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葉野りるは

Author:葉野りるは

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母様の生検結果

母様の生検の結果が今日出る予定でした。
今後の方針も今日決まる予定でした。
でも、26日に行われた医師陣のカンファレンスの結果、

「今回の検査は良性腫瘍だけれど、腫瘍が異様に大きいことと、短期間に増大しているのが気になるのと、今回の生検の場所(四か所ほど)に悪性腫瘍がなかっただけの可能性もないとは言い切れず――」

結果、12日にまたMRI検査です。
その検査結果によっては、また入院しての生検(全身麻酔で足切って、前回とは違う場所を数か所組織検査に出す)をすることになりそうです。
母様は前回の生検でとっても痛い思いをしているので、MRIの検査で「やっぱりなんでもなかったです」と言われることを全力で願っているわけですが、母の足の痛み具合と腫れ具合(どんどん腫れていっている)、歩ける距離や立っていられる時間が短いことを考えると、私はMRIのあとに生検は免れないだろうなぁ……と思ってます。

兄への伝達も完了。
どうやら、07/13-07/18まで東京で仕事らしく、18日は実家へ寄ってから帰宅すると言っていた。
母様のMRIの検査結果は15日に出るので、その日には再度生検をするかどうかはわかっていると思うので、今後のことも多少はわかっている状態なんじゃないかな?
ということで、この期に及んで兄と両親がバトると思ってないけど、18日は一応念のために実家へ行ってこようと思います。



母日記を少し

進捗はあまりないんですけど、そんな中途半端な検査結果いらねーぜ、的なものはありました(苦笑)←なんだそれ
生検の経過報告で、「なんとなく良性っぽいです」っていう報告。
でも、先生自身は引っかかるものがあって、「良性」とは言い切らない何か。
それならさ、ちゃんと検査結果が出てから正式なものを述べてほしいんですけども!!!
私自身、こういうあいまいな検査結果の報告されたことないので、ちょっと悶々としてします(笑)
しかも、そのあとのスケジュールを聞いたら余計に!!!


06/06 → 退院後初の再診(傷口の消毒はなし)/生検の途中報告
06/16 → 傷口の消毒
06/26 → 医師陣が集まってのカンファレンス(悪性、良性の最終決定&治療方針決定)
06/30 → 生検結果/治療方針の決定



ええええええ、だったらさあ、生検の途中報告なんてせず、30日に教えてくれればいいじゃん!!!
「良性みたいですけど……」みたいな報告が一番悶々とするじゃん!!! って思っているのは私だけではないと思う(苦笑)
むしろ義姉ちゃんも同じこと言ってたし、旦那様も同じことを言ってた。
それとも、腫瘍関連の場合って途中報告ありなのが普通なの???
さすがに腫瘍ができたことはないので、そのあたりわからないんだけども(苦笑)
なので、「良性っぽいです」の言葉はあまり信用せず、30日の結果待ちな感じです。


母様はというと、手術後だから足がむくんでいるのか、腫れているのか、ちょっとよくわからないんですけども、日増しに足が腫れていってる感じなんですよね。
で、手術の翌日とかは痛い痛いって言ってたんだけど、そのあとはそんなに痛いって言ってなかったのに、ここ数日は「痛い」って言ってるんですよえ。
それがちょっと気になるなぁ……。
そのくせ、薬を飲み忘れやがるんですよ……"(-""-)"
最初はスマホのアラームを鳴らして薬の飲み忘れないようにしようって提案したんだけども、それは却下されてしまったので、私が朝昼晩と電話して「飲んだ?」って聞いてるしだいです。
でも、これは嫌がらないので、まあ、いっか……(笑)


あと、手術二週間くらい前に撮ったMRIと比べると、手術のときの腫瘍は2、3cm大きくなってたそうなんです。
ほんの二週間でそんなに大きくなるのっ!? という驚きと、良性だったとしても、このまま大きくなっていくのって問題ありすぎるんじゃないの!? という何か。
なので、良性だったとしても、そのまま放置はできないはずなんだけど、そのときにはどうするのか、という話が全く出ていないあたりに悶々。
自分が一緒に行けたら、「これ聞きたい」「あれも聞きたい」ということがたくさんあるんだけど、両親はそこまで突っ込んで訊いてこないから、「ああああああああ、今がコロナ禍じゃなければっっっ!!!」と思ってます(苦笑)
ま、そこをどう言っても仕方ないので、本当にどうにもならないんですけども……。
両親に「訊いてみなよ!」って言っても、訊きづらい先生なのか、診察時になると緊張しちゃって訊くこと忘れちゃうのか、なかなかそのあたりのことを訊けないようなので……。


今、実家には土曜日、月曜日、水曜日に訪問している感じです。
できれば週3で行きたいのだけど、さすがにそれを続けると、私がもたないみたいで……orz
だから、行けるときは行くけど、行けないときは休む、な感じです。
必ず行こうと思っているのは土曜日で、そのときは自分の家の食材買い出しと一緒に、実家の買い出しもする感じで。
月曜日はお掃除ができればいいな、な日。
水曜日は母様が通院日であることが多いので、実家のチワワっ子の面倒を見に行く感じ。
でも今週は、私も水曜日病院なので(麻酔科と婦人科)、先日の土曜日に行ってから、今週の土曜日まで行く予定はなし。
何かあれば行くけれど、水曜日まではちょっと無理かも、と伝えてある。
ま、早い話、痛みが出てるんですよね。
持っているお薬を増量してもちょっと引いてくれない痛みで、これは一度点滴入れないとだめだな、という感覚。
でも、点滴で麻薬系のお薬入れてもらうと、ある程度フラットな状態までリカバリできるので、水曜日にリカバリ予定。
その後は自分の体調見ながら実家のフォローをする予定。
ここまではひたすら突っ走ってきた感じなので、このあとはもう少しセーブしながら動こうと思います(苦笑)


そんなこんなの実家事情でした。
(あ、兄ともなんとか連絡取れているし、兄もがんばって両親と連絡を取る努力をしております^^)



久しぶりにダイエット日記

もういつダイエットを始めたのかまったく思い出せないんですけども、ようやく終わりが見えてきた感じです。
(ダイエットの一番古い記事が「2018/03/12 」でした!!!)
体重は、たぶんあと3kgぐらい落としたほうがいいので(ま、欲を言えばあと5kgおとしたいんですけどね(笑))、そのくらいはがんばろうかな、とは思っているのだけど、基本的に今の生活を続けていればいつかはそのくらい落ちるだろうな、な感じ。
なので、とくにものすごく努力して落とす感じではないです。
で、サイズダウン系のダイエットはもう終了でいいと思ってます。
ピーク時でXLサイズを着ていたのですが(ものによってはXXLだったりもした)、この度めでたく(?)Mサイズが着られるようになりました(オーバーサイズだとSサイズでOKな感じ)。
ボトムスに関してはMサイズとLサイズをミックスで着ている感じ。
ものによってはL、ものによってはMみたいな。
ワンピースもそうかな?
たいていのものはMサイズを着られるんだけど、Lサイズがみっともないほど大きすぎて着られないというわけでもないので、見た目みっともなくなるまでは着ようかな、な感じです(笑)
トップスはオーバーサイズはSサイズじゃないとみっともなくて着られない感じなんだけど、普通サイズならMかLって感じですかね。
ほら、お洋服のブランドやメーカーにもよるじゃないですか。
わかりやすく言うと、ユニクロだとMかSでいいけど、GUだとLかなぁ、みたいな……(笑)
あと、10年以上前の洋服のMと今のMサイズの規格って絶対的に違うと思っていて、今時のMサイズが着られても、昔のMサイズは無理、みたいな……(笑)
だから、昔のMサイズの洋服をすべて着られるようにするとなると、やっぱりあと3~5kg落とす必要があるのだけど、そこは焦る必要がないし、追々でいいかな、と。


