけども(笑)
でも、樹脂は大丈夫だった。
あと、サージカルステンレスのゴールドメッキじゃないやつ。
おそらくは、ゴールドメッキに含まれている成分に反応しちゃったんじゃなかなぁ、と。
でも、アレルギーが比較的おきづらいと言われている、「14kgf」でアウトだったんですよね。
むちゃくちゃお気に入りのグリーンオニキスのピアスだったので、かなりショックだったのだけど、そこはアレです。
雑貨屋さんなので、使えるフックにシフトして使い続けますよ……。
グリーンオニキスにはゴールドが合うので、ゴールドを使いたいのだけど、サージカルステンレスにゴールドメッキはアウトだったし、今はK18もアウトっぽいので、樹脂のゴールドか、樹脂のクリア(透明)だなー。
ま、ひとつも選択肢がないわけじゃないので悲観しませんよ!!!
ピアスと言えば、もともと赤が好きで、ファーストピアスもガーネットだったんですけど、本当どこ行ったのっ!?!?!?
私、一度ホールが閉じちゃって、再度穴を開け直してるんですけど、そのときのファーストピアスはアクアマリンでした。
そして、その子も行方不明なんですよね……(-"-;)
捨てた記憶はないので、たぶんどっかにはいると思うんですけど……。
いるならば、ふたり一緒にいると思うんですよね(笑)
今回セカンドピアスに購入したのはロードライトガーネット。
やっぱり赤は持っていたいのですよ……。
ほかに今持っているのはペリドットやグリーンクォーツ、グリーンオニキス、赤メノウあたりですね。
どうしても赤と緑に偏る傾向に……(笑)
並べておくと、クリスマスカラー以外の何者でもありません(笑)
伯母の形見でアメジストやエメラルド、翡翠、ラピスラズリ、ターコイズ、トパーズ、あれこれ持ってるんですけど、ポストとキャッチが全部K18っていうね……orz
今までは普通に使えていたけど、しばらくはつけられないなぁ……。
サージカルステンレスにお直しとかできるショップがあればいいんだけどな。
でもやっぱり、ジュエリーの色味的にゴールドとの相性がいいもの多くて悩ましい(苦笑)
けど今は、サージカルステンレスにイオンプレーティングメッキ(IPメッキ)というものがあって、IPメッキの皮膜はチタンなので、金属アレルギーを起こしにくい素材でゴールドも楽しめる時代なんですよね。
(ちなみに、ピンクゴールドとイエローゴールドの両方あるの!)
そういうところが、ジュエリーのリメイクとかしてくれてたらいいのになぁ。
今度ちょっと探してみよう……。
あ、で……(笑)
今日はいつものお薬にステロイド軟膏(アンテベート)出してもらってきました。
これでいつかぶれても大丈夫!(コラ
ほか、いい報告もひとつ!
さすがこの季節。
ようやく昇圧剤なくても普通に過ごせる程度の血圧数値維持できるようになりました♡
なので、今月から春までは昇圧剤カット!!!
これで毎日のお薬から8錠減るぜ!!!
もう本当、昇圧剤マックスで飲むと一日8錠なので、本当に侮れない……orz
ただこの季節、外や家の中を自分の好みの気温に調節できても、出先は無理なので、外出時だけは昇圧剤必要なんですよね。
ショッピングモールへ行くときは、「え? 本当にその格好で行くの?」って言われそうなくらい薄着で行きます。
車の中ではダウンとか着てても、ショッピングモールへ入るときは薄手の長袖シャツ一枚とか。
じゃないと、屋内で確実に血圧が下がってブラックアウトが待ちうけております(苦笑)
本当、難儀な身体……orz
もっと気楽に生きられる身体が欲しい……(苦笑)
何はともあれ、薬の分量が減ってハッピーです♡
診察はというと、いつもどおり全身のリンパのチェックと圧痛点のチェック。
いつものことなのだけど、左腋窩リンパ節が腫れてました。
それから、左鼠径部やその近くのお腹や足の付け根が触れるだけで痛い。
線維筋痛症だからなのか、ほかに原因があるのかわからないのだけど、いつも左側の鼠径部周辺は力入れずに触れるだけでやな感じがする。
触れるだけなら大丈夫なときと、触れるだけで「無理!」ってなる日がある程度には状態が日によって全然違うのだけど。
でも、動いて痛いとかじゃないからグロインペイン症とかではないんですよね。
人体難しい(-"-;)
あと、いつも心臓の音は聴いてもらってるんですけど、コロナが流行りだしてからは必ず呼吸音も聴かれるようになった。
なので、一ヶ月に一度は肺の音聴いてもらっているので、安心は安心です♡
10時に病院を出て、最寄ショッピングモールに着いたのは11時前くらいかな?
まずはユニクロにスキニーの裾上げへ。
最近はアンクル丈が流行りじゃないですか。
なので、普通丈を買ってしまうと短い(笑)
164cmって微妙な身長なんですよね(苦笑)
たぶん、160cmから162cmならちょうどいい丈だと思うんです。
でも、164cmだとほんのちょっと足りない!!!
で、長身者用の丈を購入するとちょっと長い(笑)
本当に、2cmとかそんな差なんですけど、長い(笑)
8cmヒールくらいで履けばぎりぎりいける感じなんだけど、フラットシューズだとちょっとつらい(笑)
スキニーだから、膝下でくしゅくしゅさせても……と思ったら、そこまで細いスキニーじゃなくて、くしゅくしゅなってくれなかった(笑)
でも、ラインはとてもきれいで気に入ったジーパンだったので、しっかりお直し出してきたよ!
時間待たされるかな、って思ってたのだけど、午前中だったからか、全然混んでなくて、二本15分くらいで仕上がった。
これでがしがし履けるぞ!