私の体重が増えてしまった原因は薬で、副作用で太ると知らずに10年間飲み続けて、結果46kgから74kgまで太ったんですよ(笑)
(内2kgは婦人科で使ったホルモン剤の影響で増量)
すごいよね?
「人ってこんなに太れるんだ!?」ってかなりびっくりしたし、自分の体重がここまで増えたことがむちゃくちゃ衝撃的でした(笑)
ある意味、いい経験したな……と(笑)
で、薬の副作用で太っている場合、どれっだけがんばってダイエットしても、寸分たりとも痩せません!!!
これ絶対!!!
カロリー落としても運動しても痩せないから!!!
だから、薬で太ってる可能性がある場合は主治医と相談の上、違うお薬に変更してもらうのが減量へ第一歩!!!
私の同胞がいらっしゃいましたら、まずはネットで薬の副作用検索して、「こやつかあああっっっ!!!」と思うヤローがおりましたら、主治医へ突き出しましょう(笑)


葉野、長らく46~48kgを維持していた人間で、46kgになるとガンガン下がっていってしまう人で、49kgになると増える方向に傾く人だったんですよね。
なので、ベスト体重は47kgって思っていて、ずーっとそう思ってきたのだけど、そのあたりの認識というか、凝り固まった何かを払拭することにいたしました。
19歳くらいから20代はずっとそんな体重だったので、SサイズとかXSサイズ着てたんですよ。
でも、当時の自分でも「私の身長ならMサイズが適正だろうな」くらいの認識はあったんです。
けど、ここ二年くらいのダイエットで「りるちゃんの身長ならLサイズが適正だよ」と言われて目から鱗!!!
「えっ!? Lサイズ!?!?!?」って(笑)
私、高校生の身体測定で身長を測ってから身長を測る機会がなくて、ずっと自分の身長を162cmだと思っていたんですよね。
で、ここ4年くらい……?
旦那様の会社の人間ドック受けるようになって身体測定をするようになって、身長が164cmであることが発覚!!!
その年によって変わるのだけど、基本164cmちょいなんですが、時々165cmをたたき出すこともあり(苦笑)
未だに自分の正しい身長がわからないんだけど、低く見積もって164cmという認識なので、それでいいや、と……(をぃ
で、「その身長ならLサイズが適正だよ」って言われてびっくり。
そうだったんだ、と。
私の認識だと、「165cm以上がLサイズかな」って感じだったんですよね……。
私世代だと、そういう認識の人多いんじゃないかな?
何年も前の話だけど、それでもここ10年とかそのくらいの話ですよね?
トップモデルの痩せすぎが問題視されて、そのあたりの認識が改まってきたの。
なので、友人の指摘で「せめてMサイズには戻らなくちゃ><。」という強迫観念から解放された何かです(笑)


XLサイズ時代は正直、お洒落が全然楽しくなかったんですよね。
もうお洋服にお金かけたくないって思っていたし、鏡に映る自分が嫌だったし、好きだなって思うデザインのお洋服を着ても、想像していたシルエットにはならないし、それがフラストレーションになってしまって、お洒落が全然楽しくなかった。
でも、問題のお薬をカットしてから(その後の薬で生理止まったり、乳汁出るようになったり、ほかの副作用が出たりで散々つらい思いをしましたが……(苦笑))、色々勉強しました。
減量に必要な正しいダイエット(食生活)の勉強をして、栄養素の勉強をして、体質改善の本も何冊も読んだり。
相応に努力して、自分にどんなダイエットが合うのか手探りして、体質に合わないと思ったダイエットは無理して続けず諦めて、ひたすらあれこれ挑み続けて、数値を記録し続けて――
むっちゃくちゃがんばってきましたよ(笑)
そしたら、74kgから59kg程度になった。
ここまで来るのにだいたい4年かかったかな?
74kgから64kgくらいまでは結構順調に落ちた印象。
この10kgは1年強で落とせたので。
そこからのが思うように落ちなかったり、停滞期があったり、落ちたらリバウンドしたりの繰り返し。
でも、リバウンドしても少しずつまた落として――を繰り返して、今、な感じです。
希望としては52kgが最終目的の体重だったんだけど、主治医に「そこまで落とさなくてもいいよ」って言われたのと、「葉野さんなら58kgが適正」(←先生は私の身長が162cmだと思っているので(笑))と言われたので、52kgにこだわる必要もないのかぁ、と。
164cmで計算したら、59kgが適正体重だったので、すでにそこはクリアしてるんだな、と。
なので、あと3~5kgっていうのは本当に私の欲望とかそんな感じの何かです(笑)
164cmの美容体重は53.79kgなんですって。
だから、54kgまで落とせたら十分じゃない? ってなってます(笑)
でも、もうストイックに努力したり、そういうのはひとまずお休み。
今まで続けてきた食生活や習慣をそのまま継続して、時間かけて落とす系でがんばります。


ので……なんというか、適正体重になったので(?)一応ダイエット終了かな、と。
あとはもう、「美意識」上のダイエットでしかないので。
おそらく、54kg程度なら不健康にだって見えないだろうし、ヒールの靴を履いても「折れそう」って印象は持たれないだろうし(笑)
そのくらいの数字なら45歳くらいになるまでには達成できるんじゃないかな、という緩いスタンスでがんばろうかな、と(笑)


一緒にがんばっていたダイエッターの読者様、進捗はいかがですか?
葉野は三食真面目に食べること、水分を摂ること、プロテインを摂ること、カロリーを徹底して管理して、基礎代謝を下回らないカロリーを摂取することでダイエット成功しましたよ。
アンダーカロリー(基礎代謝以下のカロリーしか摂取しないこと)は基礎代謝を余計に下げるし、後々太る要因になるので絶対にやめたほうがいいです。
とくに若い子。
若い子はアンダーカロリーで痩せる子多いし、事実それで痩せるんだけど、それを覚えた身体は、30代から同じ方法では絶対に痩せなくなるし、むしろ太るようになります(断言
私が食べることでとくに意識したのは、適正カロリーを摂取することと、一日の必要たんぱく質量を摂取すること、水分をある程度摂取することくらい。
ほかはチョコレートだって食べてたし、スナック菓子も食べてたよ。
食べる以外だと、適度な運動。
何もきつい運動をしろって話ではなくて(ほら、葉野は息が上がるような心臓に負荷のかかる運動はできませんし……)、身体の中で大きめの筋肉を育ててあげるような筋トレがお勧め。
正直、有酸素運動よりも筋トレのほうがお勧め。
有酸素運動はきちんとカロリーを摂取した状態でやらないと、エネルギーが枯渇したときに筋肉を分解してエネルギーにしてしまうので、筋肉が落ちる(=基礎代謝が落ちる)んですよ。
それに、有酸素運動は強度が弱いとまとまった時間をかけないとカロリーは消費できないので。
別に有酸素運動が悪いと言っているわけではなくて、毎日するなら筋トレのほうが時間かからないし(時間の確保が楽)、おうちの中でできちゃうし(ジムへ行ったり外へ出る必要がない)、お天気にも左右されないし、気軽に手軽に続けられますよ、って話です(笑)
筋肉を増やす(基礎代謝を上げる)ことが一番の近道!!!
脂肪よりも筋肉のほうが重いから、筋肉が増える際に体重が増量したりするけれど、数字に惑わされすぎないように!!!
筋肉の増量で体重が増えることもあれば、単なる水分で1、2kgは簡単に落ちたり増えたりする。
当たり前なんだけど、排尿回数や排便回数でも体重は変わる。
なので、2~3kgの増減はあまり意識しないのが減量生活長続きの秘訣かな?
逆に、1、2kgの増減で一喜一憂してたら続かないし、その増減ほとんど水分なので……(笑)
ダイエットしてるとき、100gや200gでも減ってたら嬉しい、というのはわかるのだけど、そこをモチベーションにしちゃうと結構きついっすよ、という何かです。
皆さま、がんばって!!!
地道にがんばればゴールは近づいてきてくれますよ!!!

と、今日は珍しくダイエット話でした♡







最近の葉野事情

先ほど投稿した日記をご覧になられてびっくりされた方もいらっしゃるかもしれないな、と少々最近のことを書こうかな、と思います。
ツイッターをフォローしてくださっている方は、ここ最近の私の状況をご存じだとは思うのですが、すべての読者様がツイッターをしているわけではないでしょうし、フォローしてくださっているわけではないと思うので、こちらでもきちんと書くべきだな、と思いました。
ちょっと長くなりますが、よろしければ雑談的なご報告にお付き合いいただけたら幸いです。
起きたことを順番に書いていっている感じなので、いつも以上にまとまりはないと思われます(駄


何から書いたらいいのかな?
順を追っていくと、年明け2月くらいから母が足が痛いと言っていたんですよね。
最初は様子を見ていたのですが、腫れてきたり、痺れてきたりと様々な症状ができて近所の整形外科へかかったんです。
レントゲンを撮ったところ、骨に異常はないから、と痛み止めと血液をサラサラにする薬を出されたのですが、それでは改善せず、またその薬が合わず、普段血圧や高脂血症などを診てもらっている病院で足のことを話したら、そこでもレントゲンを撮られ、骨には異常がないと。
結果的にそれ以上を調べるならばMRIを撮るしかなく、それをお願いしたんですよね。
そしたら、左足のふくらはぎに長さ11.7cm幅5.7-6cmの腫瘍が見つかりました。
その病院は入院施設のある中小規模の病院なのですが、「うちの病院では対応することができない」とのことで、市立病院へ紹介状を書いてくださったんです。
けれども、結果的には市立病院でも「うちで治療するのは無理です」と言われ、がんセンターへ回されました。
がんセンターでは、全身検査に加えて患部(ふくらはぎ)の組織検査が必要とのことでした。
それも、全身麻酔をして足を5cmほど切開するタイプの検査手術ですね。
早々に検査入院が決まり、先週の月曜日から入院し、翌日の火曜日には組織検査という名の手術を受け、24時間ICUにて全身管理されておりました。
腫瘍が発覚してからものすごく慌ただしく過ごしていたので、ツイッターでは泣き言も愚痴も何もかも吐き出している状態で、読者様やフォロワーさんにはとても心配をおかけしてしまったのですが、その際にいただいたDMやお言葉は決して忘れません。
あたたかいお言葉をかけてくださりありがとうございましたm(_ _"m)

このご時世に、入院がすぐに決まったのはものすごく良かったのですが、母が69歳、父が76歳ということもあって、入院のパンフレットや入院に必要なものをリストアップすることが非常に難しく、そのあたりをすべてフォローしていたのがここ最近の私です。
まずは書類全部に目を通し、入院に必要なものをリストアップ。
母が何を持っていて、何が足りないのか、そのあたりを聞いたり、旅行グッズを引っ張り出し大騒ぎしながらリスト作成してました。
それから、パンフレットや書類に書いてあることをわかりやすく噛み砕いて説明したり、保証人のサインをしたりなんやかや。
それが05/26(水)のこと。
土曜日にすべての買い物を済ませて実家へ行く約束をしていたのですが、水曜日の夜に旦那様と盛大にケンカをしたので、木曜日お休みの旦那様と顔を合わせるのが面倒で(コラ)、朝起きて早々に準備を済ませ、姫を連れて買い物へ行ってきました。
帰宅してからはすべてのアイテムを除菌シートで拭き、必要なものは洗い、黙々と母の入院準備をしてましたならば、午後になって起きてきた旦那様に、「それ、なんの準備?」と聞かれ、そこでようやく母の腫瘍のことや来週月曜日から検査入院になること、退院時期が明確ではないことを伝え、ケンカの仲直りに至りました。

木曜日はひたすら母の入院準備を自宅でしている感じで、翌日の金曜日は旦那様がどうしても私の寝具を新調したいと聞かなかったので、それらを買いに行く日になりました。
イオンでなんとかっていう高級高反発マットレスを買い(4万くらいするやつ)、その上に敷く低反発のマットレスを買いにニトリへ行き、除湿シートなども買い、帰りは姫のお散歩にグランベリーパークへ寄ったり。
なんやかやとあちこち動き回っていたのでかなり疲れました……orz

翌日土曜日は実家へ。
今度こそ母様の入院支度です。
買ってきた上履きがサイズ合わなければ返品交換してもらう必要があったし、どうしても土曜日に荷造りを済ませる必要があったんですよね。
今はコロナ禍ということもあり、パジャマもフェイスタオルもバスタオルも病院が貸し出してくださって、洗濯もしてくださる。
もちろん有料なんですけども、そこまで高額でもなく、これはタオルを洗って持って行ったり……ということがなくて楽だな、と思いました。
母は寒がりなので、院内で寒かったら上に着られるように、と私のエアリズムパーカを貸したり、普段使っているシャンプーやトリートメントを詰め替え容器に入れたり、マスクは持参しなくてはいけないので新しいマスク入れと、一時的に外したものを入れておくファイルを用意したり、病院で渡されたプリント類をまとめて入れられるようにA4のフラットポーチにクリアファイルを数枚入れておいたりあれこれ。
あとは院内で歩き回るときにあると便利なチビバッグも100均で買ってきました。
あとはモバイルバッテリーの使い方をレクチャーして、わからなくなったときもこのメモを見れば大丈夫、というものを用意したり。
若い人が入院するのと高齢者が入院するのはあれこれ違うなぁ、と思いながら準備を手伝っていました。
あと、普段からなんとなく感じてはいたのですが、「認知症」というわけではなく、年齢による「認知機能の低下」をまざまざと感じさせられたというか……。
母には以前から感じていたのですが、それが父も同じくらいだめだった、ということに気付き、「うおおおおおお、これどうすんだ……orz」と真面目に頭抱えました。
主治医の話が父と母で言ってることが違ったり、母は先生が話してた、っていうのに対し、父はそんなこと話してないって言うし、どっちが正しいのおおおおおっっっ><。 と、真面目に頭抱えそうになってました(苦笑)
コロナの影響で実家へ行くことを控えるようになって(旦那様の会社でコロナ感染者が出たりしていたので、やっぱり会うのはちょっと怖かったんですよね)、週に一、二度は電話していたのだけど、一回一時間から二時間の会話じゃ、やっぱりぼけちゃうよなぁ、と思いました(反省