この最寄ショッピングモールはイトーヨーカドーとイオンが並んで建ってるんですけど、イオンへ行くと郵便局のATMがあるので、そこで入金などしたり。
そのあとイトーヨーカドーへ戻ってバレンタイン催事場でチョコ購入。
お友達の誕生日プレゼント用と差し入れ用と旦那様の分と父様の分。
今回は自分の分買いませんでした。
でも、しっかりアンティークてチョコブラウニー買ってるからだめ……(笑)
本当、アンティークの「世にもおいしいチョコブラウニー」にとりつかれててどうにもなりません……orz
3月に人間ドックなんだけど、そこまでにもとの体重に戻せる気がまったくしない(苦笑)
もう本当、どうしようかな(苦笑)
10月からストップしてるんだけど、鉄とマグネシウムサプリを再開しようかな、と思ってます。
(甘いものをあまり欲しなくなるんだよ)
で、ユニクロへ戻ってジーパン受け取ってからダイソーへ。
今日は自分用のアルコールフリーの除菌ウェットシートと、旦那様用のアルコール入りの除菌ウェットシートを購入。
ほかにマスキングテープと透明のラッピング用袋。
姫のご飯スタンドの下に敷くトレイ、油性マジック、アドレスシール。
かわいいフレークシールが欲しかったけど、やっぱりフレークシールはセリアのほうがかわいいのあるよね。
ということで、シールは買わず。
あと、水曜日に無印のステンレスの角型ハンガー届くのに、ダイソーで売ってる角型ハンガー買ってしまった……orz
何やってるんだ、私……orz
だって、プラスチック製だけどなんだか丈夫そうだし、ビンチ数が無印のよりも多かったんだもの!!!
最悪、無印のは外で使う用にします。
屋内用のはダイソーので……(笑)
私、お洋服はあまり外に干さなくて、タオルやマット類の日光消毒したいものや、乾くのに時間のかかるものを外に干す傾向にあるんですよね。
洋服は焼けちゃったりするのがいやで、屋内干しが多い。
靴下とかゴムが入ってるものも、日光を当てるよりはゴムの劣化が遅くなる感じ。
ダイソーで購入したのはこんなところかな?
そのあと食材の買い出しをざーっとして、薬局へ寄って帰宅。
できれば午前中に帰宅したかったし、最悪12時台に帰宅したかったけど、ぎりぎり13時。
まあまあかな。
目一杯お買い物してきたから、一週間はお買い物へ行かなくていいはずなんだ。
やりくりがんばるぞ!
帰宅して荷解きして、配布物を各家のポストに配って……。
うちのマンション、最近おかしいんですよ。
朝とか日中に照明が点いてて、夜が真っ暗なの(笑)
照明がどういうシステムで点いてるのかわからないのだけど、たぶん朝と夜が逆転しちゃったんだろうね?
でもさすがに真っ暗すぎて、上るのはともかく、下りるのめちゃくちゃ怖いから不動産会社に電話して「直してくださいー!」ってお願いしてみました。
さっき通路見たら、ちゃんと照明点いてたらかほっとしました(笑)
もうなんていうか、照明のありがたさをひしひしと感じました(^^;
照明ついてない真っ暗な中を、階段下りるのめちゃくちゃ怖いんですよ!
今度また同じことがあったら、今度は気付いた時点で連絡しようと思います……(笑)
でも、何がどうして逆転しちゃったんだろう???
通院、お買い物日記はこのくらいで。

01話はほぼほぼそのまま使ったので、02話からのボツ話となります。
迷走しているのが(話に矛盾点が出て困っている様)よくわかるお話になっています(何
絶賛下書き中の状態の文章を確認もせずコピペしているので、誤字脱字、文章の重複などがあるかもしれません。
あくまでボツ話としてお楽しみくださいm(_ _"m)ペコリ
【02話】
霞がかっていた視界がしだいにはっきりとしだす。目に見えるものの輪郭が一本の線になってから、私は辺りを見回した。
ここは幼少期を過ごしたアパートの一室……。
ダイニングの片隅に、靴を履き替えるスペースがあるだけの玄関があり、華奢なヒールの靴が散乱している。ダイニングにはツードアの冷蔵庫と、食器棚代わりのラックがひとつ。
ラックの上には電子レンジらしきものが置いてあるけれど、そのほかに調理家電と思しきものはない。ダイニングテーブルも椅子もない、ガランとしたスペース。それがこの家のダイニングだった。
ダイニングに面しているのは六畳ほどのリビング。
折りたたみ式の小さなテーブルと、カバーが破れたピンクの座椅子がひとつ。ほかには、大きさの異なる薄汚れたクッションがふたつ。小さいテレビも置かれていたけれど、そのテレビがついていた記憶はあまりない。
リビングの窓から見える外は、地面に砂利が敷き詰められていて、突き当たりには灰色のブロック塀が聳えている。その光景から察するに、部屋は一階だったのだろう。
リビングの右隣にもう一部屋あって、その部屋には常に布団が敷かれていた。
どの部屋も、窓からの採光が望めない薄暗い部屋で、湿気がひどかったのか、窓際の白い壁はところどころが黒ずんでいた。
幼い私には、黒い染みの一部が薄笑いを浮かべた人の顔に見え、気味が悪くて、それが見えないダイニングの片隅に座り込んでいることが多かった。
そう……。寒い季節は冷蔵庫の近くがあたたかくて、暑い季節はダイニングとリビングを仕切るガラス戸が冷たくて気持ちがいい。
その温度を思い出すように冷蔵庫へ手を伸ばし、馴染みある振動と温度を手のひらに感じてから部屋を振り返る。
倒れたゴミ箱、中途半端に潰された缶、食べかけのお弁当、飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられた洋服――
部屋はいつでも雑然としていて、部屋のあちこちにゴミ袋があり、洋服がそこら中に山積していた。
その家には、私とひとりの大人が住んでいた。
その大人が「親」であることも、「母」であることも、幼い私は認知していなかった。
毎日やってくるその人は、いつも機嫌が悪くて、怒らせたらいけない人――そういう認識だった。
その人は外が暗くなるころに部屋を出て行き、明け方にやってくる。
部屋を出て行くときにはいい香りを身に纏っているのに、戻ってくるときにはなんとも言えない不快な臭いを漂わせていた。
幼かった私は、いい匂いは時間が経つと臭くなるのだと思っていたけれど、いい匂いと感じたそれは香水で、不快に感じた臭いは香水やアルコール、タバコの臭いが混ざったものだったのだろう。
私は毎朝、その人が帰ってくる音で目覚めていた。
その人はカンカンとハイヒールの音を鳴らしながらやってきて、家のドアを開けると靴を脱ぐのもそこそこに倒れこむ。そして、「雅、水っ」と言うのがいつものこと。
しかし四歳の私が背伸びをしたところで流しの縁に手が届く程度。どうしたってその先にあるレバーに手は届かない。
栄養状態の悪かった私は著しく成長が遅く、一般的な四歳児と比べると、格段に体格が小さかったのだ。
その人も手が届かないとわかっていて口にしていたのだろう。
何もできない私に舌打ちをすると、苛立ちを隠すことなく手近なものを私へ向かって投げつけた。
重量のないゴミやペットボトルならさほど痛くはない。けれども細かいビジューが表面を覆う、小さくて硬いバッグを投げつけられたときは痛かった。それが当たったときは決まって痣ができたし、ビジューで傷ついた肌が血で滲むこともあった。
その人は自力で水を汲むと壁に背を預け、気だるそうに私を見ながら水を飲んでいた。
そのときの視線が忘れられない……。
あの、人を蔑むような視線は、幼いながらに居心地の悪さを感じたものだ。
幼い子どもに視線の意味や理由を考えることはできない。ただ、得も言われぬ不安に萎縮するのみ。
この人を怒らせてはいけない。この人を怒らせたら良くないことが起きる――
何を知らずともそれだけはわかっていて、私は極力口を開かず、キッチンの片隅に佇んでいた。
酔って帰ってくると、その人はよく言っていた。
「こんなはずじゃなかった。本妻になっていたら、こんな生活とは縁を切れたのに」と。
当時は何を言われているのかさっぱりわからなかった。それでも、口調や視線から、自分が責められていることはなんとなくわかっていた。
そして今なら、その言葉が何を指していたのか、その人が何を思って口にしたのかをきちんと理解できる。
私は婚外子だったのだ。わかりやすく言うなら、不倫の末にできた子だ。
ただそれだけなら、私を産んだこの人がここまで荒むことはなかったのかもしれない。
生物学上私の父となる人は、社会的地位のある人間――泣く子も黙る、藤宮グループの御曹司だったのだ。
そんな人間との結婚を夢見てしまったがゆえに、今の生活を受け入れられない――それが母だった。
だいたいにして、既婚者との不倫がうまくいく確率などそう高くはない。家柄や社会的地位が絡めばなおのこと。
そもそも父は保守的な人間で、体裁をひどく気にする性質だ。
家柄の釣り合う人間と結婚していたならば、夫婦間がうまくいっていなかったとしても、離婚することはないだろう。もっと言うなら、私という存在が産まれることだってよしとはしなかったはず。
自分の体裁が傷つく以上の見返りがない限り、婚外子など認めないし、自分が関係を持った女が妊娠したと知れば、どんな手を使ってでも中絶させると断言できる。
この人は、父がそういう人間であることを知りもせずに私を産んだのだろうか。
……否。察することすらできなかったのなら、私は産まれていない。
つまり、父がどんな人間なのかは多少なりともわかっていて、妊娠を悟られないよう策を講じたと考えるべき。
あの父に妊娠を隠し通したことはすごいと思う。けれど、その先の見通しが安易すぎた。
当時父と正妻の間に子はなく、母は自分が子どもを授かりさえすれば、本妻の座に収まれると本気で信じていたのだ。
父を知る身からすれば、「バカらしい」の一言に尽きる。けれども、一般的にはどうなのだろう。
誰もが知る藤宮グループの御曹司の子を身ごもったならば、たとえ自分が不倫相手でも、本妻になれると疑うことなく思うものだろうか。
そんなわけがない……。
普通の感覚を持った人ならば、そんな自分本位な考えは思い浮かびもしないだろう。
そもそもの関係が不倫だし、父の性格を考慮すればなおさらだ。
「藤宮」が後継者問題を抱えていれば話は変わってくるのかもしれないけれど、藤宮グループの次期総帥は決まっていたし、次々期総帥まで決まっていた。私が産まれたところで何が変わることもない。このくらいの情報は、一族の人間でなくても容易に知ることができたはず。
それを踏まえて考えれば考えるほど、私を産んだ人はとてもおめでたい思考回路で、ご都合主義者だったと言わざるを得ない。
この人の口癖はほかにもある。
「あんたがいなければもっと楽に生きられたし、こんなことにだってなってなかった」。
それもいかがなものか。
私を産むと決めたのは自身のはずだし、私がいてもいなくても、母の生活はさして変わらなかったんじゃないだろうか。
家に私がいても日替わりで違う男を連れ込んでいたし、私がいたから、と言われるほど自分に時間を割いてもらった覚えはない。
でもそれは、私の記憶がはっきりしている部分において、の話だ。
退行催眠を繰り返すことで、曖昧だった記憶は鮮明になり、三歳以前の記憶も少しずつ思い出すことができた。
産まれたばかりのころはかわいがられていたのかもしれない。愛されていたのかもしれない。そんな願望が少なからずあったけれど、産み落とされたその瞬間から、母は私を金づるとしてしか見ていなかった。
おそらくは妊娠中も、「大事な金づる」としか思われていなかったのだろう。もっと言うならば、愛し合った末に生まれた命ですらない。
そんなこと、誰に言われずともわかっていた。でも改めて突きつけられると、心を切り刻まれる思いだった。
母にどう思われていたかはともかく、この世に産まれた私を数年間生かしてくれた人に違いはない。生まれたばかりの子どもは、誰かが世話をしてくれなければ命をつなぐことすらできないのだから。
母はひとりで私を産み、産後落ち着いたころに父へコンタクトを取ろうとしたらしい。けれど父の秘書に門前払いされ、父と直接話すことは叶わなかったのだとか。結果、最初の一年は貯金を崩して生活をしていたという。
やがて貯金が底をつき、生活保護を受けアパートの一室で身体を売って生活をつなぎ始めた。
それでも収入が足りず、夜の仕事を再開したのは私が四歳になる年のこと。
本格的に育児放棄が始まったのが、四歳のころだったのだ。
退行催眠ですべてを思い出せるわけではないけれど、静さんに渡された調査報告書の裏づけとなる記憶は、十分に得られていた。