ひとまず、無事に母が入院し、翌日には検査手術も終わり、全身麻酔からもきちんと覚醒したところまでは良かったんですけども、腫瘍が最初にMRIを撮ったときよりも2、3cm大きくなってることが発覚しまして(二週間くらいしか経ってないのに)、この期間でそんなに大きくなっちゃうんだ? という何か。
検査手術前にも先生には良性と悪性の可能性は半々だと言われていたのですが、手術後に父が聞いた話だと、半々だけど、悪性よりかもしれないとのことでした。
その場合、リンパを介した転移がないといいのですが、みたいなお話だったようです。

このあたりまで本当に怒涛の如くだったので、足の腫瘍のことを調べる時間もなかったのですが、そういえば足のふくらはぎに腫瘍ってあまり聞かないな、と思って調べたら、むちゃくちゃレアケースの腫瘍でした……orz
(それはもう、先生が「レアケースなので、ほかの医師を見学に入れてもいいですか」とおうかがいを立ててくる程度には)
しかも、悪性だった場合の肺への転移が高確率。
おおう……と思いつつも、母も父も喫煙者なので、肺がんリスクが高いことは承知済みなので、もう悪性だろうと転移してようと、降ってきたものをひたすら処理していけるように準備だけしておこう、な心づもりになりました。

うちは両親の折り合いも悪ければ、両親と兄との折り合いも壮絶に悪くって、こういう連絡をするのはたいてい私の役目で、その私ですら、義姉ちゃんと連絡をとることが多くて、兄には何かものすごく大変なことが起きないかぎり電話もメールもしない。
さらにはLINEのアカウントも知らないよ、って状況で、でも今後災害が起きたときや、両親に何かがあったとき、義姉ちゃんを介して連絡をとるのは何か違うな、と思っていて、今年に入ってからずっと兄と直接コンタクトがとれるようになりたいと、義姉ちゃんを介して伝えてきたし、義姉ちゃんとどうにかならんものか、と色々相談してきていて、痺れを切らした義姉ちゃんが兄のLINEアカウントを私に教えてくれたんですよね。
で、その初LINEで母の腫瘍と検査入院(手術)を知らせる羽目になるっていう何か(苦笑)
それでも一応、直接連絡が取れるようになったし、返信がなくとも「既読」がつくし、「読んだ」とわかればそれでよし、的な何かなので、ひとまず今までよりは連絡がとりやすくなったことを喜ぼうと思います。
結果、「オレ仕事中なのに、りるからすんげーLINEくんだけど」と(苦笑)
それはもう、あれこれ送りましたから……。
義姉ちゃんが具合悪いときにどういう対応をしたらいいのかのライフハックメモを送り付けるところから始まり、父と母の取扱説明書(会話のコツ(言い回し)的なやつ)を送り付けましたからね……。
妹、めちゃくちゃ義姉ちゃんにお世話になってんですよ。
だから、兄にはもっと義姉ちゃんを大切にしていただきたいし、具合が悪い義姉ちゃんに変な対応していただきたくないんですわ。
間違っても、胃腸炎の義姉ちゃんにココイチのカレーとか揚げ物とか、フライドチキンとか買って帰んなよっ! 的なメモをお渡ししました。
私の作ったかゆいところまで手が届くライフハック、ちゃんと使えよ!!! な心境です。
義姉ちゃんにも、「これ(ライフハック)を兄に送ったので、今後は具合が悪くなったときにもう少しまともな対応してもらえると思う」と話したところ、泣いて喜んでくださいました。

ちょっと横道逸れた(逸れすぎ
母が入院している間にやってしまいたいことがたくさんあったんですよね。
母、相当具合が悪かったのか、もしくは目があまり見えてないのか、割とお部屋が荒れてまして……。
そのあたりをがっつり掃除してきたかったんです。
まずは一階と二階、階段、玄関の掃除機をかけたんですが、二階は恐ろしいほど魔窟であった……。
父、ここ、いったいいつ掃除機をかけたんです??? って聞きたくなる程度には(苦笑)
かなり気合入れて掃除機かけましたよ。
階段は埃だらけだし、埃だけならともかく、砂埃混じってるし、人の皮脂とかも混じってるしで、もう二、三回拭かないときれいにならないくらいだめだった……orz
そこまでやって一日は終わってしまったくらい(苦笑)

次に行ったときは、トイレと洗面台、お風呂の大掃除をがんばりました。
洗面台もお風呂もカビが結構目立つ状態で、手術後のケガした人間がここで身体洗うのは衛生上よろしくないし、そもそもカビを吸ってる状態とかむちゃくちゃよくないので、カビ撲滅する勢いでがんばってお掃除した結果、洗剤が底を尽きました(苦笑)
バスタブの蓋はもう、洗剤や労力費やすよりも買っちゃったほうが早いな……とホームセンターで購入することに。
洗面台もトイレもお風呂も、全部撥水コーティングしてきたので、掃除も楽になるかと思われる。

あとは母が退院する前日に掃除機をもう一度一階と二階かけて、一階の拭き掃除だな……と思っていたんです。
なので、「明日から三日は来ないけど、連絡はするからね」って帰宅したのが木曜日のこと。
金曜日は旦那様もお休みだし、朝寝坊する気満々でスマホの音をオフにして寝てましたならば、金曜日の朝、家電が鳴ったよね……。
しかも、着信音が私の実家か旦那様の実家と言っていて、「これ間違いなくうちだーーー><。」と飛び起きました。
「どうしたっ!? 何があった!?」て出たら、「母さんの退院が急遽今日になって、お昼過ぎに迎えに行ってくる」とな……orz
おおおう……orz
まじか、今日か……。
掃除機かけて、拭き掃除して、あ――バスタブの蓋買ってこないと……。
「えぇとね、今から動く。うん、動くので、お父さん。まずはバスタブの蓋のサイズを測ってください……」
「えぇぇぇ、父さん今カステラ食べてたんだけど」
「うん。食事中大変申し訳ないのですが、今すぐお風呂の蓋の寸法を測ってください。お願いします」
「面倒だなぁ……」
言いながらも寸法を測ってくださり、寸法をゲットした私は食材で必要なものまで聞きだし、十分で支度を済ませてホームセンターへ向かいました……。
しっかし、こういう日に限って雨で、道がめちゃくちゃ混んでて、いつもなら30分もあれば抜けられる渋滞が1時間かかってもまったく動かなかったりするんですよね(しかも裏道も何もない場所
普段、渋滞しててもイライラすることってないんですけど、「あぁ、ものすごく急いでいて、このあとの予定が立て込んでいる状態で渋滞に出くわすと、こんなふうにイライラするんだ……」とものすごぉく冷静に考えておりました(苦笑)
カインズホームでバスタブの蓋を購入して、ダイソーで傷口に貼ってシャワーを浴びることのできる防水シートを買い、父が自宅で銀行の封筒に入れたまま管理しているお金が気になっていたので、フラットポーチも買い……。
そこまでしてから最寄りショッピングモールへ移動。
またしてもダイソーで必要なものをゲットし、無印でゴム手袋を調達、ほかにもお掃除道具をゲットしたかったんですけど売り切れてたああああ……orz
打ちひしがれつつヨーカドーで食材を購入し、先日切らした塩素系漂白剤や、父がなくなったと言っていたボディーソープを購入し、バッタバタしながら実家へ。
途中父に連絡を入れ、「雨だからか、むちゃくちゃ道混んでる。お父さんも早く家を出たほうがいいかも」とお伝えしていたのですが、私が実家に着いたらちょうど母を迎えに出発するところでした。