【03話】
あのころ、一日にご飯を食べられたのは良くて二回だったと記憶している。
たいていは、パンが入った袋が無造作にテーブルへ置かれていて、喉が渇くとバケツに汲まれた水を飲んで過ごした。
栄養面や衛生面を考えれば問題しかないけれど、何もないよりはいい。
それらがあったおかげで、私は餓死せずに済んだのだから。
生き物に備わる「生存本能」は、幼い子どもであっても働くらしい。私は人に指示されることなく飲み食いすることを心得ていた。
しかし、「本能」で何もかもクリアできるわけではない。人が人らしく暮らしていくには、教えられなければ習得できないことのほうが多いのだ。
そのひとつが「排泄」。
母は私に「トイレ」を教えはしなかった。私は産まれてからずっと、オムツを履かされていた。
母が家にいたころは、文句を言いながらも日に数回替えてくれていたけれど、母が夜の仕事を再開してからは、一日中同じオムツを履くことになった。
最初こそ排泄後の気持ち悪さに泣き喚き、自分で脱いでしまうこともあったけれど、脱いだときにはものすごい剣幕で怒られたし、泣き喚いたところで何が変わることもないとわかると、私は泣くこともなくなり、不快感に対して鈍感になっていった。
しかし、いくら本人が鈍感になろうがオムツ自体に限界がある。
オムツから排泄物が漏れ出て部屋を汚してしまうことも多々あったけれど、母は感情に任せて怒るばかりで、決して「トイレ」を教えようとはしなかった。
そんな私が藤宮に引き取られたのは、四歳になってすぐのこと。
「やっと役に立った。あんたと別れられて清々する」。
そんな言葉とともに家から追い出され、唖然とした私は外に待機していた黒服の男に抱き上げられた。
外に出る習慣がなかった私は、屋外というだけで不安に駆られる。
車を見たことがなかったわけではない。でも、乗るのは初めてだし、チャイルドシートを見るのだって初めてだ。そこへきて、チャイルドシートに固定され、身体の自由を奪われたらパニックにだってなる。
私は数ヶ月ぶりに泣き叫んだ。
声が枯れるまで泣いて気づいたことはひとつ――
私がどれほど泣き喚いても、隣に座る黒服の大人は痛いことをしない。母のように怒鳴ることもない。それどころか、無言で私の頭を撫でていた。
自分に伸びてくる手は、いつだって「痛い」とセットだったのに……。
「この人はなんだろう?」――そんな思いで隣に座る大人を見上げると、
「今、雅様のお父様のおうちへ向かっています」
四歳児にとって、この文章の難易度はいかほどだろう。
親に愛され、毎日のように話しかけられて育ったならば、理解できる内容だったのだろうか。
わかることといえば、そのときの私には到底理解できない文章だったことくらい。
私は、「言葉」を使って人とコミュニケーションをとる知能がなかったのだ。
車が停まったのは、大きな洋館の前だった。その洋館こそ、私が四歳から二十四歳まで暮らした場所でもある。
それまで住んでいたアパートの玄関ドアだって、四歳の私からしてみたら大きなドアだった。しかしこの建物のドアは比べ物にならないほどに大きなもので、幼い私には「ドア」と認識することができなかった。
「ここが雅様の新しいおうちです」
私を抱えて歩く黒服の男はそう言った。
「雅様」が自分を示す語句であることはなんとなくわかっていて、「おうち」の意味もおぼろげではあるが理解できていたと思う。でも、私にとっての「おうち」は今まで過ごしたアパートだし、「新しい」という言葉が理解できない私は、何を言われているのかさっぱりわからなかった。
建物の中に入ると同じ服装の女性が三人待機していて、私はその人たちに託された。
最初に連れて行かれたのは、自宅のリビングより広い部屋。
その部屋はとてもあたたかく、なんだかいい匂いがした。
出かける前の母から香ってくるような鮮明な香りではなく、もっと柔らかくて優しい掴みどころのない香り。
その正体を探すべく室内を見回すと、壁面に見覚えのあるものを見つける。
シャワーヘッドだ。
母がそれを手に持ったときは、容赦なく冷たい水を身体にかけられた。
恐怖心から後ずさるも、大人の手にすぐ捕まってしまう。
今度こそ痛いことをされる。冷たい水をかけられる――
私は身体を丸めて縮こまり、次にくる衝撃に備えて目を瞑っていた。けれども、どれほど待っても「痛い」も「冷たい」もやってこなかった。
そっと目を開けると、心配そうにこちらを見る目があった。
「何を恐れられておいでですか?」
たずねられても言葉の意味がわからない。
不安ばかりが膨らむ中、再度手が近づいてきて、私は反射的に目を瞑った。けれどもその手は、私の頭を優しく撫でただけだった。
伸びてきた手が「痛い」ことをしないのは、私をここへ連れてきた人に続いてふたり目。
「何も恐ろしいことはありませんよ」
声は優しく響き、その人は何度も頭を撫で、背中を擦ってくれた。
ただそれだけのことに、ひどく安心したのを覚えている。
「汚れたお洋服は脱いで、身体をきれいに洗いましょう。髪の毛も洗って、乾かしたら少し整えましょうね」
今思えば何も難しいことは言われていない。でもあのときの私には、理解できるわけがなかった。
それでも、服に手が伸びてくればその先は想像に易い。
服を脱がされれば問答無用で水をかけられる。そう刷り込まれていたがゆえに、私はバスルームの中を逃げ回った。しかし大人三人に子どもひとりだ。すぐに捕獲されてしまうし、粗末な服はいとも簡単に脱がされてしまう。
シャワーヘッドを手に持った人が近づいたときに、私は泣き出した。
そこで、シャワーヘッドを怖がっていることを理解したのだろう。
三人は言葉少なに話し合い、シャワーヘッドをフックへ戻すと洗面器を用意した。そこへ水を張ると、優しく私の手を取り水に触れるよう促す。
もともとバケツに張られた水を飲んで過ごしてきたのだ。目の前にある光景は決して恐ろしさを感じるものではない。
促されるままに水へ手を浸すと、手に触れるものがいつもと異なることに気づく。
私は驚きに目を瞠った。
私の知っている「水」はひんやりとしていて、時期によっては身を刺すような感触を得るものだった。でもこれは――
疑問に思いながら何度も手を浸す。
「……みず?」
近くにいた女性にたずねると、三人はクスクスと笑った。
「これは『お湯』です」
「お、ゆ?」
「はい。お水があたたかいものは『お湯』と申します」
「おゆ……」
私は確認するように、何度も何度も手を浸した。その感触は、冷蔵庫から伝う柔らかな熱によく似ていた。
私は知らないことをバスルームでたくさん学んだ。
人の手が近づいてきたからといって、痛いことをされるわけではないこと。シャワーヘッドからは、ひんやりとした水だけではなくあたたかいお湯が出ること。身体をきれいにするときは、白い泡が立つ石鹸を使うこと。頭を洗うと気持ちがいいこと。お湯に触れると、身体や心がポカポカしてくること。
今まで経験したこともなければ、知らなかったことばかり。
そんな私の最後の試練はバスタブだった。
自宅のバスルームにも四方を囲まれたスペースはあったけれど、狭いそこは私の動きを封じるためのもので、汚れた私に水をかける場所でしかなかったのだ。
そこに水が張られていたところなど見たこともなければ、その水に浸かるという発想には到底至らない。何よりも、見たこともない大きさのバスタブに尻込みをしていた。
バスタブから遠ざかる私に手を差し出してくれた人は、にこりと笑ってバスタブの水に手をくぐらせる。
「雅様、これはお湯ですよ」
「お、ゆ……?」
「そうです。あたたかいお水です」
身体を洗うときも頭を洗うときも、あたたかい水を使った。それはとても気持ちがいいものだった。
「お湯の中に入ってみませんか? あたたかくてとても気持ちがいいですよ。ほら、ヒヨコさんが一緒に入りましょう、と申しております」
バスタブには、色とりどりの何かが無数に浮かんでいた。けれど、おもちゃで遊んだことのない私には、それらを「遊び道具」と認識することはできなかった。
それでも、見たことのないものに対する好奇心はあったらしい。私は物珍しいものへ向かって一歩二歩、とバスタブへ近づき、水面に浮かぶものを注視した。
「動物はお好きですか?」
「どう、ぶつ?」
女性は手近なおもちゃを手に取ると、
「これはヒヨコです」
「ひょこ……?」
「はい。こちらはワニです」
「わに……」
「はい。ヒヨコもワニも生き物、動物ですよ」
「どう、ぶつ……」
おもちゃは動物を模したものばかりで、その人はそれらすべての名前を教えてくれた。そうして私の警戒心が緩んだころ、再度バスタブへ浸かることを勧められたのだ。
「私が手をつないでおります。それでしたら怖くはないでしょう?」
相変わらず何を言われているのかはわからない。それでも、この場にいる人が自分に危害を加えることがないことはわかり始めていて、私は促されるままにバスタブへ足を踏み入れた。
お湯は私の身長を考慮して張られており、腰を下ろしても水面は胸元までしかなかった。
初めてのお風呂で十分に温まると、次は恐ろしく柔らかなタオルに包まれる。
肌に当たるそれはふわふわしていて、穏やかな香りに夢見心地にさせられる。
うっとりとしたままタオルに頬を寄せると、女性たちにクスクスと笑われた。
「さ、水気はきちんと吸い取りましたから、お風邪をお召しになる前にお洋服を着ましょうね」
そう言って見せられたのは、フリルがふんだんにあしらわれた淡いピンクのワンピース。
もちろん、そんな洋服は見たこともなければ着たこともない。今まではサイズの合っていないTシャツに、オムツ姿だったのだから。
そんな私でも、きれいな色やかわいいもの、新しいものに対する「ときめき」は感じることができた。
ドキドキしながら袖を通し、背中のファスナーを上げてもらう。と、同じ女性の手によって髪の毛を乾かされ、丁寧に櫛を通しては前髪を切られた。
物心付いてからずっと、視界に髪の毛が映るのが常だったこともあり、急に開けた視界に驚いた。
「さ、かわいくなりましたよ。雅様、こちらへお越しくださいませ」
手を引かれ立たされた場所は、鏡の前だった。
目の前に、自分が着た洋服と同じ格好をした子が立っていた。私をじっと見て――
私が手を伸ばせばその子も同じように手を伸ばす。
不思議に思っていると、
「雅様、これは鏡です。こちらに映っていらっしゃるのは雅様ご自身ですよ」
私は産まれて初めて、鏡に映る自分の姿を目にした。
バスルームの次に連れて行かれたのは、庭園に面する一室。
室内は明るく開放感があり、屋内からでも外に咲く花々を楽しむことができる。その部屋にいたのが歌子――現在の継母だ。
「奥様、雅様をお連れいたしました」
白いワンピースを身に纏った歌子はソファに座り、花柄が美しいティーカップを傾けていた。
線が細く抜けるほどに白い肌の女性はゆるり、と首をめぐらせ私に視線を向ける。
顔立ちのはっきりとした、見目麗しい女性だった。歌子は数秒間私を見て視線を外すと、
「貧相だけれど、器量はまあまあね……。それにしても、なんて中途半端な時期に引き取ったのかしら。今からじゃ、幼稚部に入れられないじゃない……」
歌子は窓の外を見たまま、
「メイド長、礼儀作法の先生は二宮先生を。お稽古ごとは――最低限でかまわないわ。書道、華道、茶道、それぞれの先生に連絡を。目標は藤宮学園初等部の受験。もしもパスできなかったら、あなたの仕事がなくなると思いなさい」
「かしこまりました」
「そのほかの一切をメイド長に任せます。よろしくて?」
「承知いたしました」
私と継母の対面は以上、だ。
「新しく母になる人」という紹介もなければ、私自身を紹介する言葉とて、先ほどメイド長なる人が口にしたのみ。
どういう経緯でここへ連れてこられたのかも、これからどうなるのかも、何も話してはもらえなかった。
もっとも、話してもらえたところで、私が理解できるはずもなかったのだけれど……。
藤宮に引き取られた私は、病院でありとあらゆる検査を受けさせられた。
結果は、目に見えてわかる栄養失調のほか、著しい発達の遅れが問題視された。
生活力、社会性、運動、言葉、記憶力――何をとっても四歳児の平均には及ばず、同年代との集団生活は送れないだろうと判断された。
メイド長と医師が何を話しているのかは理解できなかったけれど、哀れむような目で見られていたのは今でも覚えている。
そしてその日から、私は日常生活に必要なことを一から学び始め、言葉の習得を始めた。