本当はすぐにチワワっ子たちにご飯をあげたかったんですけども、父が病院へ着くまでに30分。
母をピックアップして帰宅するまでに30分から一時間。
無理……。
チワワっ子にご飯あげてたら掃除が終わらない……。
玄関でお迎えしてくださった白チワワの目を見て、「すまん……。先に掃除しちゃうね」って掃除を始めました。
わんこがいると、一日掃除機かけないだけでも毛があちこちに落ちてるんですよね。
階段も、風の通る場所ということもあり、数日で砂埃が溜まる。
なんというか、鬼のような形相で掃除を開始しました。
まずは一階。
洋間と母が寝室として使っている四畳半。
そこと間続きになっているリビングダイニング、キッチン、廊下、玄関まで掃除機をかけ、階段の掃除機をかけてから二階の二間。
二階の二間は父が使っているのだけど、数日前に洋服を片付けたはずなのに、すでに散らかっているのでそれをまた片付け、二階はそこそこに階段を拭いて下りて、一階の拭き掃除へ突入。
雑巾も持って行ってはいたのだけど、怪我人が帰ってくるようなものだしなぁ……とすべて除菌シートで拭きました。
最後にバスタブの蓋を撥水コーティング――ってところで玄関ですんごい音して、「何ごとっ!?」って思って見に行ったら、突風でカウンターに置いてあった花瓶が落ちて、下に置いてあった私がプレゼントした水耕栽培の植物様にクリーンヒット。
近くに白チワワがいてめっちゃくちゃ慌てたわ。
「大丈夫!? ケガしてない!? お姉ちゃんに見せてごらん?」
目、大丈夫。手、大丈夫。後ろ足大丈夫。身体を全部見てみたけれど、血はとくに出ていない。割れたガラス片を口に入れた様子もない――
「あー、怖かったねー。びっくりしたねー。お姉ちゃんこれからここ片付けるからちょっとあっちのお部屋にいようか?」とリビングのドアを閉めて、割れ物処理。
それが終わってバスルームへ戻ったら母様たち帰宅。
むちゃくちゃギリギリすぎたわ……orz
でも、母様が歩けなくて四つん這いになるとしても(手術翌日はその状態だったので)、拭き掃除終えてるからOK……。
出迎えたら母様立って歩いていて、左足をかばっている状態ではあったけれど、これなら自宅での生活もそこまで大変そうではないな、と咄嗟に判断できました。

なので、ひとまずバスルームに戻って撥水コーティングだけ済ませてしまい、それが終わったら母様の荷物の荷解き。
洗い物とそうでないものを分けて、ほかのものをどうするかを相談しました。
「検査結果が出て、悪性でも良性でも摘出手術は必要になると思うから、ものすっごくいやだけど、また入院する可能性が高いわよね……。だとしたら、ある程度のものはカートに入れたままにしようかな?」の言葉どおりに実行。
普段使う基礎化粧品やヘアブラシ、洗濯物だけは出して、ほかはカートへ戻しました。
それから、入院中にもらった書類を見せてもらってクリアケースにまとめて保管。
で、今後のことを少し母様が話し出して、「悪性だったらどうなるのかしら?」って言うから、「お母さんの場合、まず腫瘍がちょっと大きすぎるので、その腫瘍を小さくするために抗がん剤治療を先にするのがスタンダードかな。少し腫瘍を小さくしてから摘出手術っていうのが一般的」とお伝えしたところ、「そう……」と。
さらに、「最悪、左足の膝下なくなるかもしれないわねぇ」って言うから、「あぁ、治療をするつもりはあるんだな」という部分を思わぬところで確認できてほっとしました。
うちの両親ふたりとも、癌でステージ4とかだったら治療や延命治療はしない、ペインコントロールだけしてもらう、と決めている人たちなので……。
悪性だったらどうするかな、という部分は明確にはわかっていなかったのですよ。
現時点で治療するつもりがあるのなら、私はそれを全面的にバックアップするだけなので、こういう話ができるなら大丈夫だな、と判断して、「すでに介護保険のことや申請の仕方諸々、市役所へ行って聞いてきてるから、何が降って湧いても大丈夫。手続関連や事務的なことは私が対応するよ」と話してきました。
お母さんは「いつの間に!?」って感じだったけれども、「お母さんの入院中に?」って返したら、「りるちゃん、おうちのお掃除もしてくてたのにそんな時間――」とびっくりしていたので、「そりゃ、両親が具合悪くなれば娘はがんばるものですよ」と笑って返しておきました(笑)
「でも、無理はしてほしくないし、倒れられたくない」ということも言われたので、「それもね、どうしようかなーって思ってたの。私が具合が悪いことを言わなければお母さんは少しは私を頼ってくれるかな、とか思ったんだけど、言ってくれなくてわからないから不安で何も頼れなくなるケースもあるよな、と。だから、無理はしない。そこは約束するし、いつもと同じスタンスで行く。動いたら休む。休んでから動く。だから、私は動きっぱなしでいることはできないけれど、何もできないわけじゃないから。痛みが出れば、今は大学病院で麻薬系の点滴を打ってもらって楽にしてもらえる。生理痛のほうも婦人科の先生がなんとかしてくれる。血圧の件も心臓の件も、7月からになるけれど、主治医がどうにかしてくれる。血圧に関して言うなら、今年は婦人科の薬の副作用で少し高めを維持できているし、最悪70切っても2Lの点滴を入れればある程度は回復する。その状態は二、三日はキープできるし普通に動ける。だから、私は何もできない人じゃないよ」って伝えてきました。
そこまで話したら、母様も納得してくださった。
やっぱり、黙ってるとか嘘つくのはなしですよね。
私が動けないときには父に動いてもうらうしかないし、ふたりでなんとかできるように冷蔵庫や冷凍庫の中身も見直そうと思います。
「フォロー」ってたぶんこういうことを言うんでしょうね。
きっと、全部やってあげられたらそれが一番いいのかもしれないけれど、たぶんそれは「ベスト」じゃない。
やれることは自分でやらないと認知機能が衰えるし、筋肉も衰える。
だから、父様と母様にもやれることはやってもらわないといけない。
手が回らない部分だけを私がフォローすればいい。
そうしないと誰かひとりだけに負担がいって、その人だけがつらくなったり、その人が倒れたときに何も回らなくなってしまう。
だから、フォローに回れる人が動けないときにも、両親がふたりでなんとかできる環境を整えてあげることだとか、その環境(何がどこにあるとかそういうこと)がわかるようにしておいてあげることが大切なのかな、と。
「これを見ればわかる」とか、そいうものを作って今から習慣化しておくほうが、今後年を重ねていく両親にはいいのだと思いました。
まだ新しいことを覚えられるうちに、そういう習慣をつけておくのがいい気がする。

そんなこんなでちょっと(だいぶ……???)バタバタしてるのですが、葉野、基本的にはどこでも作業できる人なので。
もし今後母様が要介護になったとしても、スマホとキーボードさえあれば下書きは可能だし、調べものだってできる(←最悪ノートPC持ってっちゃえばいい)
入院やその準備でバタバタしているときは執筆時間どころかスマホ見る時間もパソコンへ向かう時間も取れませんが、やらなくちゃいけない必要最低限のことはこの一、二週間で粗方済ませたつもりなので、今後は日常的な掃除(両親の手の届かない部分)や買い出しあたりかな、と思っています。
一番大変なのはメンタル面のフォローかな。
母様が弱気になってるところは今まで見たことがないのだけど(むちゃくちゃ気の強い人なので)、今後は弱くなる面も出てくるだろうし、あとは家族間で絡まった糸を解く作業とか(主に母と父、母と兄、父と兄)、そのあたりが一番大変かなぁ……。
掃除も片付けも、基本趣味のようなものなので、体力的負担は別として、精神的な負担にはなりえないのだけど、家族間の交通整理には割と頭と心の容量持って行かれるので、そのあたりでまいらないように自分も気をつけなくちゃだなぁ……。
そんなこんなの葉野事情でした。

雅さんの前編も途中だし、芹香ちゃんのお話も下書き途中だし、何も更新できるものがなくて本当に申し訳ないのですが、少しずつでも執筆作業は続けようと思っているので、気長にお待ちいただけると幸いですm(_ _"m)

あと、たまに(最近はしょっちゅうですが(苦笑))ツイッターであらぶってますがご容赦を……(笑)


母の腫瘍を知った日の日記

(この日記は05/24に書いたもので、直すことなどせずに過去の心情記録として投稿することにしました)



姫の病院からおうち最寄りショッピングモールへ向かっているとき、珍しく父様から電話が入ったんですよね。
でも、運転中は電話に出ないと決めているので、スルー。
でも、この時点でちょっと嫌な予感はしてたんです。
まずひとつ、少し前から母様が足が痛いと言っていて、整形外科にかかっていた。
その経過が思わしくなくて、緊急入院になったか……?
もしくは、父様のコロナワクチン予防接種の予約が始まったので、その予約が取れなくて困っている。
ふたつほど候補があって、そのふたつが気になっていたので、今日の夜か、明日には電話する予定だったんです。
先週先々週はPCトラブルや、スマホとガラケーの状態がものすごく悪く、連絡を取るどころではなかったので(^^;
かけなおしたら、今度は父様が運転中だと言うじゃないですか。
「運転中なら出るなよっ!!!」と思いながら切ったのだけど、これは母様が入院系濃厚? と思いながら帰宅。
帰宅してすぐに残りの家事を片付け、16時になって父様に連絡。
父様からは夜に電話すると言われていたのだけど、18時を過ぎるとご飯作らなくちゃいけないし、ご飯食べなくちゃいけないし、お風呂入らなくちゃいけないし、旦那様が帰宅してバタバタするし――
夜は無理です……と思って夕方に電話。
そしたら、やっぱり母様のことでした。
足のふくらはぎや脛が痛いと言っていて、レントゲンで骨には異常がないと言われていて、ロキソニンを飲んだりしていたのですが、ロキソニンを飲むと頭がふわふわして眠くなっちゃうから痛みを我慢してるほうがいいって言って、母様はお薬飲んでなかったんですよね。
一応、「鎮痛剤でもあるし、炎症を抑えるお薬でもあるから飲んでいたほうがいいよ?」とは話したのですが、「でも、あの薬飲むと寝ちゃうから何も家事ができない」って却下されてました。
で、その足なんですが、近所の整形外科ではなく、心臓や血圧を診てもらっている病院でも話したところ、やっぱり撮ったのはレントゲン。
同じく、骨には異常なし。
でも、それならなぜこんなに痛いのか。
なぜ指がしびれたり、足に力が入らなくなったりするのか――
そこが解消されないので、疑問を医師にぶつけたところ、「MRIを撮らないとわからない」と。
母様はすぐに「撮ってください」と言って検査をしました。
結果、ふくらはぎから脛にかけて10cm強の腫瘍がみつかったわけですが、その病院では診察も治療もできないとのこと。
結果、市立病院へ紹介状を出されて行くことにしたのですが、市立病院でも「うちでは詳しいことがわからない」と。
いつも思うのだけど、うちの市の市立病院ってほんっと頼りにならないんですよね……(-_-;)
いえ、葉野も小学生のときに何度か小児科に入院してたり通院してたりしてるんですけども……。
伯母の癌のときも頼りなかったし、旦那様の肝臓の数値がおかしかったときにも嫌な対応をされたしで、本当にいい記憶がない……。
で、腫瘍があることはわかっているのだから、良性か悪性か白黒はっきりさせたいというのが患者心じゃないですか。
そこまで察してほしいのに、こっちからお願いしないと次への紹介状すら用意してくれない始末。
「いや、場所が場所なんで、小さければうちで取ることもできるんですけど、この大きさだと、場合によっては神経に触れてしまってますし、手術の後遺症で歩けなくなる可能性だってあるんですよ」ですって……。
あの……だから何?
歩けなくなる可能性があるから良性か悪性かの検査に進まないの?
バカなの?
そんなの、どっちでもいいからとにかく良性か悪性かはっきりさせるほうが先でしょ?
バカなの???
結果、がんセンターで検査しなくちゃわからないっていうことらしくて、紹介状書くの渋られてたっぽいんだけども、
「白黒はっきりさせたいんで、紹介状書いてください」
と言った母様。
二、三日で紹介状が出来上がる予定だったんです。
けど、一週間経っても紹介状ができたという連絡がなくて、こちらから連絡をしたら、「レントゲンのデータが見つからなくて」とか言い出したそう。
「あの、データなら持たされているので、私が持っているのですが……」と母。
「では医師に確認してから折り返しご連絡します」
と言っても全然連絡がない。
しびれを切らしてこちらから電話をしたら、
「医師と連絡がつかなくて――」
ブチ切れた母様は、
「最初二、三日で紹介状ができるって言っていて、結果的に一週間経っても連絡がなく、こちらから連絡したしだいなんですけど、そのうえまだ待たせるつもりですか? こっちは悪性腫瘍か良性腫瘍かわからなくて悶々としてるのに!? おたく、市立病院ですよね? こういう対応されたんですけど、〇〇市の市立病院の対応はどうなってるんですかって、問い合わせますよ!?」
そこまで話すと、「本日中に折り返します」と言われ、二時間後に連絡があったときには紹介状が用意されていたようです。
本当、病院のこういう対応めっちゃ腹が立つ。
で、がんセンターに連絡して予約を取って、検査日が決まったのですが、それが今週の水曜日(05/26)。