最初の数ヶ月は、数人のメイドが付きっきりで面倒を見てくれた。
慣れない生活に戸惑い熱を出すこともあったけれど、私がその生活に順応するまでにそう時間はかからなかった。
優しく話しかけてもらえることが嬉しかったし、知らないことをひとつひとつ覚えていくのはとても楽しかった。
たとえ話している内容がわからなくても、相手が何かを伝えようとしているのは見ていればわかったし、身振りや手振り、直接誘導されることで求められていることを察するのはそこまで難しくはなかった。
さらには、求められたとおりに行動できると盛大に喜び、褒めてもらえた。それが何よりも嬉しくて、私は次々とルールを覚え、知識を身につけていった。
そうして一年が経つころには、同年代の子と変わりなく成長していたし、五歳半ばには、同年代の子たちよりたくさんの言葉を話せるようになっていた。
藤宮学園初等部の受験も難なく合格。
受験では両親同伴の面接があったわけだけど、家族が三人揃ったのはこの日が初めてのことだった。
このころにはアパートで一緒に暮らしていたのが実母であることも、歌子が継母で、現在の母であることも理解していた。
でも、相応の知識を得ても、「家族」がどういうものであるのかはわからずにいた。
本に記される「家族像」やクラスメイトが話す「家族」には共通点があるのに、私が得た「家族」とはまったく違った。
同じ建物に暮らしていても、ともにご飯を食べることはおろか、口を利いたこともない。屋敷内で見かけても冷たく一瞥されるだけで、実の母親に向けられたそれとなんら変わることはなかったのだ。
使用人は皆優しかったけれど、私がある程度のことを理解できるようになると、皆腫れ物に触れるような接し方に変わり、心の距離が開いてしまった。
そんな中、時々訪れる祖父だけは私をかわいがり甘やかしてくれた。けれどその祖父も、私が中等部三年のときに亡くなってしまった。
初等部、中等部のころは養護教諭が心のよりどころだったけれど、その先生も結婚を機に退職してしまい、高等部へ上がると、私は完全なる独りになっていた――
【04話】
衣食住に困ることはなかったし、何をせずとも相応の教育を受けさせてもらえる。でも、私の心が満たされることはなかったし、いつだってどうしようもない虚しさや焦燥感を感じていた。
最初から何も持っていなかったし、何を無くしたわけでもない。けれど、心にぽっかりと穴が空いたような感覚は拭えず、それを埋めるために必死で心理学の本を読み漁っていた。
でも、どんなに時間を費やし小難しい本を読み解いても、心が満ちる感覚は得られず、焦燥感ばかりが募っていった。
もしも心を許せる友人がいたなら少しは何かが変わっていただろうか。けれど実際は、九年間も同じ学校へ通っていたにも関わらず、私にそれらしい存在はできなかった。
初等部に入学したばかりのころは、相応に話せる人もいた。時間が経つにつれて「藤宮の人間」という認知が進み、クラスメイトたちの対応に変化が現れた。
下心ありきで近づいてくる人間もいれば、私が正妻の子どもでないと知ってマウントを取りにくる人間。や、遠巻きにされるようになった。
初等部の始めごろにはそれなりに話せる人もいた。でも年を重ねるごとに、「藤宮の雅ちゃん」という印象が強くなっていき、
少し「藤宮」から遠のけば、何かが変わるかもしれない。
そう思った私は藤宮の大学へは進まず、違う大学を受験した。
そうして違う環境に身をおいたものの、そこでもやっぱりまともな人間関係を築くことはできず……。
もしかしたら、親の愛情に触れずに育った私には、土台無理な話だったのかもしれない。
大学生活が始まってしばらくすると、産みの親がコンタクトを取ってきた。
「あれからどうしているのか心配だった」と――
精神的に不安定だった私は、そんな言葉に絆され母親と会ってしまったのだ。
それが地獄への入り口とも知らずに……。
警護班の人間には「お考え直しください」と引き止められた。けれど私は、「実の母と会うだけ」と突っぱね、警護班を伴わずにひとりで約束の場所へ赴いた。
そこは繁華街の一角。でも、警戒するには至らなかった。
あぁ、きっと今も夜の仕事をしているのだろう。呼び出された場所はおそらく勤務先か何か。そんなふうに思っていた。
薄暗い店に足を踏み入れると母親のほかに、ホストのなりをした男が五人いた。
記憶に残る母は少し老けた程度で、あのころと変わらず派手な服装をしていた。
体型も変わらず、高いハイヒールを履いているのも変わらない。
「ふぅん……。写真で見て知ってはいたけれど、ずいぶんと清楚なお嬢様に育ったじゃない? そのうえ教養もある……。申し分ないわね」
口元に笑みを浮かべ話す様に、「心配」などされていなかったことを思い知る。
私はいったい何を期待していたのか――
だいたいにして、何かを期待できるような過去などひとつもないというのに。
「これなら高く売れんじゃねー?」
母の隣に立つ男は、まるで品定めするような視線をめぐらす。
嫌悪感を覚えると、
「まあ、そう焦らないで? まずはこの子から引き出せばいいのよ。なんたって藤宮のお嬢様なんだから」
「でもよ、御曹司に知れたらやばいんじゃねーの?」
なんの話をしているのかわからずに聞いていると、母はくつくつと笑いだした。
「やだ、あの男がこの子を守るとでも? そんなことあるわけないじゃない。あの男もその奥方も、この子には一切興味がないんだから。それは引き取る前も引き取ったあとも、変わらないわ。この子を引き取ったのだって、養育費だなんだって私から連絡があるのが煩わしくて、私との関係を完全に絶ちたいがために引き取っただけ。現に、金輪際自分に関わらないっていう誓約書は書かせられたけど、それにこの子は含まれてない」
母の言葉に頭を鈍器で殴られた気がした。
必要以上の期待はしないし、夢だって見ない。
でも、小さいころからずっと、父が私を引き取った理由を知りたいと思っていた。何かそれらしい理由があると思っていた。
でも、そんな理由はなかった。ただこの女との関係を絶ちたかっただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
私にはなんの価値もなかった。
そんなの、藤宮に引き取られてからの対応を思い返せばわかりそうなものなのに――