そういう話だったんですけども、最初に「がんセンター」って言葉を聞いたときは父の咽頭癌が再発したのかと思いましたよね……。
そしたら母様の足だと言うので、「こっちか……」と思ったしだい。
で、水曜日の予定を聞かれたので、「午前中に前髪切りに行って、駅前で少し買い物してから帰宅するから12時過ぎには家にいるよ」と話したのだけど、そのあと母様が検査でがんセンターに行くのに付き添うのだけど、どのくらい時間がかかるのかわからないから、実家のチワワっ子のお昼ご飯が心配で、とのことでした。
私は病院に付き添ってほしいとかその手のことかと思っていたのだけど、違いました(笑)
チワワっ子たちのご飯のお世話とか、お庭に出してトイレさせてあげるのとか、お安い御用なんですけども(苦笑)
まったく何をそんなに申し訳なさそうに話すのか。
カラカラと笑って引き受けたら、
「母さんはああいう人だから、たぶん絶対にりるには知られたくないと思っていて、りるに連絡はしないと思うんだ。でもチワワっ子たちのご飯が気になるから」
とのことでした。
なので、
「足が痛いって話は聞いていたし、病院に行ってるって話も聞いてるからちょっと代わってよ」と、母様に電話を代わってもらいました。

で、色々と話を聞いたところ、父様と盛大なケンカをしたそうで……。
うちの両親のケンカはそんなに珍しいことではないのだけど、今回は共感する部分が多くて唸ってしまった。
母様が足が痛い、具合が悪いって言っているのに客を連れてこようとしたとか……。
(何考えてんだ……)
母様が具合悪いって行ってるのに、ふらっとボーリングへ行ったりとか……。
(奥さんが具合悪いときくらい、家にいるなり、病院へ連れて行こうっていう考えはないのか)
もう、うちの旦那様と通じる部分が多くて、頭抱えそうになりました(苦笑)
なんだろう、うちの父様と旦那様が特殊なの?
それとも、世の男どもみんながそうなの?
奥さんが具合悪いってときに、病院へ連れて行こうって発想ができないの?
もう、なんなのっ!?
しかも客を招こうとするとか、何考えてんだ……。
うちの旦那様も、私が高熱だして吐いていても、普通に釣りへ行くし、普通に釣具屋巡りに行くし、決して病院へ連れて行こうという思考回路は持ち合わせいない。
うちの旦那様の実家の家庭環境がそうだったのかと思いきや、父も同じだったとか恐るべし……。
父、私に対してはすぐに病院へ連れていくという考えが浮上するのに、母様だとなぜ……"(-""-)"
子どもは血がつながってるけど、奥さんとは血がつながってないってやつなのかしら……。
色々理解できないんだけど、わかったことがひとつある。
私が「これ旦那様が喜ぶかも!」と思って用意したものはたいてい喜ばれない。
ちょっとした買い物をするときでも、「あ、これ旦那様に――」って思うことが結構あって、結構四六時中旦那様のことをあれこれ考えて行動しているんだけど、それが全然受け入れられない。
なんていうんだろう。
「余計なお節介」とか、「んなの使わねーよ」って言われたり。
何も嫌がらせをしようと思ってあれこれ買ってきたり、情報探したりしてるわけじゃないのに、全然「善意」を受け取ってもらえない何か。
実際には必要のないものだったとしても、「君のために探してきたんだよ」という気持ちに対して「ありがとう」はないものか。
たった一言で救われるんだよ。
「ありがとう。でも、これは使わないかなぁ……」でいい。
なのに一言目が「まだ無駄遣いして」とか、「こんなの使わねーよ」とかだったときのむなしさと言ったらなんとも言えない。
それと同じで、私が求めているものは旦那様に与えられることはない。
具合が悪いときにしてほしい行動がまるで真逆(苦笑)
少なくとも、うちと私の両親を見ていると、そんな感じ。
磁石のプラスマイナスが合ってない感じ。
互いに求めているものは得られなくて、どうでもいいものばかりがよこされる。
たとえばパソコンのモニター。
私はいらないって言ったのに、結局彼の独断で購入されて送り付けられるわけです。
買う前に「いらないよ」って言われたなら、買わなければいいのに、と思う。
でもそれは彼の善意で、悪意ではない。
でも、私が欲しいものでもない。
うちも実家も、そういうすれ違いがものすごく多い気がする。
母様は父様が自分のことを全然心配してないって思っているけれど、本当はそんなことはないんだよね。
母様が具合悪いときに客を招こうとしたあたりは本当に理解できないし、何考えてんの、って思うけど、母様の検査の日に車で連れて行って付き添おうという気持ちはある。
でも、それでチワワっ子の面倒を私に見させる、というのが母様には理解できないらしい。
といよりは、私を使うな、って思うらしい。
母様は、私の身体のことをよく知っているから、できるだけ私に負担はかけたくないと思う人。
そういうふうに母様が考えることを知っていても、父様は私に連絡をしてくるし、私にお願いをする。
私は別にお願いされることはやじゃないし、全然チワワっ子の面倒だって見るのだけど、母様は「それをどうして自分でやろうって思えないのっ!?」と怒る。
「私は決して自分で歩けないわけでも、人が付き添っていないと倒れてしまうわけでもない。送ってもらえるのは嬉しいけれど、検査に付き添いなんて必要ないし、りるにチワワっ子の面倒を見させるくらいなら、私を送ったあと自分がトンボ返りしてチワワっ子たちの面倒を見ればいいだけのことでしょうっ!? どうしてそこで自分が動かないのっ!?」と怒る。
ま、わからないくはない。
私も基本自分でどうにかしようと思ってあれこれ考えてしまう人なので、人に頼むという思考回路はまず浮かばない。
自分だけでどうにかするにはどうしたらいいのか、を考えてしまう。
このあたり、私は母様に似ているのかもしれない。
今まで、体調にしても性格にしても、私が似ているのは父様で、母様に似ている部分などひとつもないのだと思っていたけれど、こういう部分はそっくりだ。
しかも、相手を頼れないと思った瞬間の諦めっぷりとか、呆れっぷりとか、冷めっぷりとか、そいうのがとっても似ている。
この人にこれ以上の期待をしても自分がむなしくなるだけだから、自分だけで自己完結する方法はなんだろう、っていう思考回路がめちゃくちゃ似ていてちょっと吐き気がしたし、うわー……人から見たら、私ってこんなふうに見えるんだな、ってちょっと俯瞰的に見た気分。
ひとまず、母様にはもう少し頼ってもらいたいと思った。
まあ、今までが今までだし、昔も今も体調不良なんて日常茶飯事で、日々の生活を送ることに必死なんだけど、それでも昔よりはこの身体との付き合い方がわかってきたし、滋養強壮剤を使えばどこまで動けるとか、どこまで疲れたら休まなくちゃいけないとか、そういうのはわかってきていて、多少体調が悪くても、ある程度の無理はできるようになったのだけど、その「少しの無理」ですらさせたくない、というのが母様で、ああ、こんな心配性の母にしたのは紛れもなく自分なんだな、と思い知った。
それでも、母だってもう70歳手前だ。
そろそろ娘を頼ることを覚えてほしい。
そうお願いした。
「今までたくさん心配かけたし、迷惑もかけたし、きっと今だってそれは変わらないのだろけれど、お母さんも年を取って、人を頼らないといけない時期はくるんだよ」
そう伝えたけれど、勝気で強気な母様からは、実に母様らしい返答があった。
「病院でね、言ってきたの。私、身体の弱い娘に世話になるつもりはないし、まだ息子の嫁にお世話になるつもりもないんです。まだ自分の足でがんばらなくちゃいけないんです。だから、良性か悪性かとっとと白黒つけたいんです。紹介状書いてください」
そう言ってきたらしい。
むっちゃ私の母だ……orz
誰が何と言おうと私の母だ。
まるで頼りにならない父を軽蔑した母は、がんセンターへ行くすべすらきちんと考えていた。
多少違和感はあって痛みもあるけれど、歩けないわけじゃない。
それに、歩くことを避けるなら、家から駅まではタクシーで行けばいい。
駅についたらエレベーターもエスカレーターもある。
電車に乗ったらら数駅だ。
その駅からだってタクシーで病院まで行けばいい。
病院へ行って検査を受けるくらい、ひとりでどうにでもできる。
そう思っていたそうだ。
けれども、結果的には父様が送迎をしようとしていて、そこで私を頼る話が出たから、またしてもご立腹なわけだけど。
父様も心配してないわけではないのだけど、母様が欲しているものとはまったく違うものを差し出すから、ケンカになる。
同じ言語を話しているはずなのに、まったく話が伝わらないというか、考えや思いが伝わらないことってあるんですよねぇ……。
基本的には、「伝える力」が足りてないか、「伝える努力」が足りてないか、「伝える言葉」が足りてないに尽きるのだけど。
私は最近、割と「どうしてほしいか」を具体的に言葉にして伝えるようにしているのだけど、やっぱりそれが伝わることはなくて、日本語難しいな、とか。
コミュニケーションって鬼難しいな、と感じること多々なのだけど。
父様と母様は完全に言葉足らずなんですよね。
互いに「察しろ」「見てればわかるだろ」が多すぎる。
「それは言葉にして言わなくちゃわからないよ」と言うのだけど、「そのくらいわかるでしょっ!?」ってお互いに思ってるし、「あいつは頭に血が上ると話にならないから(父)」とか、「あの人は具合が悪い奥さんがいる家に客を招こうとするような思考回路の人なの。そんな人間最低に決まってるでしょ? 何を言って直るものでもないわ」と諦めているし。
もうどうしたら……orz

なんていうか、両親の不仲というか、口喧嘩というか、コミュニケーション不良は昔っからで、両親と兄とのコミュニケーション不良も昔っからで、小学生低学年のころには家族内の調整役が私の仕事で、その役をこれ以上続けたら、自分壊れる――
そう思ったときに家を出ようとして、そのとき仕事していた先輩が離婚したばかりで、部屋が余ってるからうちにおいで、って言ってくれてそうするはずだったのだけど、その話を聞いた旦那様と結婚することで家を出ることになったんですよね。
で、家を出て家族と程よい距離ができて胸を撫でおろしたのですが、その分旦那様との問題も勃発するし、生活を共にしていなくても、やっぱり家族の調整をするのは私の役目で――
今は一緒に生活してないから、電話を切ったりすれば、私は逃げることができるのだけど、結果的に調整が必要な事態は変わらなくて、それを調整する人間も私しかいなくて、あぁ、これはずっと続くんだなぁ、と結婚して割とすぐにそれを悟りました……。
家族がものすっごく仲のいいおうち、心の底から憧れる。
きっと、傍目に仲のいい家族に見えても、それぞれ問題は抱えているのだと思う。
それでもやっぱり憧れてしまうんだなぁ……。

ひとまず、私は母様に頼られたい。
多少は頼っても大丈夫と思ってもらえるようにならなくてはいけないのだけど、ものすごく手っ取り早いのは、私が体調を母様に伝えない、という手なんだな。
ただその場合、私の逃げ場がなくなる。
現況、体調の悪さを旦那様に話したところで、「私の言葉が宇宙語に聞こえてるの?」という状況だし、話が通じるのは母様くらいで、ほかは内科の主治医しかいない。
母様をカットするとなると、主治医しか残らないのだけど、主治医だってあと数年がいいところだ。
ああああああ、体調が悪いときの逃げ場って、みんなどうしてるんだろう……。
私は伴侶にそれを求められるものだと思って結婚したのだけど、伴侶は結構あてにならならないというのが現実なので、本当に悩ましい……。
もっと自分の体調をコントロールできるようになりたいけれど、コントロールするのは無理だってわかっちゃったんだ。
こうするとこうなるとかそういうのは学んだけれど、基本、体調が悪化するのは回避不可で、回避不可なりにどうすればその期間を凌げるかとか、ドーピングの仕方とか自己調整で学んだけれど、どうしたって体調を思ったように狙ったようにコントロールするのは無理。
母様にも「体調悪化るすのは防げないけれど、その時期をどう過ごせばなんとかなるかとかはわかってきているし、一時的に無理をする方法もわかった。だから頼ってほしい」とお願いしたけれど、ものすんごく頼りない言葉すぎやしないか……?
本来、母様の腫瘍が良性が悪性化でドキドキしてなくちゃいけない現況のはずなんだけど、良性であればそれにこしたことはないけれど、そしたら手術はどうするんだろう? とか。
腫瘍が大きいから、良性だとしても摘出手術は結構リスクが高くて、神経に触れていて術後に後遺症が出る可能性もあって、そしたら私はどうしてあげたらいいんだろう? という部分に意識が向いてしまう。
悪性腫瘍だったら治療のフォローをどういう形ならしてあげられるんだろう? と、そういうことばかり考えてしまう。
きっと私が身の回りの世話をしようとすれば母様はいやがる。
私が動くことを厭うのではなく、私を動かせる父を嫌悪する。
そうならないためにはどうしたらいいんだろう? って、なんか、ものすごく変な部分を考えなくちゃいけなくて、どうしたらすべてを回せるのかがわからなくて、頭がパンクしそうです。
たぶん母は、私に負担がかかるくらいなら、治療をしないとか、そういう選択すら選びかねない人で、そのくらい私の健康を第一に考えていて、今まで申し訳ないくらい看病や通院、あれやこれやと手をかけてくれた人なのに、そんな母様に私は何ができるんだろう?
なんか心も頭もぐっちゃぐちゃです(おそらく文章ににじみ出ているであろう何か。



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