「へぇ~……じゃ、最初はこいつから金を引き出して、金が引き出せなくなったらソープに落としゃーいいな。いい値で売れるぜ?」
その言葉に危機感を覚え、咄嗟に出口へ向かおうとした。けど、気づけば背後に四人の男が立っていて、とっくに退路は塞がれていた。
思わず一歩二歩と後ずさるも、逃げ場が生まれるわけではなかったし、ここへ呼び出した母が助けてくれるはずもない。
私はあっという間に男たちに囲まれ、無理やり服を脱がされては写真を撮られ、動画を録られた。
必死に抵抗したところで複数の男の力に敵うわけがなく、助けを求めたところで誰に届くでもない。
私は絶望を感じながら涙を零し、何度も光るフラッシュと、無機質に響くシャッター音を聞き続けた。
私は実の母に陥れられ、辱められたのだ。
そして、それらの画像や動画を盾に、お金をせびられ始めた。
母からの連絡を無視すると、間を置かずに画像や動画が送られてきて、「無視をするな」と言葉なく脅された。
仕方なくホストクラブへ出向くと、決まって高いお酒を買わされた。支払いはすべてクレジットカード。
クレジットカードの使用料が増えれば両親が何かを言ってくる。気づいてもらえる。そう思っていた私はかなり甘かった。
実際、クレジットカードの使用料は日に日に増していったけれど、それで両親が何かを言ってくることはなかった。母が言うとおり、両親は私に一ミリも関心がなかったのだ。
月に何度かホストクラブへ通い、高いお酒を買って散財する。そんなことが一年以上続いたある日、急にクレジットカードが使えなくなった。
何で気づいたかと言うならば、携帯会社からの連絡で、だ。使用料の引き落としができなかったと連絡を受け、不思議に思ってカード会社へ連絡すると、カードが無効になっていた。
理由を聞いても教えてはもらえなかったし、ほかの信販会社にクレジットカードの申請をしても通らなかった。
幸い、連絡を受けたその日のうちに店頭で支払いを済ませたことから、スマホが使えなくなることはなかった。でも、次に母から連絡がきたらどうすればいいのか――
どうするも何も、ホストクラブへは行かなくてはいけない。そこでクレジットカードが使えないと知れたら、今度こそソープに落とされる。
ソープに落とされたら、もうここへは帰ってこられないかもしれない。
そう思ったとき、脳裏を掠めたのは父と母だった。けれど、すぐに頭を振る。
「たとえ私が消息を断ったとしても、あのふたりは探してくれない……」
まるで最初からいなかったかのように、何事もなく暮らしていいくのだろう。
そんな想像が易々とできるだけに、私は薄ら笑いを浮かべた。
「私ひとりいなくなったって、何も変わらないじゃない……」
ならば、幼かったあのころに命尽きてしまえばよかったのに――
スマホの着信に怯えながら過ごしていると、なんの前触れもなく静さんの秘書である澤村さんがやってきた。
「静様がお呼びです。ご同行いただけますでしょうか」
澤村さんはそれだけ言うと、私の意志を確認することなく屋敷から私を連れ出した。
澤村さんの運転でホテルへ向かうと、従業員通用口からホテルへ入り、業務用エレベーターで四十一階へ上がった。
静さんに呼ばれたのだから、行く先には静さんがいるはず。けれど会長室のある四十一階は、一族の人間とてそうそう立ち入れる場所ではない。
以前、私はそのフロアを訪れたことがあるけれど、それはルールを侵してのことだった。
「あの、澤村さんっ――」
「静様がお待ちです」
澤村さんは会長室のドアを開けると私に入るよう促し、自分は部屋に入ることなくドアを閉めた。
広い部屋の窓際に、一際大きなデスクがあり、静さんはそこに座っていた。
デスクに置いてあった分厚いファイルを手に取ると、静かに席を立ち応接セットへと歩き出す。
「立ち話もなんだから、ソファに座ったらどうだろう?」
そんなふうに促され、私は緊張を纏いながらソファに腰を下ろした。
私の真正面に座った静さんは、「さて」と口火を切る。
「去年の五月十五日、何があったか話せるかい?」
五月十五日――それは実母に再会した日で、思い出したくもない出来事が起きた日。もともと「良い」とは言えない人生で、もっとも最悪を極めた日だった。
動揺に目が泳ぐ。すると、
「話せるかい?」ともう一度訊かれた。
威圧されているわけでも詰め寄られているわけでもない。どちらかといえば、今までにないくらいに声音が優しい。
それでも、私は何を話すこともできなかった。
ずっと誰かに助けて欲しいと思っていたのに、いざそんな機会が訪れたところで、何を話すこともできない。
すると、見切りをつけた静さんがファイルを開いた。
そこには私の出生から、藤宮に引き取られたときのこと。学生生活から最近の生活パターンまで詳細に渡って綴られていた。
静さんは付箋が付いたページを開くと、
「事実ならば頷けばいい。事実と異なるならば首を振ればいい」
そう言って、「五月十五日」の事実確認を始めた。
質問は短く、「はい」「いいえ」で答えられるものばかり。
私は涙を流しながら、それらに答えていった。
最後の確認を終えるとハンカチを差し出され、
「今までつらい思いをさせたね」
その言葉ひどく胸に沁みた。
「この件は責任を持って私が片付けよう。だからもう、怯えなくていい」
そう言われて、私は子どものように泣きじゃくった。
少し落ち着くと、
「スマホを出しなさい」
不思議に思いながらバッグからスマホを取り出すと、
「母親と連絡を取っていたのはこのスマホかい?」
「はい……」
「やり取りは残ってるかな?」
私は首を左右に振った。
母は私を呼び出すと、必ずバッグを取り上げ手荷物検査をした。スマホはすべてのデータを消去され、どんなに小さなレコーダーを持ち込んでも見つかってしまい、店内での会話を録音できたためしはない。
せめて何か証拠になるようなものが何かひとつでもあればよかったのに……。
そう思っていると、
「安心していい。うちには優秀な人間が多いからね、データの復元など朝飯前だ。もっとも、データの復元くらい警察でもできる」
その言葉に顔を上げると、
「別室に知り合いの刑事を待たせてある。私も同席するから、今の話をもう一度話せるかい?」
今の話をもう一度――
今度は知らない人に話すの……?
不安に身体が震え始める。と、
「雅、もう一度だけがんばってくれ。警察に控訴状を出すんだ」
「控訴、状……」
「被害届けと比べたら控訴状のほうがハードルは高い。が、起訴に持ち込めるだけの証拠は揃えてある。必ず受理させる。私はどんな手を使ってでも、彼らを刑務所送りにするよ」
私はその言葉を信じ、静さんに連れられてホテルの別室へ向かった。
その日から、私は身の安全を確保するために自宅へ引きこもることになった。
体面上、それまでの素行に対する罰として軟禁生活と言い渡されたことになっていたけれど、すべては私の身を守るための処置だった。
そのころから静さんは時間を作っては訪ねてくるようになり、短時間であれど、他愛もない話をしては帰って行くということを繰り返した。
始めのころは普通に話すことすら難しく、ひどく対応に困る時間だった。けれど、三ヶ月が経つころにはリラックスして話せるようになっていた。
それでも対人恐怖症の気は治まることがなく、静さんの勧めで専門機関にてカウンセリングを受けるようになった。しかし結果は思わしくなく、最後の切り札に静さんが提案したのが海外での生活だった。
「雅は今後どうしたい?」
今後――
「学生時代からの夢は心理カウンセラー。雅の経歴をもってすればすれは難しいことではないだろう。しかし、今はその時ではない。今は雅が心身ともに健やかになることが最優先だ。わかるね?」
小さく頷いた。
現況、私はとても不安定で、カウンセリングをする側ではなく受ける側の人間だ。
「海外の大学で、研究の続きをしてみたらどうだい?」
「海外……?」
「雅が学生時代にお世話になった養護教諭の星野あかりさんを覚えているかい?」
忘れるわけがない。私の人生で、一番親身になって話を聞いてくれる人だった。そんな人を、忘れるわけがない――
「彼女は今、夫と息子と三人でニューヨークで暮らしている。しばらく彼女のもとで過ごしてみてはどうだろう」
「っ……そんな、あかり先生にご迷惑はかけられませんっ」
「彼女は迷惑だなんて言わなかったよ。むしろ、ずっと気にしていたようだ。すぐにでも雅を受け入れると言ってくれている」
私はただただ驚いていた。もう何年も経っているのにあかり先生が一生徒である私のことを覚えていてくれたこと。気にかけてくれていたこと。今すぐにでも受け入れてくれるということ。すべてが嬉しくて、目に涙が滲み出す。
「もちろん、星野さんには相応の謝礼を用意する。そのあたりのことを雅は考えなくていい。雅は何も考えず、彼女たちの好意に甘えてみたらどうだろう」
そこまでの後押しをしていただいて、私はコクリと頷くことができた。
当初は大学へ通い、研究を進める予定だった。そのつもりで準備をしているところへ静さんが秋斗さんを連れてきた。
「雅の海外行きを話したら、秋斗がどうしても会いたいと言ってね。少し話してみないかい?」
日本を発つ前には秋斗さんと翠葉さんに謝罪をしたいと思っていたけれど、
「私は今、ニューヨークでFメディカルの海外支部長をしています」
「その通りだ。君は立派に社会へ貢献しているし、何もできない無力な女の子ではない」
その言葉にゆっくりと目を開ける。
照明を抑えた部屋に見知った顔を見つけると、
「退行催眠をしても、取り乱すことがなくなったね」
ドクターの言葉に少し困る。
「そうですね……。最初のころに比べたら、そこまで取り乱さなくなったように思います。……でも、あの日の出来事を思い出すと、未だに身体が震えるし、涙が止まらなくなります」
不安から自分の両腕で身体を抱きしめると、優しい声が降ってきた。
「世の中には女性に対しひどいことをする男もいる。だが、そんな人間ばかりではない。ミヤビを心から愛し、慈しんでくれる男はきっといる」
ドクターはいつだってそう言ってくれる。けれど、私のような人間を好きになってくれる人が本当にいるのかしら……。世界中、どこを探しても、そんな人はいないように思える。
返答に困っていると、
「僕の言うことが信じられないのかい?」
「そういうわけでは……。でも私は、親にすら愛されなかった人間ですから……。この先誰にも愛されないんじゃないかと思ってしまうし、親の愛情を知らずに育った私には、何か欠陥があるのではないかと思ってしまいます」
「親の愛情は確かに大切なギフトだ。けどね、世界には親の愛を知らない子どもはたくさんいるし、だからといって彼らに欠陥があるわけではない。それに、ミヤビはアカリの愛を知っているだろう? ミヤビはアカリに愛されている。アカリの夫、デービットにも愛されている。ふたりの子どものスティーブにだって好かれているじゃないか。愛情は親から与えられるものだけではないよ」
「はい……」
「ミヤビ、僕を見て?」
リクライニングチェアからゆっくりと身体を起こすと、私はドクターの青い目をじっと見つめた。
「君は幸せになる。過去を受け入れ今を見つめることのできる人間は、未来を切り開ける人間だ。君は必ず幸せになるよ」
これはいつもドクターがカウンセリングの最後に口にする言葉。
断定口調で話されるそれは、波打つ私の心を何度となく鎮めてきた。
今日も同じ。波が引いて行くのを感じる。
大丈夫、私は大丈夫――
心の中でそう唱えると、私は深く息を吸い込んだ。
「それはそうと、ミヤビが日本に帰国するのは来週だったかな?」
「そうです。社員旅行という名目ではあるのですが、同僚のほかにも会える人たちがいて、とても楽しみなんです」
「なんと言ったかな? ミヤビが友達になったという女の子、スイ……スイ……」
「翠葉さんですか?」
「そう、スイハ! 彼女にも会えるのかな?」
「そうなんです! 翠葉さん、三月にご婚約されたんですけど、まだ直接お祝いの言葉を伝えられていないので、会えるのが楽しみで」
「おう、婚約……。それでは、アキトにはもう可能性はないのかい?」
「どうでしょう……」
ふたりが婚約したくらいじゃ諦めそうな人ではないけれど……。
「秋斗さんのことを考えると、少し胸が痛いです」
「どうしてだい?」
「翠葉さん、秋斗さんとお付き合いしてらした時期があって、私、そのときにひどい言葉を彼女に放ってしまったんです」
今思い出してもひどいことをしたと思う。
「……ミヤビ、君はアキトのことが好きだったのかい?」
「いいえ……」
そこに恋愛感情があったなら、まだ良かった。でも、あれは違う。自分と同じ境遇の人間、と思っていただけ。
「秋斗さんはうちとは違う理由から育児放棄されていたんです。そのことを知っていたから、互いに理解し合えると思っていました。たとえ愛してもらえなくても、傷の舐めあいだとしても、理解はしあえると思っていたんです」
「ふむ……。でも、今はアキトの会社で仕事をしているし、スイハとも親しくしているだろう? 和解したのかい?」
「秋斗さんは、私の置かれていた状況を知ることで理解を示してくださいました。翠葉さんは本当に優しい方で、謝罪したら受け入れてくださいました」
でも、それで私が犯したことがすべてなくなるわけではない。
私はなんて言葉を十代の彼女に突きつけてしまったのか――
「子どもを産める身体でなければ」――この言葉は彼女の心に深く根差したことだろう。どれほど謝罪を重ねても、その傷が癒えることはない。そういう言葉を私は投げつけた。
翠葉さんの未来から、「結婚」を奪いかねない傷をつけた。
どうしたら償えるのかと考えていたときに、翠葉さんと司さんが婚約したという話が舞い込んだ。
私はそれを聞いて、祝福するより先に安堵した。
それで私のした罪がなくなるわけではないけれど、心からほっとしたのだ。
「では、次の治療ではそのときの話を聞かせてもらおう」
「はい……」
以上です。
